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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

相棒19 第6話「三文芝居」

2020-11-19 01:12:48 | ドラマ(相棒)

(嬉しい事だけど、)橋本じゅんさん、最近目立ちすぎません  ?

またまたベラベラと、内緒ですよと言いつつ大事な事をしゃべっちゃう男なのかしら(注:『罪の声』による)などと思いつつニヤニヤしながら楽しみにしていました。(あれはしゃべって正解なのですよね。)

だけど通報者であり目撃者である松野は、ベラベラしゃべるどころか過剰な演技でみんなを惹きつけます。

熱演するあまり被害者と加害者の応酬を関西弁でしゃべり、イタミンに

「男は関西弁だったのか?」と突っ込まれてしまいます。もうその辺から、自分で作ったセリフと言う感じで怪しさはマックスだったのですが、それもすべてこの男の計算だったのですね。

松野が

「そう言えば『鈴木さん、許してください !』と言っていました。」と言った時、私は思わず

相棒「犯人はスズキ」」と言う回を思い出してしまいました。

 

この鈴木は本当にはいないのではないかと思ったのに、ちゃんと茶髪でどくろのタトゥーを入れた男が見つかり捕まって、「なんだいるのか」と思いました。

この話はまとめてしまうと、詐欺に関わらせてしまった男が、その会社の上司たちに詰め腹を切らされて自殺してしまい、詐欺を働いてしまった方の松野は罪の意識に駆られ、贖罪の気持ちでその男の娘の罪を被った。そしてそのために一世一代の大芝居をうった、となり、このように言ってしまえば、意外とフツウで推理物としては物足りないようなものだったのではないかと思います。

だけど後半の30分、松野の計算通りに、目撃者は疑われる、そして話していた事のウソがばれて、更に疑われた所で自白し、ほぼ彼の罪が確定しそうになり、それを右京たちがその真実を暴いていき、最後に

「あなたの罪は犯人隠避と証拠隠滅だけです。」と言い放つ流れは、本当に面白く感じました。

それと言うのも、間に挟まれる名作のセリフと、舞台で培ってきた橋本じゅんさんの演技力とレギュラー陣のチームワークの良さのたまものだと思います。

単純な推理物を、このように仕上げたライターさんと演出の力も、もちろんのことです。

 

因みに「劇団☆新感線」の彼は、なんとなく蜷川さんの、または今は吉田鋼太郎さんの「シェークスピア全作公演」のプロジェクト(?)に、何気に参加しているようなイメージがあったのですが、ウィキペディアのみの情報によれば、ほとんどシェークスピア作品をやっていませんね。

「新感線」の「天保十二年のシェークスピア」と「メタルマクベス」だけなのかしら・・・・。

あっ、見逃しました。蜷川さんの演出で「アントニーとクレオパトラ」がありました。

役者さんは、皆シェークスピアをたくさん演じたいのではないかと、勝手に思ってみたり・・・・。

 

だけどコロナ第3波、本当に憂鬱です。

みんな大変だけれど、舞台も大変 !

安易に応援していますなんて言えないのですが、タダ一刻も早くこの波が去りますようにと祈るばかりです。

 
全世界は舞台だ。そして男も女も、みんなただの役者にすぎない。それぞれが登場しては、次々と退場してゆく。そして、時代に適(かな)った者は、いくつもの役を演じるのだ。
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麒麟がくる 第三十二回「反撃の二百挺」

2020-11-17 01:41:59 | ドラマ (大河)

合戦シーンもないのに、セリフだけで緊迫感が伝わってくるような気がします。

なんだか不思議なドラマだなと思いました。

シンガリの経験を語りながら、将軍不在の戦いを遠回しに諫め、次の戦いの時に坐したままの足利義昭をとうとう立たせたと言うのに、戦況は思わしく、二条城に帰った義昭は

「あれほど信長が脆いとは・・・。」などとのたまうのでした。

それを受けて返す摂津の言葉は、これみよがしの酷いもので、「鶴ちゃん、憎らし過ぎて上手すぎ」と褒めているのか貶しているのか分からなくなってきてしまいます。

だけどこのシーン、家康が言った

「ああ見えて食えないお人」を見せているだけではなく、合戦シーンの無い合戦の流れ、または今までの状況を、私たちに見せてくれていたのだと思いました。

 

今日、夫が会社の人たちと、このドラマの事ちょっとだけ話題になったみたいです。

こんなにチンタラ進んでいて終わるのかと言う内容だったらしいのですが、私的には結構進んでいるのではないかと思っています。ただ夫を含めてその人たちが言うには、最後の方にぎゅうぎゅうと詰め込まれたらいやだなというものでした。

そして極端な話として、東庵のシーンなんか要らないからなどと言う話も出て来たらしいのです。だけど今回、東庵先生は、庭に穴を掘ってお金を埋めようとしていました。再び京が火の海になる事を恐れてでした。このシーンなども、まさに合戦シーンの無い合戦の流れ説明のシーンだったように感じました。

極めつけは、石仏を背負った信長と光秀のシーンです。

僧侶たちとのやり取りを、信長ひとりの語りで伝えます。

(今、ふと気が付きました。これはこのコロナ禍の時代の新しいドラマの作り方なのかもって。)

「仏は重くないですか。」と光秀に言われ、急に冷静になったかのように「重い !!!」と投げるように降ろす信長。

なぜ、僧侶たちは朝倉をかくまうのか。なぜ僧侶たちは闘うのか。なぜ自分はこんな事をしているのか。

その問いに光秀が答えます。

「信長さまは多くを奪い、朝倉は多くを与えたからだと思います。」

何をかと言えば、それは「お金」!!

