森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

備えがあっても憂いは生じた

2020-03-12 11:01:38 | 思いつくまま

また今年も3月11日がやってまいりました。

そして9年が経ったのです。

だけど今はまた新たな苦しみにみんなが絶えている所なんですよね。しかしながら災害に疫病に苦しんできたのは、ずっと人類の歴史の昔から繰り返されてきたことなのではないかと思います。

水辺に生えるか弱い葦のように私たちは為すすべきこともなく、オロオロするばかりなのでしょうか。

 

先日集まったサークルの会合では、戦時中の話の後、「3.11」の「あの時、私は」と言うテーマになりました。もうこの話題は何処で終わりが来るのだろうかと言うくらいに、皆が活発に語りました。

そしてまた、あの後何が起こったのかと言う話にもなりました。

スーパーからいろいろなものが消えたあの時・・・・。

まるで今を思わせるあの時の思い出でした。

 

確かに、私の街は多くの死者を出した被災地ではありません。それ故、あの時私たちレベルの大変だったことを、何か言い辛いような気もして語らずに来た事がありました。でもいつか語りたいと思っていました。たぶんそれは今なのではないかと思います。

 

私はシンプルライフって素敵だなと思っているんです。整理整頓の収納の達人にも憧れるし、スーパー主婦と言う人たちの事も尊敬しています。ただ私、「ミニマリスト」と言う人たちも素敵な人たちだなと思いつつ、自分の生活とはあまりにも真逆なので、自分は絶対にならない人たちだなと思うのです。もちろん素敵だなと思っているのは本当で、だからサイトなんかも時々覗いたり、またはブログなども読まさせていただいています。

ある時テレビで、そのクラスタのある人が

「私なんか、トイレットペーパーなんか最後のひとロールになったら買いに行きますよ。」とにこやかに笑いながら言ったのです。

私はひとり暮らしの人みたいに、テレビに向かって「ダメよ、そんなの。」とか言ってしまいました。姉にその話を言うと、人それぞれだから、それが素敵ねと思えばマネするし、違うと思えばスルーするだけと言うようなことを言いました。確かに正論です。だけどテレビって影響力があるじゃないですか。

在庫を抱えない生活って、シンプルで素敵だと思うんです、本当は。

だけどそれはずっと何もない平穏な日々が続くと約束されている時に限ってはなのですよね。

 

トイレットペーパーは、シングルかダブルかでもロールの数が違ってくると思うのですが、ギュッと巻いてあるシングルで、我が家の適正在庫量は12ロール以上だと思っています。つまり6ロール入りが二袋以上。その数を意識するようになったのは、その3.11からなんです。それまでは一袋の6個で十分だと思っていました。

普段の生活で必要なもの備えるようになったのは、たぶんこの頃かと思います。「この頃」と言うのは、2006年の
備えないので憂いあり」と言う記事を書いた辺りからです。

まだブログも始めて間もなかったものですから、自分だけが分かるような文章を書いていました。(今もかも(^_^;))

今はこんな風に寝る時間が遅いものだから、あまり夢を見ない人になってしまったのですが、その頃はよく夢を見て、そして夢から何かメッセージみたいなものを感じる事があったのです。

今でもその夢のあるシーンはよく覚えているのですが、リンクした記事を書いた二日前、夢を見たのです。

事も有ろうか、富士山の大噴火の夢だったのです。なぜか私は故郷の道を歩いていて、横浜には火山灰だけが雪のように降り続いているのです。それは本当に雪のようで、街は真っ白になり、なぜか半端のない量の路駐の車のボンネットの上にも降り積もっていたのです。そして夢の中で私は言いました。

「どうしよう。家に何もない。買い物にも行けないと言うのに困ったわ。」と。そして二日後、朝起きたらすでに雪が降り続けていて、私は夢の中の言葉と同じ事を言っていたのでした。

今思うと、夢の中の世界では、買い物に行けたとしても、たぶん何も売ってなかったのではないかと思います。富士山大噴火なんて、そして横浜にも火山灰が振る程度だったら、そうとうの災害ですものね。

そんな経験を通して、「備えないので憂いあり」の生活は止めようと思ったのでした。「そんな経験」と言うのが夢&雪と言うのは、幸いの最たるものだったようにも思えます(^_^;)

 

と言うわけであの3.11の時、いろいろなものが十分に家にはあったのです。

と言っても、たまたまの運の良さもあったのです。なぜならその週の水曜日に生協が「お米」賞味期限が長い「ロングライフのパン」などを持って来たばかりだったからです。実は水の備えはなかったように思います。だけど幸いにも私の地域では、水はちゃんと供給されていたのでその時は良かったのです。

もちろん上に書いたような「そんな経験」もあって、トイレットペーパーにティッシュにラップ類、みんな家にありました。

私はそれで少し傲慢な気持ちにもなりました。「私って、偉いわぁ。」みたいな。

 

