森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

姉妹で行こう💛松島その2★瑞巌寺

2024-05-31 01:50:35 | お出掛け日記

・「姉妹で行こう💛松島」の続きです。

お食事が終わって、さあ次はやっぱり「瑞巌寺」でしょう。

 

船の中で、瑞巌寺の説明を聞いていた時、元々は天台宗であったのに、今は臨済宗であると知り、いったいどのような経過でそのようなことが起きたのだろうかと気になっていました。

時の権力者によってそうなったのかしらと、姉とも話していました。

それで詳しい「瑞巌寺」の説明は→瑞巌寺 - Wikipedia

残っている文献の伝説(?)ではけっこう呪詛しあったり闘ったりと、やはり穏やかではなかったですね。

 

だけど

入り口からずっと並んでいる、この石像たちは天台宗時代のものからのも、ちゃんと存在していて、その歴史の流れを感じさせるものがありました。

 

ところで門を入ったすぐのところに「鰻塚」があります。

ウキィ様に寄れば

>大正12年9月、松島湾で捕れた鰻の供養として地元民の寄付金で鰻塚が建立された。

と、あります。

この風景を見て思わず私

「うーむ。これは既に心が穢れている人には、アレがあれに見えると言う事か・・・・。」などと呟いてしまいました。

それも鰻と言う言葉が連想させたのかも知れません。

いったい何を言っているのだろうかと、さっぱり分からない方は、お心がまだ澄み切っていると言う事なのでスルーしてください。(;^_^A

 

というわけで次に行きます。

 

近頃流行りの廃墟マニアの方が喜びそうな階段が残っていました。もちろん登れません。

 

撮影禁止だったので、残念ながら画像はないのですが、宝物殿や本堂の重要文化財の障壁画など見応えがありました。

 

なんか凄い・・・・。

 

宝物殿の出たところには

3.11の津波による塩害で、枯れてしまった300本の杉を伐採したらしいです。悲しいことですが、その復興を信じた登竜かと思うと素敵だなと思いました。

 

そう言えば前の記事で書きそびれてしまったのですが、船の中の説明で、一番心に残ったのは

「3.11の津波の時、これらの島々が自然の防波堤になった。」と言う言葉でした。

確かに津波の海水は瑞巌寺の参道まで入り、杉並木の風景を変えてしまったと思います。だけど島々に守られてそれだけで済んだのだとも考えられるのかも知れません。

 

さて、次は五代堂に行くか円通院に行くかと悩んでいたところ、名都さんが甘味処を見つけたので、そこで何か甘いものを食べて次を考えようと言うことになりました。

が、早くも閉店していました。

嫌な予感が。

その隣にあった円通院・・・・・拝観は終了しましたと言う看板が出ていました。

受付にいる人が、「今は中にあと二人残ってる。」と中の人のチェックをしていました。4時終了みたいです。

この時、ちょうど4時だったのです!?

仕方がないので山門から中の緑の綺麗な風景を撮りました。

 

疲れていたので丁度良かったかも。

松島の街の風景です。波の芸術があちらこちら。

昔の修行の場所かしら。

交番です。趣深いですね。

 

駅のホームにて

この駅には展望台があるのですよ。

いろいろと見逃したと思うけれど、バイバイ松島。

4時終了、早いよ~、松島!!!

 

そして再び仙台へ。


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