 

昔の事とは言え、比叡山の現僧侶たちは見たく無いシーンなのではないだろうかと、思わず思ってしまったのでした。何気に次の展開に凄い説得力が出てきました。

 

今度の信長は、今まで心のうちに作り上げられてきたイメージを覆していくような気がします。

と言うわけで、次週も楽しみです。

と、書きたい所なのですが、それではあまりにもスルーした部分が多過ぎるので、特にタイトル部分とか、あと少しだけ続きます。

家康が光秀に義昭の忠告をし、武田と闘うために帰ると言った時、「ああ、あの戦いか。」と思われた方もいただろうと思います。あの戦いと言うのは、「三方ヶ原の合戦」なのですが、(あっているかしら ?)さりげなく違う場面の展開が想像できるのも楽しいですよね。

先の戦いで多くの鉄砲を失った光秀たちは、その補充の為に堺に藤吉郎と訪れます。

そこで筒井順慶と知り合い、駒の助けも得て鉄砲の買い付けに成功するのでした。

駆け引きは一瞬の間の戦いでした。

光秀は200挺の鉄砲。順慶は信長と義昭との人脈。お互いに勝ち戦だったかもしれませんね。

 

光秀は都にやって来た家族と再会し、つかの間の安らぎの時間を持ちますが、母は美濃に残りたいと言ってきませんでした。母親の美濃に対しての愛を描いていて、これって、さりげない伏線じゃないのかと思いました。

そして駒は・・・・

駒はいったいどこに向かっているのかしら。この人もだんだん分からなくなってきてしまいました。たぶん駒自身も分かっていない事でしょう。分かっているのは作者のみ!!

 

と言うわけで(今度こそ)、次回も楽しみです♪

 

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「王になった男」の映画とドラマの感想

2020-11-16 13:07:38 | 海外ドラマ

※ 「麒麟がくる」は半分見逃してしまったので、録画みてから感想を書くので少し遅れます。

 

最近嵌っている韓国ドラマはたいがいはネットで見ていたのですが、テレ東で朝8時15分から「韓流プレミア」で「王になった男」をやっていたので見ていました。金曜日に最終回を迎えましたが、その最終回の録画を日曜日に見ましたので、その感想を書いておこうと思います。

(因みに月曜日からは、「トッケビ」で死神とその恋人だった、イ・ドンウクとユ・インナの「真心が届く」なんですよね。私は彼のファンで、それは前から見たかったのでちょっとウフフとなっています。)

「王になった男」の最終回、良かったですね。

これは、Amazonprimeに映画の方の「王になった男」もあって、イ・ビョンホン主演で「トンイ」のハン・ヒョジュも妃役で出ています。

ドラマの最終回を見終わっての午後、なんとなく余韻を引きずっていたので、ずっと気になっていた映画の方も見てみたのです。

この記事はネタバレしています。これから映画を見ようかなと思われる方は、お気を付けください。

姉の蝶子さんも、「それはそれで良かった。」と言っていましたが、私もまったく同じ意見で「それはそれで本当に良かった。」と感じました。ただそれでも思った事は、ドラマの次に映画ではなく、映画の方を先に見たならば、もっと感動したように思えたのでした。

なぜならドラマは時間がある分、あらゆるところが丁寧に描かれていて、様々なシーンに説得力があったからです。

ただ映画はやはり映画で、その動きや見せ方など機敏で美しかったです。この映画は2時間11分もあるのに、なんだかあっという間に終わってしまったように感じました。それだけ物語の展開が上手くまとまっていたのだと思います。

映画とドラマではいろいろな所が違っていました。ただ、私の感動ポイントも重なっていたので、これは原作(小説)があるのかと思たのですが、原作が映画だそうで、ドラマはそのリメイクだったのですね。どうりで良かったところは、しっかりと継承されていたなと思いました。映画の方の良かった点は、ひとつは宮廷での王の暮らしが、少々わかった所・・・・・・トイレとか(笑)

あと食事を作る部署の少女たちの食事が、王の食事の残ったものと言う驚くべき真実も分かりました。それでちょっと納得したのですが、いつもドラマを見ていて、宮廷物はお食事を作り過ぎと思っていて、あれはそう言う背景があったのだと思ったのでした。

『史書『承政院日記』に記されていない“空白の15日間”を拡大解釈し、史実を加味しながら、暴君の顔と名君に匹敵するほどの政策を打ち出した光海君は別人だったかもしれないというアプローチで描いているが、もともとは映画が先に公開され、その大ヒットを受けてドラマ化された。』

https://kankoku-drama.com/news_topic/id=12459から。

映画では、その15日間の王を描いていて、本物の王は戻ってくるし、王妃とのラブロマンスも生まれないし、都承旨のイ・ギュも死にません。最後の字幕でその後が分かるのです。イ・ギュは斬首。本物の王である光海は廃位になると。

だけどハソンはたった15日で、善政の歴史を残し去って行ったのです。

ハソンが去って行く時に、港には見送るイ・ギュの姿がありました。ただの道化と最初は侮っていた彼でしたが、最後は彼をもうひとりの王と認めた男でした。ハソンは玉座を捨てて去って行きますが、その船が行く先は、王の名前の如く光る海でした。

