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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

漢字バトン

2006-05-14 02:23:42 | ’08/12/7までの未整理日記
りっきーさんから漢字バトンが回ってきました。って、今頃ですかって、驚かれちゃいますね。でも、kiriyのきりきり時計は、ある時はクルクル早回り、ある時はのったりまったり回ります。今回は後者、やっと回します、時計もバトンも。

Q1.好きな漢字は?

  「思」でしょうか。この「田」という文字は幼児の頭に泉門のある姿を表していて、「おもう」と言う働きが頭脳と心を中心としておこなわれる事を示しているのです。

頭だけではなく心があって始めて「思う」ことができる。好きです、やっぱり。

Q2. 前の人が考えた漢字に対して自分の持つイメージは?

「土」「水」「火」ですが、「土」は、母なる大地。「水」は命である海。「火」は闇を照らす英知の象徴です。

Q3. 次の方に回す漢字3つ。

「煌」「鮮」「彩」ちょっと、面倒でしょうか。好きな漢字ばかり並べてしまいました。

Q4. 大切にしたい漢字。

何でしょうか。難しい質問ですね。やっぱり「生」「死」でしょうか。どちらも大切で重いもの。私たちになくてはならない漢字ですから。

Q5. 漢字の事をどう思う?

日本人として大切にしなくてはならないものですよね。一つ一つに意味がある、素敵な日本の文化です。でも、私自身が大切にしてきたかというと、どうでしょうか。子供の時から本を読むことは好きだったので、読みは自信あるのですが、怠け者なので書き取りの練習を一生懸命やった記憶がありません。書くことにはまるで自信がありません。・・・反省ですね。

Q6. あなたの好きな四字熟語は?

「創意工夫」とか、相反するようですが「天衣無縫」とかですね。だけど本当は「晴耕雨読」のような生活に憧れています。

Q7. バトンをまわす7人とその人をイメージする漢字をあげてください。

後でお願いに伺いますが、先にお名前を挙げて失礼します。〈今回は5名の方で〉

「ヤマザキ」さん―「裕」この字は広くゆとりがあることを表しているものですが、幼いお子さんの母でありキャリアアップもして忙しいはずなのに、なぜかゆとりがあるように感じてしまいます。時間の使い方が上手なのでしょうね。

「ぴえる」さん―「穏」です。ぴえるさんのブログにお邪魔すると、その穏やかな空間がなんとも言えずほっとするものがあるのです。

「sinrinkun」―「愉」楽しいと言う意味そものずばりです。お笑いと音楽を愛する関西の方。でも、本当は繊細な方だと思うんですが・・・

「バスガイドみこ」さん―「闘」  女性の方にこの字は失礼なようですが、みこさんは、いつも自分自身と闘っているいるようなそんな「気」を感じるのです。元気が出ます。

「あつこ」さん―「芯」  説明要らずというか、きっとあつこさんのブログを訪れる方々は私の選択は正しいと褒めてくれると思いますよ。


と言うわけで、(前のりっきーさんの言葉をそのままお借りして)スルーでもアンカーでも構いませんのでよろしくお願いいたします。



書いてみると結構面白いので、良かったらお受け取りください。



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惚れちゃうなあ

2006-05-13 21:12:00 | ’08/12/7までの未整理日記
前の記事の続きではないのだけれど、些細な事をよく覚えている。
「ルパン」の記事を書いていて思い出したことがある。

テレビで「ルパン3世」が始まった頃、裏番組はアニメの「アンデルセン物語」だった。
私の家は4人姉妹。一番下の妹とは10歳離れている。私が14歳なら妹は4歳な訳で、家族団らんの時間ならどうしても「アンデルセン物語」がかかってしまう。
なんて言ったって「ル~パ~ン」と峰富士子のお色気ぷんぷんでは4歳と9歳の妹には、よろしくないような・・