映画はイ・ビョンホンが主演なので、なんとなく大人のドラマに感じました。

 

そしてヨ・ジングのドラマ版は、初々しい青年のドラマに感じました。

都承旨のイ・ギュがハソンを王と認めて、礼を尽くしてお辞儀をするところは、ドラマ版ではいたく感動して涙が零れました。

この都承旨は王の為に正室の子である幼い弟の皇子を殺害した実行犯であり、そして本物の王さえも、いろいろな心情的理由があろうとも、殺害してしまう人でした。正義のためには手段を選ばない恐ろしい人だと、私には思えてなりませんでした。

本物の王、イ・ホンが海辺で毒殺され死んでいく所は、哀れで可哀想に感じました。

そんな都承旨だからこそ、ハソンに学び、そして王として礼を尽くしたシーンは泣けたのだと思います。そして、彼の最後も悲しく感じましたが、彼らしいものでした。

そこには知らず知らずに「自分の罪は自分で背負っていく。」と言うような想いが存在していたのかも知れませんね。

 

最終回で最後の最後にチャン・ムヨンが、王を守って死んでいく時、かつて彼は「私の願いは王を守って名誉の死を遂げることです。」のような事を言ったと思うのですが、それが最後の流れて、けっして彼は不幸せではなかったんだ、願い通りになったのだと、視聴者に思わせてくれるところが良かったです。

そこは映画でも、偽物と分かっていても、自分にとっては彼が本物だと命を懸けて守り、戻ってきたハソンに看取られるシーンは、感動ポイントでしたね。

 

放たれた矢に倒れたハソンが2年以上もかかって、王妃の元にやって来たのは長かったなと思いつつ、または良かったなと思いつつ、説明不足だなと思いました。説明は要らないよね、ハッピーな最後なんだからと言うところなのかも知れないけれど、やっぱり誰に助けられたのか知りたかったし、倒れて目が覚めたら長い年月が経っていたと言う理由は、最後の最後に手抜きだなと笑ってしまいました。セリフだけのシーンなので、「大妃支持者の残党から守るために」的な事でも言って欲しかったです。そしてずっと遠くからちゃんと彼女を守って来たと。

なぜなら、ハソンを喪ってショックのあまり自殺でもしてしまったらどうするのなどと思ってしまったのですが、彼女は遺体が見つからなかった事から、泣きながらもその生を信じて生き抜いてきたのですよね。

もちろんテレビ前でも、やっぱり時計をパッと見て、そして遺体が無かったことから、多くの人が「大丈夫。」と思い、そして「早く出てきなさい !!」と思っていた事でしょう(笑)

このドラマは、ハソンと王妃の愛の物語でした。

王は廃位になった後すぐに崩御し、似た道化が居たために長く生きたと言われたと字幕に説明が出ました。

二人は末永く二人で寄り添って生きたと言う雰囲気で終わりましたね♡

 

だけど大妃が、王を殺したいほど憎んでいたのは当然ですね。未来には王になるべき我が子を殺されてしまったわけですから。

だけどきっと、その子が生きていたら、光海君の未来はなかったのかも知れません。

 

国のトップの家系に生まれたり嫁いだりしても、ちっとも幸せではないと言う悲しい図式だなと思いました。

 

しかしこのモデルになった15代の王、光海君の実際は暴君だったゆえに廃位させられ江華島に流罪になり、その後は済州島に流され、だけど66歳まで生き抜いたそうなんですね。その妻の運命は、もう少し悲しいものでした。実際には彼らには子供がいて、共に妃も世子も廃位されていたわけですが、廃世子が島を脱出しようとしたのがバレテ処刑されてしまうと、それを嘆いて妻は自殺してしまったのでした。

今は実際に暴君だったかも定かではないとされ、彼の業績が再評価されつつあるそうで、それゆえかドラマや映画に登場してくる事も多いとか。

歴史の真実は分からないゆえに、それゆえに様々なドラマが生まれてくるのかも知れませんね。

 

↓アマゾンに飛びます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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どんな想いで♪

2020-11-15 01:06:07 | 梢は歌う(日記)

昨日の夜6時ごろ、ちょっと転寝していた所に、いきなりドーンという音が鳴りました。夫殿が

「花火が上がってる !!」と言うので、私も飛び起きてベランダに出たのです。

「あっ、知ってる。今日の花火 !!」と私は思わず言いました。

いいえ、「知ってる。」と言うのは大きな間違い。

「今日、その言葉を聞いた。」と言うのが正解なのです。

 

お昼過ぎ、バイトに行こうとバスを待っている時に、後ろに並んでいた老齢のカップルの男性が

「そう言えば、今日は花火・・・・・」と何かを言っていたのです。

別に人の話に耳を澄ましているわけでもないし、最後まで聞き取れず会話として残らないものに反応もしません。ただ「花火」と言う言葉を聞いて、それが耳に残っていたのでした。

 

この上がっている花火は、その時に男性が言っていた花火なのかしらと私は思い、目の前に上がっている綺麗な花火に心奪われながらも、何のイベントなのかと気になってしまったのでした。

なので、花火の後に、いろいろと検索してみました。出てくるのは古い情報ばかり。それでやっぱりツイッターで検索してみたら、ようやく「地域の学校のPTAが子供たちのためにあげた」と言う言葉を拾う事が出来たのでした。

それだったらあの学校だなと思い、その学校の「学校だより」を開いて、11月の行事を確認しました。するとそこには「11月14日花火大会(PTA主催)」と有ったのでした。

私は事情が分かって、ヤッターと思いましたが、これは地域の人たちには回覧板で事前告知されていたらしいのです。だからあの男性も話題にしたのかも知れません。

 

その花火は30分くらい続き、すっかり体は冷えてしまいましたが、夫なども珍しく長い間見ていました。

「ずっと花火なんか見られなかったから嬉しいね。」と彼が言い、私も「そうね。」と答えました。隣のベランダでは、お孫ちゃんが遊びに来ていたのか、メチャクチャはしゃぐ声が聞こえてきました。見下ろすと、マンションのすぐ傍の公園には多くの人が出て来ていてあちらこちらに点在していました(ディスタンス大事です。)

 

今日の私は、午前も午後も別々の仕事に行くという、ほんのちょっとのハードな日だったのです。これと言って、私自身には嫌な事など無かったのに、嫌なものを見たと言うか、なんか嫌だなと思う事があり、それがかなりのストレスに感じていたのです。午後からの仕事も、楽しかったのです。それなのに、心の疲れが半端ではありませんでした。

だけど花火の「ドーン」「ドーン」と上がる音を聞いていると、なんだかスカッとしました。

それで私は夫に言いました。

「今日は、あまり良い日には感じなかったのに、なんだかこれで、今日は良い日だったなと思えるような気がするな。」と。

 

私は、「学校だより」の「11月14日花火大会(PTA主催)」の文字を見ながら、誰かがこれを提案して、そしてみんなで話し合って、それで誰かが行動して、ようやくここに至ったのだと思いました。

その時、彼らはどんな想いで居たのでしょうか。

きっとその誰かたちの脳裏には、見上げた子供たちの微笑む顔が思い浮かんでいた事でしょう。

もしくはその子供の親たちの顔とか。

だけどここに、全く何で上がっているのかも知らない私や、その他のたくさんの人たちも微笑んでいたのです。

今の時代の逃げ場のない閉塞感に苛まれているのは、大人だけではないのですよね。子供たちの為にと企画したのは、本当に素晴らしいなと思いました。

いろいろな意見はあるかと思いますが、私は「ありがとう」と伝えたいです。

 

 

 

 

 

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雲の上の父上様へ

2020-11-13 23:38:01 | 父へ

父上様

今日はお父さんの誕生日ですね。

名都さんが言っていましたが、命を繋いでいたらなんと91歳だそうですよ。

残念ながら、お父さんは83歳で今生ではカウントすることを止めてしまったわけですが、それでも私たちが生きて、お父さんの事を思い出す限り、その歳は数えられていくわけですね。

 

・「秋薔薇と十月桜2020」と言う記事の中に書いたことですが、

>『11月13日は亡くなった父の誕生日で、その前後の土曜日には、母と姉妹と叔父夫婦と横浜で暮らすラッタさんなどと一緒に、父の墓参りに行き、その帰りに街中温泉によって、集まった事を楽しむ会をしてきました。

だけど今年はすっかりそれさえも忘れ、その日に出掛ける予定を立ててしまいました。

姉妹たちからも、その話はまったく出ません。母でさえ、今年の初めまでずっと続けていた祥月命日の墓参りを止めてしまっていました。

やっぱり2020年は、普通と言えるはずもない一年なのでしょう。』

だけどちゃんと夕方名都さんから、ラインにメールが入りました。

「今日はお父さんの誕生日だよね。」と。

そしてみんなでその話をしながら、お父さんの誕生日の事を思いだし話し合ったのですよ。

 

大丈夫 !

まだお父さんは私たちの中で生きていますよ。

この前、実家に帰った時に、

「お父さんが時々夢に出て来て、それは意外と怖い夢なんだけれど、だけどいつも大事な事を教えてくれるよ。」とお母さんに言いました。そしたら、お母さんが

「花ちゃんを頼りにしているんだよ。これからもよろしくね。」と言われました。

お父さん。

本当はお父さんが夢に出てくると、私はとっても怖いんです。だって、もうこの世の人ではないと知っているから。でもお母さんの話を聞いて、やっぱり時々、いやごくごく稀で良いので(相変わらず正直です、私)、やはり夢に出て来て、大事な事のヒントをくださいね。

 

お父さん。

私、この前、日光に行ったんですよ。その時、あまりにも風景が美しくて、だから、お父さんの事を思い出しました。お父さんだったら、この風景をどんな絵に描くのかしらと思ったものですから。

あなたと今なら、絵の話がしたかったです。そして私の撮った写真を、お父さんに褒めてもらいたかったです。

「写真が綺麗だね。」とお父さんに言われると、私は本当に嬉しく思ったのですよ。お父さんが亡くなった年、私はしばらくの間、何かにカメラを向けただけで、これからは誰が褒めてくれるのだろうかと思ったらめそめそと泣きたくなって、涙を零していたのです。

だけど今日、私は栃木の前から行きたかった所に行き、またその後1000段の階段を上って来たのです。

今もあの時と同じような事をして暮らしています。やっぱり時々褒めてもらいたいなぁと思いながら。

 

今年はお墓参りには行けなかったのですが、お正月には家族で行きますね。

あっ、そうそう。今年は一族で集まる新年会は無しですよ。寂しいお正月になりそうです。

2020年は大変な一年だったのです。

いつかこの疫病も収まって、またいつか賑やかなお正月迎える日が来ますように。

私たちは四人でずっと賑やかに、ワイワイと仲良くやっていきますから、お父さん、安心してね。

 