だけど、この「アンデルセン物語」は、絵は幼児向きだが、なんてったって原作がアンデルセンなもので見ごたえ充分で、時にはハンカチのお世話にもなったりしたものだ。

話は変わって、中学の同じクラスにとってももてる少年がいた。彼はサッカー部で長身でハンサム。勉強の事はまあ見ないことにして、ちょっと悪っぽい彼は、まるで少女マンガの主人公みたいだった。彼のことをケイ君と呼ぶことにしよう。

私はそのケイ君のことが好きだった。でも、本当に好きだったから誰にも言わなかったんだ。

やはり同じクラスにワイちゃんと呼ばれている男の子がいた。ワイちゃんはタカちゃんと二卵性双生児で、同級生達から同じ双子とは思えないと言われていた。だってタカちゃんはお顔もはっきりしていて体も大きくて頭もまあまあ。それに比べてワイちゃんは体も細くてお顔も貧弱。お勉強の方もさえなくて・・・・なんか、ねずみ男ちゃんみたいだなあなんて・・。

だけどケイ君は、そのことをズバズバ言う。だけど、だから面白いと言う。そしてなにかにつけてワイちゃんワイちゃんと声をかける。
小学生の時も同じクラスだったけれど、授業中なんて消えるような声で、休み時間なんてどこにいるのか分からないような子だったのに、中学の時は存在感バッチリだった。

ついでにもう一人、エフ井さん。なんていうか、存在自体がキザで、そばにいるとなんかざわっとするような子だった。でも、それは1年の時の話。ケイ君がまた言った。
「凄いよね、エフ井さん。キザも年季が入っちゃって、普通じゃない事言うものね。まねできないよ、かっこいいー。」
その時から、エフ井さんはクラスの人気者だ。何か、キザな事を言うとみんなで待ってましたの大喝采。

正しくまっすぐに見ることが出来る目を持っているケイ君だったから、好きだったんだなあ。

って、ここまでは余談で、やっと本題。
ある日の自習時間、ぼんやり夕べのテレビのことを考えていた私は、余韻をもてあまし、後ろの席のワイちゃんに、
「ねえ、昨日の『アンゼルセン物語』見た?」と聞いてしまった。
とその時、3列離れた窓際の一番前から「へっ、」と笑う声が聞こえてきた。

「しまったー」と思ったけれど後の祭りだ。ケイ君が机に腰掛け、クラス全員に向かって
「昨日、『ルパン』見た人ー?」と大きな声で聞いた。
「見たよー。」って大合唱。あ~ぁ、

するとワイちゃんがトントンと肩を叩く。
「あのさあ、昨日はたまたま見なかったんだけど、あれはいい番組だよ。時々見ているよ。」と言った。
「本当惜しかったね。昨日はハンカチ絞るくらい良かったんだよ。」と嬉しくなって私は言った。
「無理するなよ。」と、ここでは悪役ケイ君がワイちゃんに言った。
・・・・そうか、無理してるのか。でも、いいや。俄然強気になった私はケイ君にハーマイオニーのように言い放った。
「あのさ、いいものはいいのよ。」
「そうそう、いいものはいいんだよ。」とワイちゃんが合いの手を入れる。
「あなたにわかってもらう必要はないわ。」


クラスの人気者だったケイ君の誘導した大合唱に逆らって、味方してくれたワイちゃん、君は優しいね。今、思い出すと心の中が暖かくなる。
君に惚れちゃうな。・・・

中学時代に素敵だなと思っていた男の子の名前を忘れちゃった。なんでも覚えているわけではなくて、思い出にもタイムリミットがあることが分かってきた。じゃあ、ケイ君もワイちゃんも、きっと私のことなんか存在から忘れちゃっているね。だから、覚えている私が書いておくね。線香花火のような思い出ですが・・・
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重たいなあ

2006-05-13 02:42:26 | ’08/12/7までの未整理日記
「重たいなあ」って体重の話ではありません。それも重いけど・・


今朝、夢を見ている途中で目覚まし時計が鳴った。それで目覚めた時、支離滅裂な夢の内容を覚えていた。

みんなもそうなのだろうか。
夢の中に、別の町がある。いつもの道。いつもの電車。いつもの家。いつもの異星人。
今日の夢も定番メニューみたいなものだった。長い支離滅裂な夢は結構面白い。ただ、今日のは、あのセリフが・・