じゃあ、またね。

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相棒19 第5話「天上の棲家」

2020-11-12 15:25:28 | ドラマ(相棒)

まずは黒崎健太の事を書くべきなんじゃないかなと思いました。

この東京地検の元検事のこの人は「相棒」にも数回出て来ていて、「相棒」で数回出てきていたら、いわば順レギュラーみたいなものじゃないですか。

因みにそれは「シーズン14-4話,10話 / シーズン15-10話 / シーズン16-8 話」で、みんな感想は書いてはいるのですが・・・・・。

だからなのか、昨日はその14の4の「相棒14『第四話 ファンタスマゴリ』」の記事へのアクセス数が多く、黒崎健太を知りたかったのではないかしら。

ところが、その感想には彼の事が何も書かれていないのです。

書いていなくて申し訳ありません。

 

だけど別の感想には書いてありました。

・「相棒16/第8話「ドグマ」&「奥様は、取り扱い注意」」の中に、

>『特命に協力的だった黒崎の登場も良かったですね。だけどすぐに飛ばされてしまいました。あれは日下部のせい。少しでも特命寄りと分かると、即断されてしまったのでしょうね。

やーな感じですね。』

そしてその黒崎健太は、その「やーな感じ」が地方に行ってもあったのか、戻って来て記者に転職していました。

 

私はこの「記者枠」と言うところで彼が登場してきたところに、少々違う想像が働いてしまい、ちょっとだけ心がざわつきました。

彼はまだゲスト扱いになっていましたが、この先も登場してくるかもしれませんね。

 

そして今回の物語の感想ですが、

「何が『崇高なる使命』だ~!!」って、このすこぶる時代錯誤のおばさんに悪態をつきたくなりました。今のリアルな世界で、二世議員たちの心の中に、この『崇高なる使命』何チャラと言うものあるのかって思ってしまいます。

あっ、でも !?

逸脱し勘違い野郎になってしまった二世議員たちをお片付けしていくと言うのなら、それはそれで・・・ムニャムニャ。。。。、

まあドラマ的には面白いかも。「必殺お片付け人」ですか ?

冨士眞奈美さんは、もっと迫力のある演技だってできる女優さんだと思いますから。

と、なんだか過激な事を書いてしまいました。(^_^;)

 

右京が二課だった時には、分からなかった真相が、二件、長い間が空いたにしても、同じ手口だったから解決できたのですよね。

しかしあの女帝の貴代も老いたということでしょうか。右京が因縁のように24年ぶりに現れたと言うのに、同じ手口でやってしまうとは。

わざとにも思えないしね。

お話の流れ的には面白かったです。

ただ、私的にはこの貴代おばさんが、やっぱり相当に時代錯誤おばさんにしか感じないんですよね。

子供の時から男子を生むのが仕事だと言われ続けていた・・・・っていうのは、分かりますよ。

女の子しか産めなかったと嘆くのも分かりますよ。

だってそう言う時代だから。

その自分が生んだ女の子が男子を産んだ。

で、何 ?

別に女の子だっていいじゃないの。時代が違うから !!!

ってなものでしょう。最後に連行される女帝のお母さんの所に娘が子供を連れて来て頷くじゃないですか。

私がお母さんの意志を継いで、この子を立派に育てますとでも言いたかったのだろうにナと思いました。

なんかこの話自体が・・・・・昭和 ?

 

役者さんたちが良かったし、お片付けされちゃうと言う怖いお話も面白かったし、だけど私的にはこの時代錯誤的感覚でチョットナの残念な回になってしまいました。

でもねこう書いても、まあ、それは好き好きだから許してね。

だけどこれ、女性ライターさんが書いているんですよね。

前回のお話はとっても面白く感じて、そのコメディっぷりも楽しんだような気がするのですが。

それは→「相棒18 第7話「ご縁」」

 

 

 

 

 

 

 

 

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蝮草を探して 

2020-11-11 17:42:09 | お散歩&写真日記

11月6日、お友達とランチをしました。

お話も弾み、この後珈琲でもと言う話も出ましたが、ドリンクバーを止めて抹茶あんみつを頂いたお腹はパンパンです。

だったら当初の予定通り、このあと少し歩きませんかという提案が通り、お散歩に行く事にしました。

実はせっかくこちらの方向に来たのだから、彼女と解散した後にひとりでも行こうかと思っていたのです。

お目当ての場所は、私的には毎度おなじみ、街の中の森の「こんぶくろ池」です。

でも彼女と一緒で良かったです。

それと言うのも、私の中ではずっと以前に姉に言われた「ここにはひとりで来ない方が良い。」と言う忠告がちゃんと生きていたのですが、なんたって自粛期間中は、それは無用な心配で、来るたびに前後に人が複数いたのです。ですが、今は森の中はひっそりとしています。

ごく稀に人の声が聞こえると、友だちは逆に驚いて不安そうな顔をしていました。

だけどこの森は、本当に「ひっそり」が似合う場所なんですよ。

 

森に入ったところに、たくさん実がなっている木がありました。

下の画像は編集で明るくしたものです。

普通のままでは、下のモノ。そう考えると、人間の目は本当に優秀ですよね。

しっかり赤い実が見えるのですから。

 この実は「ゴンズイ」と言うものなんですね。

ただの赤い実かと思ったら・・・。

後は森の風景を、いつも通りに楽しみつつ歩きました。

だいたい、いつも「森大好き !!」と心なの中で何度も言いながら歩いているような気がします。

花の無い季節です。だから下の花のように、一輪でも見つかるとテンションが高くなります。

「アキノタムラソウ」かしら ?

そしてこれは、日光でも一番実をつけていた「ウメモドキ」

 

もしも友だちが行かないと言っても、ひとりでも来たかったのには、ちょっと理由があったのです。

それは5月頃、この森を何度か訪れた時に咲いていた蝮草の実を見たかったからなんです。

その記事は

「金蘭、銀蘭、蝮草」

・「散歩ばかりしている」

でも見つからなくて、もし一人だったらもっとウロウロしたと思いますが、ひとりじゃないし、今回は諦めようと帰りかけたら、なんという事はなく、入り口近くに居たのです。「ゴンズイ」に目が行ってしまっていたので、見逃したみたいなんです。

 

で、下のが蝮草の実なんですが、

ちょっとイマイチで、これからもっと緑の所が赤くなり、既に赤い所はどす黒くなったり紫になったりするのですよね。

これはまた来なくちゃねと一人思う私。

ところが友だちは、

「ここ、いつ来ても素敵よね~。なんか、今日は充実していたような気がする。また春になったら来ようね。」と言いました。

「うん、来ようね。」と私は答えました。

別に嘘をついたわけではありません。

春になったら、また、あなたと来ましょうね♪

 

帰り道、近くの小学校の紅葉を遠目で見て、思わず感動しました。

 

2020年の小学校の風景ー。

体育参観日(または運動会)をしていました。たぶん学年やクラスを分けながらやっているのかなと思いました。チョピッと涙が出そうになったけれど、これが「今」の風景なんですよね。

10000歩近く歩いたけれど、お腹に詰め込み過ぎて、なかなか消化しなかった美味しかったお昼ご飯は

 

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「82年生まれ、キム・ジヨン」を見ました。

2020-11-10 01:08:40 | 映画

11月5日(木)に見てまいりました。

《この感想はストーリーなどの大きなネタバレはありませんが、セリフなど、ほんの少々のネタバレになっている部分があります。》

ジヨンが過去の記憶を呼び起こすとき、その記憶に自分のかつてあった事が呼び出された人は多数いたのではないかと思います。

女性が男性よりも大変だなんて、思った事などありません。だけど女性が男性よりも大変じゃないなどと、微塵も思った事もありません。

タイトルの「82年生まれ」と言うのは、この映画を正しく観る為の要だと思います。

なぜなら家における妻と夫の役割分担、または女性の社会への進出度や貢献度は、ずっと流動していてその価値観が違うからです。

私を中心に据えて考えてみても、3つ歳の違う人はさほどでなくても、5歳違うと、「女の敵は女」張りに違う場合があるのです。

あまり言いたくはない事ですが、82年生まれなら、それは私たちの子供の世代です。

私たちの時代はと語りたいと思うならば、このように映画の感想にくっつけて書けるわけもありません。私たちの時代には私たちなりの女性史が存在するからで、簡単には語れないからです。だけどその時代と比較してなど全く意味もなさず、私はジヨン目線で、しっかりとこの映画を見ていました。

女性の地位は、少しは向上したのではないのか。

これでは全く私たちの時代と変わりがないではないか。

ただ、明らかに「今」を感じさせたのは、ジヨンの母がベビーシッターの問題が解決せずに、仕事復帰が出来ないジヨンに

「私が近くに越してきて子供の世話をするから、お前は好きな事をおやり。」と言うシーン。

紛れもなく、それは今のババたちの言葉でつまり私たち世代の言葉のように感じました。私たちには聞ける言葉ではなかったと思います。もちろん人にも寄る事ですね。ただ私には縁のなかった言葉で、思わずそのシーンには涙が零れました。

それに対してのジヨンの対応にも、やはり涙がこぼれたのでした。

親は子供を思うけれど、子供もまた親を思って、ちゃんと自分の人生を生きて欲しいと願っているのではないでしょうか。

ああ、そうでした。自分の事は語るまいと思っていたのに、ちょっとさりげなく語ってしまいましたね。

この映画は、ジヨンの姿を通して自分と語る作品なのかも知れません。

映画サイトのこの映画のレビューを読むと、なんて言うか、みなさんの感想の多くがいつになく長いのは、そこに理由があるのかも知れませんね。

 

年代によっては感想も違うのかも知れません。

ただ一つ、共通して同じ感想を持てるのは、コン・ユ演じる、ジヨンの夫のような理解のある人は、早々には居ないということではないでしょうか。

それなりにはいるかもしれませんが、・・・・・・ヤッパ、いないよ~って、私は思ってしまいました。

コン・ユは何一つマイナスな所が無いほど、素敵な夫でしたね。

また、ラストは明るい兆しが見られるとは聞いていたのですが、そのラストの展開は、かなり最初から予想が付きます。

何でも分かったような事を言うと叱られそうですが、このようにブログなどを書いている人には、たぶん私と同じように予想がつくのではないかと思います。

だけどそれから先の展開は誰にでも起こると言うわけではなく、今の時代を生きている人たちは皆、それなりの出口を求めて彷徨いながら模索して生きているのかもしれません。

 