中学校の帰り道は頻繁に出てくるいつもの道だ。ただ、現実とは違って丘の上から見渡せば、時にはあり得ない美しい光景が眼下に広がる事もある。

「この階段結構きついでしょう。『七曲り』って言うのよ。』と私は言っている。
きついのは本当だが、『七曲り』ではない。横浜は丘の街。学校はやたら丘の上にある。『七曲り』は高校に行くために通っていた階段の名前だ。

続けて私。
「私、この階段で転んじゃった事があるの。足擦りむいて、とっても痛かったのよ。」

目が覚めて、ため息が出た
どうして、どうして、私の脳はこんなくだらない事を覚えているんだろう。
転んでしまった事があるのは本当の事だ。ただ、今日夢に見るまで、そんな事を思い出したことすらなかった。

昔のことを人が覚えているのは、思い出しては新たに脳にインプットしなおしているからだと聞いている。でも、こんなこともあるのだ。20年以上も思い出しもしないのに、記憶の引き出しにしまわれている。しかも、あまり意味のないことなのに。

そんな事がいっぱいある。
・・・という事は、捨てれないものは家のガラクタや体重のみならず、「記憶」からしてそうだったのか・・・
かと言って、「記憶」の場合はあんまり綺麗に整理整頓するのも怖いよね。


拾ってきてしまう「記憶」もある。
子供の時から、なんでもすぐ忘れちゃう人だなと思っていた姉が言う。
「京都の清水寺に行った時、かき氷食べたじゃない。外は雨が降っていて、その時私とっても悲しくて、屋根から落ちてくる雨がとっても綺麗だったのを覚えているんだよね。」
―あ~、珍しい。そんなにはっきり覚えているなんて・・。あ~、思い出した。その時私はとっても怒っていて、それでお姉ちゃんは悲しかったのね。その時食べたかき氷も『宇治金時』だったのだけれど、まずくて今でも私は抹茶は好きなのに抹茶ケーキや宇治金時は食べられない。・・・でも確かに京都の通り雨は綺麗だった。バシャバシャ音がして、落ちてくる雨はキラキラ光っていたね。―

忘れないでおこう。これも20年以上も前のことですが。



本当はもっと・・

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「ルパン」

2006-05-11 00:09:48 | 映画
日本で長い世代に渡って人気抜群の「ルパン3世」が、奪ってしまったもの、それは、モーリス・ルブランの「ルパンシリーズ」を読む楽しさだと思う。

「ルパン3世」も面白いが、元祖「ルパン」も決してひけをとらない。この映画は、ルパン誕生100周年を記念して作られた。

フランス映画は昔ほど集客力もないし、それに伴って俳優の知名度も高くない。知っている人は知っているのかもしれないが、私なんかは、近頃ではリュックベンソン監督やジャン・レノやゲイリー・オールドマンぐらいしか知らないって、みんなレオンじゃん。

子供の頃ワクワクして読んだ「ルパン」だが、ロマン・デュリスはなかなかいい感じでそのルパンを演じていたし、内容も盛りだくさんで見ごたえがあった。
監督はジャン・ポール・サロメ。カリオストロ夫人はクリスティン・スコット・トーマス。クラリスはエバ・グリーン。

「カリオストロ伯爵夫人」をベースに「813」「奇岩城」などを取り入れて、と解説にあった。だからなのか、懐かしいようなシーンであり、ワクワクした。欲を言えばもっと推理の場面を膨らませて欲しかったけれど。

もし、この映画を見て怪盗紳士ルパンのイメージが違うと感じる人がいても不思議ではない。ベースにした「カリオストロ伯爵夫人」の中のルパンは若干20歳。まだ駆け出しで青二才、唯一手玉に取られたと言うより負けてしまった相手が、このカリオストロ伯爵夫人なのだ。子供の頃読んだ原作でも、この一冊は他の作品の中の華麗な怪盗紳士ルパンとは違っていたので印象深かった。

その時読んだ本は少年版だったのだろうか。「魔女とルパン」と言う題名だった。


傑作、宮崎駿の「ルパン3世・カリオストロの城」が軽妙なのにクラシカルな感じがするのは、宿敵カリオストロや、クラリスの名を用いたからだと思う。

お気楽だけれど、きめ細かいような作品がみたい時お勧めします。


原作の方は、断然「奇岩城」をおすすめ
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パソコン直りました

2006-05-10 16:33:54 | ’08/12/7までの未整理日記
そういえば、パソコン直りました。

それで、今日はネット依存症の人のように、朝からずーっとパソコンの前にいたかも。

ちょっと反省、主婦しませう、いいかげんに。あれっ、もう夕方じゃない・・や、やばい
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「薬」飲んだら本当の病人

2006-05-10 14:36:10 | ’08/12/7までの未整理日記
病院に行った。・・・連休が終わって一番最初にしたこと。

4月29日に衣替えやら押し入れの掃除をしたら、翌日は鼻炎になってしまい、埃で死なないって言うけれど、病気にはなるなあと思っていた。
でもだるいし、咳もちょっと出るし、喉もイガイガするし、鼻炎じゃないかもと思ったが、ここで「病気」だと自覚してしまっては連休が潰れてしまうので、ここは気がつかない振りをしていよう。

でも5月5日頃、首の下が痛いのに気がついた。触ってみると、小さいこぶのようにリンパが腫れている。やばいかなあ、とは思ったが元気だし、どうせ病院は休みだし、まあいいか。でもやたら、病院に行く夢を見る。きっと私は病院に行きたいのだ。寝返り打つときも首が痛いし、本当は気になって仕方がないんだわ。

で、月曜日に行った。そんな混んでないように見えたが、さすが連休明け。2時間もかかってしまった。薬をもらう時に薬剤師さんが言った。
「眠くなるかもしれませんよ。」
そんなの困る。昼間はやめて夜のんで寝ることにした。

なんとなく嫌な予感がしたので、
「明日は起きないかもしれないけどごめんね。」とだんなと子供に言っておいた。
嫌な予感は当たって、起きれない。起きれないどころじゃなくて、だるくて仕方がない。もう半端じゃないだるさで、何かやっては10分休み、また何かやっては20分休み。

もう、これじゃあ、本当の病人だよ~
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「功名が辻・秀吉の謀反」―適材適所

2006-05-09 01:04:28 | ドラマ (大河)
 ちょっと、こんな辛い事ってあるかな。胸が痛い。

自分の能力不足のせいで、マイナスの結果が起きる。日常の生活や、仕事の中にもそのような事は溢れているかも知れない。そのほとんどは、自分自身が痛い思いをすればいいことかもしれないが、本当に辛いのは、自分以外のものに大きな影響を与えてしまう場合だと思う。

今回の一豊はどうだろう。多くの者の命を救えるチャンスを潰してしまった大失態だったかもしれない。今回の戦いは一豊にとっては叡山攻めより辛いものになってしまったのではないだろうか。

でも、本当に失敗してしまったのは秀吉であり、学ばなければならなかったのも秀吉だ。
「これからは、槍ばかり振り回しているようなやつは要らない。」なんて言っちゃって、一豊に松永弾正久秀の説得を命じるが、どう考えても、そんな説得どうでも良かったとしか思えない。本当に大切ならば、畑違いの仕事を部下にやらせる訳だから、2番手、3番手の手を打っておくのは当たり前じゃない。