今の生活にそれなりに幸せに感じる。だけど時にどうしようもない閉塞感を感じるー。

そんなジヨンのセリフがあったような。

このような時代ゆえに、この作品は女性のみではなく男性にも大きく何かを訴えるものがあるかもしれませんね。

あっ、そうそう。今思い出したのですが、彼女の家事のやりっぷりを見たら、頑張り過ぎだなって思いました。偉いなぁと思いました。テキパキとしてるし、私ももう少し頑張らなくちゃなと思ってしまうほどでした。

だけど真面目なんですよ。だから疲れちゃう。

 

時にはテキトーにね。

だけどそれでも心が疲れちゃう時には、然るべきところに助けを求めましょう。

映画の中にも、お医者さんの大事なセリフがあって頷けました。

 

 

 

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「クリミナル・マインド15」最終回

2020-11-09 17:16:11 | 海外ドラマ

2005年からスタートした「クリミナル・マインド」もとうとう終わりの時を迎えてしまいました。

先週、wowowで最終シーズンである15の最終回を迎えてしまったのです。

しかもほとんどのシーズンが20から23、長い時には26話もあったのに、今回は10話で完結です。

これは言わば、終わらせるためのまとめのようなシーズンだったのかも知れませんね。

 

私はシーズン2の再放送辺りから見始めたように思います。

確かにシリアルキラーの物語は、時には目を覆いたくなるシーンもあり、怖く感じる時もありました。ましてや本当にあった事件などを参考にして作られているとなれば、アメリカって怖い国なんだなと思ったりもした事もあったのでした。

異常犯罪を起こす者も、そこに至ってしまうまでは、親による虐待やねじ曲がった愛情が存在したりで、同情せずにはいられないような犯人も多数いたように思います。

だけどこのドラマは、登場人物が皆魅力的で、時には彼らの家族の物語や過去の物語が絡み合い、感情移入度も高くなっていきました。

 

最終回、そのラストシーンはガルシアが去って行く所で終わりました。去ると言っても、ステップアップできる所からスカウトされて発展的移動です。

ああ、良い終わり方だなぁと、私は思いました。

初回からラストまで、ガルシアお休み無し。もちろんDr.リードも。

だけど去り、そのドアを閉めていくのはガルシアが相応しかったと思いました。

ガルシアはチームには不可欠な人だったけれど、優しくて残酷な事件や血なまぐさい事は似合わない人だったと思います。彼女が出ていってその扉が閉められても、扉の向こう側ではその恐ろしい事件は続き、BAUのメンバーはその犯人たちと闘い続けていくのですから。

ただしもうそれを私たちが見る事は出来ないのですね。(/_;)

 

ガルシアの名前を出したから、彼女の事を語りたいと思います。

彼女は素敵な人でしたね。失礼ながら美人と言う設定ではなかったと思います。だけど個性的な人でそのお洒落度は群を抜いていましたし、拘りのある好きな物たちへの愛にも共感できるものがありました。

最終回でお別れ会が完ぺきだったからという理由で、こっそりBAUを去ろうとしていた所をみんなに見つかってしまいます。

そこで言う「引っ越し屋さんのために買っておいたおやつがあるから、みんなでお茶を飲もう。」。

引っ越し屋さんのために買っておいたおやつ ♪

なんかそのさりげない気配りって素敵じゃないですか。

もちろんJJことジェニファー・ジャロウもエミリーも大好き。彼女たちって美人で能力も高く、そして性格も良いのですよね。

最後の事件の責任を取って、エミリーはせっかく名前が挙がっていたFBIの長官候補からは外れてしまいますが、恋人とは更にいい感じになって、共に暮らす家を探すようになるし、JJはこの先も夫と子供たちを大切にしながら、仕事も頑張っていくのだと思います。

最後は私の中では、なんだか分からなくなってしまったのですが、この先は、やっぱり移動していくのでしょうか。

出産で、JJ役のA・Jクックは、2回このドラマを離れてはいますが、ドラマの中でも2児の母で、その子供たちが彼女の実子と言うのも、なんか完全にファミリー化しているような感じがして、殺伐としたドラマなのにホットな感じがしてしまうのは、そんな所にもあるかもしれません。また彼女は、私が大好きだった「トゥルー・コーリング」にも出ていた人なので、思い入れも深かったです。

これで終わりと思うと、すべてのメンバーではありませんが、やはり一人一人に想いがいってしまいますね。

私はギデオンが凄く好きでした。リードとの親子のような関係が好きだったからです。

それ故に彼が去ってロッシが入って来た時、しばらくは馴染めませんでした。

だけどなんたって、シーズン3の6話から出ているのですから、好きにならずにはいられません。

ロッシは豪邸に住み、資産もかなりあるみたい。女性関係もいろいろで、それゆえに過去の妻たちとのエピソードも良かったですね。

自分に恐怖を抱かせた最大の敵を倒したと思っていたあと、リタイアを考えたようですが、最後はまだ残る事を宣言して終わったのも良かったです。

最後のパーティは、最初は計画通りのロッシの引退パーティなのかと思ってしまいましたが、ガルシアのお別れパーティだった言うオチになっていましたね。

去って行った人で思い入れが深かったのは、やはりデレク・モーガンでしたね。

ギデオン役のパティンキンの降板理由が、このドラマの撮影がハードで厳しすぎると言うような理由だったと思うのですが、モーガンのムーアは、新しい事にチャレンジしたいと言う前向きなものでした。それゆえにその後も何回かゲストで登場してくれたのも嬉しかったですね。