という事は、これは様子見か、もしくは練習か・・・。あわよくば平蜘蛛の釜だけかっぱらうつもりだったかな。

いずれにしても、一豊にとっては自分がもっと巧くやっていたらという思いに囚われて、その後の戦で頑張っても達成感など無く落ち込んでしまったことだろう。

時々感じるが、この功名が辻は時代劇の器に入れられた現代劇。
〈ちょっと、遊ばせてください〉
近くのサイゼのドリンクバーなんかのコーヒー持ってきてあげながら
「気にする事ないっすよ、一豊さん」
「よくやったと思いますよ。全く、秀吉部長も調子良いんだから。いきなり営業行けって、それで戻ってきたら『馬鹿もん』だもんね。自分で行けってもんだよね。ありゃ、自分でも自信なかったね、きっと。だって、弾正さんってミニ信長って言われているらしいですよ。あの枯れ親父に、先に首出せ、釜出せって言ったって無理な話ですよ。
だから、本当は一豊さんのやり方で良かったんですよ。先に退き「義」を見せる。だけど、なんたって、うちの信長社長じゃあ、そりゃぁ通用しないですがね。
でも、これからも迷わず、自分流を通していったほうがいいですよ。一豊さんは一豊さんでサルじゃないんですから。あっ、サルって言ったの内緒ですよ。」



またも重い心を引き摺って、おうちに帰れば、聡明な妻は励まし優しく微笑み包み込む。
「家は、いいのう。」
そうよ、おうちはいいところ。


今回も見所たくさんあったのですが、切捨てゴメンでいきました。それでも捨てきれないところ・・・
秀吉のセリフ
「弾正も殿と同じく極悪人ですので・・」
いいじゃないですか、さりげなく良いセリフ。
濃と光秀が、もみじの下で見つめあう所。光秀の肩のもみじより自分の頭のもみじとってください。光秀さん、シナリオのト書きになくても取ってくださいよ。気になるじゃないですか。


コメント (12)
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「ハリー・ポッタ―と炎のゴブレット」

2006-05-07 15:03:31 | 映画
映画館で見逃してDVDでやっと見た。家でゴロゴロ見ることが出来るDVDなのに、見終わって長かったなあと言うのが印象に残ってしまった。原作が長いからではない。前作の原作も長い。でも逆に短く感じた。「面白い、退屈だ」の違いではなく、「軽い、重い」の違いかなと思う。全体的に重いのだ。でも、それはストーリーの内容を考えたらそうならざるを得ない。

「ハリー・ポッター」はこの「炎のゴブレット」で本編が始まったと言う感じすらする。と言う事は、原作が続く限り映画も延々と続いていくと言う事なのか。「ハリポタファン」にとっては、原作はまだまだ続きそうなので、楽しみも続くというものだ。


「炎のゴブレット」が重いのは、死人が出るからだ。原作の最後を読んでいて(やはり、ソファでゴロゴロ読んでいたが)ショックで思わず起き上がってしまった。
「ハリー・ポッター」の世界は本来は子供たちの世界だと思う。子供の世界に「死」はもっと重くあって欲しい。感情移入した正義の者は安易に殺す事なかれと思うのだ。

「死」の受け止め方も大人と子供では違う。よく子供は言う。
「あの人は、本当は死んでないんだよね。」芝居の中の「死」と現実の「死」の違いを確認せずには要られない恐怖が「死」にはあるのだ。

これは、映画の感想というより原作に対しての感想でしたね。
ただ、次回作(原作の)「謎のプリンス」でも死者が出るというので、ここに自分の気持ちを記しておこうと思ったのだ。

同時に借りてきた「チキン・リトル」では、「宇宙戦争」張りに住人をビームで消していく恐ろしいシーンがあるが、安心できる優しい結末になっている。

原作は低学年向きではない。だからこそ、映画を楽しみにしている年ゆかぬ子供たちのためにもう少し楽しい魔法ワールドをのぞかせてもらいたかった。

悪は復活してしまうが、その復活のために正義の人の血が必要だったというのはドラマチックな展開だ。

なんだか、まとまらず、メモのような感想になってしまった。
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「イン・ハー・シューズ」

2006-05-07 01:04:32 | 映画
正直に言ってしまえば、「こうなる、こうなればいいな」という、見る側の気持ちをそのままなぞらえていくストーリー展開だ。はっとするような驚きも、斬新さも無いが、「こうなって欲しい」というみている者の願望をなぞっていくので、ほっとする安らぎと感動がそこにはある。