彼の物語では、少年の性的虐待事件に彼自体が少年期に巻き込まれていた事件は、かなりショックな内容でした。

 

そしてホッチ。

彼の解雇による降板は、寂しく思うのと共にかなり驚かされました。

BAUはチームみたいなものだから、その一人が欠けても物語は続いて行く事が出来るのですね。でもある意味、主役が降板みたいなものでしょう。そりゃ驚きますよね、普通。作品の事でぶつかり合うのは良いとしても、手や足を出しちゃダメって事ですよね。

犯人に元妻を殺されて、シングルファザーになってしまったホッチ。子育てしながらの働くお父さん姿も良かったのに、本当に残念でした。

 

だけど最終回には、過去の映像であっても、リードの夢の中、ロッシが自分の庭でやったパーティの回想であっても、ギデオンもモーガンも、そしてエルもホッチも、皆登場してさりげないファンサービスをしてくれたのは嬉しかったですね。

あっ、だけど今、そのシーンを思い出すと、胸がキューンとなっちゃうかも。

何気なく見ていた何気ないシーン。

だけど終わりの時を迎えて、その過去のシーンを思い出すと、みんなの笑顔が切なく感じます。

長くお付き合いをするということはそう言う事なのかも知れませんね。

 

さて、最後に大事な人の事を書かなくてはなりませんね。

このクリミナル・マインドは、お話の面白さやみんなのキャラの良さもあって長く続きましたが、その人気を長く引っ張った立役者は、やはりこの人、Dr.リードの存在だったと思います。

登場してきた時は、IQ187の天才で毎分2万語を速読で読み解ける・・・・。

だけど人間的にはまだまだ未熟で、シーズン1の頃は24歳で、蘊蓄を語りだすと人間辞書のように止まらず、皆にストップを掛けられるシーンも度々でしたね。

なんたって可愛らしい・・・・というのも人気の秘密だったかもしれません。

Dr.リードのマシュー・グレイ・ギュブラーは1980年生まれで、ほとんどリードと被っています。

15年の歳月はやはり大きくて、リードもただ可愛らしい青年ではありませんでしたね。

父とのドラマ、母とのドラマ、そして愛した人失う悲しみ・・・。

彼の物語は皆深いものでした。

最終回にも、かつてリードの目の前で殺されてしまった恋人が、夢の中に出て来て、生きていくのかここで終わりにするのかと言う二つの道を示し、リードが生きていく道を選んでいくのは良かったですね。

 

最後にみんなのチーム戦で、最大の敵であった男をド派手に倒し、そして皆それぞれの終わり方があった事は、長く続けられたドラマの終わり方としては、綺麗にまとまったように感じました。

 

寂しいと言えば寂しいです。

新作はなくても、過去の15年分の蓄積があるし、見逃しが多かったシーズンもあるので、これからも過去を懐かしみつつ楽しんで行こうと思います。

ありがとう、BAUの仲間たち。

彼らに会えて幸せでした。

 

 

 

 

 

 

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麒麟がくる 第三十一回「逃げよ信長」

2020-11-08 22:15:35 | ドラマ (大河)

逃げ帰る途中で、私は麒麟の声を聴きました。

麒麟は、なんて言ったのだと問う信長。

はい。信長には次がある。そう麒麟は言いました。

 

信長は生き延びた。だから、今度の戦は負けではないと光秀は言いました。

 

ことごとく、ことごとく、私はジーンとしました。

 

いつも面白いと思っていますが、今回は、私的には断トツでした。

 

金ヶ崎で浅井の裏切りを知り、信長にそれを伝えた光秀でしたが、信長は最初は逃げないと言います。それは武士の体面と言うものを思ったからでしょうか。だけど、光秀は

「織田信長は死んではならぬのです !!!!!!」と強く訴えます。

ひとりで考えてみたいと言う信長を置いて、協議の部屋に戻ると、どこからか変な唸り声が聞こえてきます。訝る家臣たち。

それはひとり浅井の裏切りに苦しむ信長の姿でした。

光秀の説得する姿にもジーンとして、また信長のメチャクチャ短い時間で自分の感情を流し切り、そして想いを切り替えていく姿に更に感動したのでした。

家臣たちの前に再び現れた信長は、まったく冷静で、そして「わしは逃げる」と告げるのでした。

 

しんがりを買って出る藤吉郎の話も良かったし、またそこに彼の今回の見せ場がありました。

藤吉郎と光秀のしんがりの話は、他の漫画とかドラマとかでお馴染みで、その大変さをそれらの情報から知らず知らず補完していたように思います。

それなのに、先に戻った武将たちは必死の想いで帰って来た藤吉郎を疑ったのでした。

泣きながら訴える藤吉郎の話に耳を傾け、疑った武将たちに一括する光秀でした。

それを聞いて感謝する藤吉郎。

 

そして私はやっぱり思ってしまうのです。

なぜ !?

この信長と光秀。

この藤吉郎と光秀。

 

どんなに過酷な状況でも、藤吉郎にも光秀にも、この先歴史の中で果たす役割があり、それゆえに命を使い果たす事はなかったのだと、私は思いました。

同じように、この時の信長にもその役割がまだあるがゆえに、命が繋がれたのだと思います。

彼らを動かしその命を預かっているのは、見えない歴史の何かなのかと、ふと彼らを見て思ってしまったのでした。

コメント (2)
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