〈ちょっとネタばれあり〉
頭脳明晰で弁護士のキャリアウーマンの姉のローズは容姿にコンプレックスありで、妹のマギーは美人でセクシーだが、文もまともに読めず、計算も得意ではない。

恋のチャンスなどめったに無い、ローズは職場の上司とのロマンスで横に寝てい
る男の寝顔を写真に撮っちゃたりする。読書障害のマギーはその事がコンプレックスで定職に付かず男を引っ掛けてはおごってもらうような生活をしている。

素行が悪くて、愛のない継母に家を追い出されたマギーはローズの家に転がり込むが、そこでもやっと出来た姉の恋人を誘惑してしまい、仲たがいをしてしまう。

最低の二人に起死回生の道はあるのか、というところだが、その道は死んだと聞かされていた祖母の存在にあった。


人は誰でもコンプレックスぐらいある。容姿だったり、能力だったり、家の環境だったり。その、コンプレックスにどれだけ向き合っていけるかで、人は成長できるのかもしれない。

ある時には、視点を変えて自分や周りの人を見てみる。ある時には、環境を変えてみる。

マギーを導いたものは、祖母の、そして周りの人たちの愛だったと思う。子供は愛の無い家庭ではその行く道の地図を失い迷ってしまうのだ。

どう見ても破滅型のマギーだったが、仕事探しのとき、妥協せず自分がやりたい仕事を探しているのが心に引っかかった。姉の素敵な靴をはき、仕事探しをしているマギーは自分探しをしていたのかもしれない。


姉の結婚式で、マギーが読書障害を乗り越えて詩を朗読するシーンは感動的だった。


あまり、姉の事には触れていないが、そのローズはトニ・コレットが魅力的に演じている。マギーはキャメロン・ディアス。祖母はシャーリー・マクレーン。

〈何か見て、頑張りたいな〉という時にお勧めします。

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一族の食卓

2006-05-05 11:05:18 | 家族スナップ
今度の連休は、どこにも行かずごみ捨てや、押入れ奥の掃除や、本箱の移動などをひたすら遣りたいと思って、横浜の実家にも帰らず頑張っているわけだけれど、向こうから来られる場合は仕方が無く時間を割かねばね。

かといって、それは横浜の住人ではなく、だんなの家族。熱いお茶が程よく冷めるところに住んでいる独居老人の姑のところに全員集合だ。

だんなの兄弟は三人兄弟で、三人そろってイケメンだ。・・・・訂正元イケメンだ。だってみんな、もうおじさまだし・・

私はだんなの兄弟とお話しするのが、とっても楽しいので大好きだ。と言っても年も違うので、ほとんどずっと聞いている。よく喋る陽気な酔っ払いなのだ。彼らの家族は聞き飽きているのかもしれないが、すぐに席を立ってしまうので、いつも義母と私、それに二人の義兄でずっと喋っている。

近頃、その席にラッタとルートが加わっていることが多く、程よいところで、チャチャを入れている。
ある時、長男の義兄が
「いいねえ、楽しくて。いつもこんななの。」と言った。
「はあ、さようでございますですよ。」
「男の子はいいねえ。」
わたしゃ、お返事しませんって。だって、男の子がいいのじゃあ、ありゃしません。うちの子供たちが面白いのでございますよ。

しかも、お兄ちゃん、うちの子供たちは、相槌入れているだけで話していないのですよ。ただ、楽しそうな顔をしてじっと耳を済ましているだけ。

楽しい食卓と言うのは、巧みに話す人と巧みに聞く人とがいて成り立つものなのですよね。


だけど昨日は・・・

「うちの子供たちはみんなたいしたことが無かった。どの子もダメだ。」と義兄が言ったので、つい、私は
「どの子もダメなんかじゃないジャン。」と強く言ってしまった。そのあとも、なんか言ったけれどうまく伝わってないのが分かっているので省略。

何か寂しいのかなあ・・・・。言い返さないで、
「そんなこと無いじゃん。みーんな、いい子で良かったよね。」とにっこり笑ってた方が良かったよね。


まっ、いいか。
B型女は立ち直りが早い
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