ところが本当の恐ろしさは、その後に来たのですね。自分の事を褒めたくなるほどちゃんとしていたと思っていたのに、それらが無くなる頃になっても、流通がまともに復活しなかったのです。皆無くなって行ってしまいました。

「ある」と言うところから始まった我が家でもそうなのですから、「ない」から始まった家は、本当に大変だったと思います。

よく「三日分の備蓄」とか言うじゃないですか。あれは被災地の事で、三日間持ちこたえたら何らかの物が届けられる(かも知れない)と言うことを言っていたのだと、しみじみと思い知らされました。被災地周辺の流通が止まってしまったところなどは1か月はまともじゃなかったように思います。

 

震災の翌日、その頃は独居老人だった姑を誘って、普通の買い物にスーパーに行くと、お店は凄い事になっていました。みんなが買い出しに来ていたのです。私は意味が分からずにポカーンとしていました。そして長蛇の列に並んで普通の買い物をして帰って来たと言う虚け者です。私の前に並んでいる若い夫婦の夫の人が、並んでいる間もお餅の袋などを見つけると、手に取り考えているような仕草を見せると、それをカゴに入れました。

それを見て、ああ、そう言う意味かと気が付いたようなものです。←相当なアホな私。

だけど家に帰ってから、それは必要な事なのかなと考えました。

その時も私も夫も、ある映画のシーンを思い出しました。他の記事にも書きましたが、アメリカ映画の何か特別な事があると、住民がこぞってスーパー―に行き窓ガラスなどを割って、根こそぎ持って行ってしまう暴動シーンです。

あの時も海外から、わけの分からない事で褒められた日本人ですよね。

「ちゃんとレジに並んで買い物をしている。」と。いや、どう考えても普通だろ、それは。

だけど本質は一緒なんですよね。

私も昼間のスーパーでの出来事を思い返し、不安になり夜になって夫殿に言いました。

「たぶん、もう駄目じゃないかと思うのだけれど、明日、買い物に行った時に、もしあったらお米もパンもカップラーメンとかも、なんか諸々買っておこうかな。」

「もう駄目だな、たぶん。」と夫殿。

そして予想通りにまったくダメでした。

こんなにガラガラのスーパーの棚を見た事はありませんでした。だけどカップラーメンはあまり食べる習慣もなくて、ほかの物は家にありましたので焦る事はなかったのですが、そのガラガラの棚がいつまでも埋まらない日々が続くなど、思ってもみない事でした。

 

ただでさえ揺れる毎日でストレスが溜まっていくと言うのに、毎日のささやかな習慣を変えなくてはならないのは、ストレスの重ねになって行ってしまいましたよね。

朝食にパンを食べたいパン好き。珈琲には牛乳を入れたい派。

我が家は牛乳に負けないインスタント珈琲派なので、牛乳が無くなってしまっては、そこにパウダー系のミルクを入れていましたが、はっきり言って好みではなく我慢の日々が続きました。

その時、いざという時のためにトイレットペーパーを車に乗せておくと言うアドバイスを受けました。だけど余分なそれがありません。それで私は、それしかなかったからなのですが、初めてダブルの柄と香り付きでバージンパルプと言う、贅沢の極みにしか感じないペーパーの4個入りロールを買いました。

出来る限り普通の生活をしようと、いつもながらの生活習慣で、自転車の前と後ろのカゴ一杯の買い物をしたら白い目で見られたとか、嫌な想い出もいっぱいです。でもその時は姉に叱られたんです。

「カゴの中を見て欲しいと思うわ。品薄になっているものなんかひとつもないと言うのに。」と私が言うと、

「いつもと同じの『普通の生活』ではダメなのよ。」と教えてくれたのです。

けっこう、その頃は昼と夜に働いていたので、こまめな買い物は厳しいものがあったのです。なんだかんだと無理を強いられました。(だから病気になったのかしら・・・? )

 

あの時、少し離れたスーパーに行ったら、そこは関西系列なのかいち早くお米もパンも牛乳もあって、本当に嬉しかったです。レジに並びながら、友人に電話しました。

「あるよ~、ここに、みんな。」

「ありがとう !!!   すぐに行くわ~ !!!」

まるで天国はここにあるよみたいな感じ(笑)

そしていち早く対応してくれた、このスーパーに感謝すらしたのでした。

 

確かにそれなりの苦労はあったけれど、やはり本当の被災地の大変さを思ったら、こんな程度と今でも思ってしまいます。

だからあの時は語れなかったのです。

だけど学ぶことはたくさんありました。

 

学んだけれども悲しいかな、人は忘れてしまう生き物なんですよね。

備蓄とか、普段から万全ですか ?

 

こういう事に、完璧はないのですよね。だけどそれなりに考えながら、やはりこれからもやっていこうと思います。

外出できない今、それらの整理や自分の家の必要数のチェックなどをするのも良いかも知れませんね。

 

ところで最後に、3.11の震災後のモノ不足が続いていた頃、私が見たツイッターのツイートで、凄く腹が立ったものがあったのです。

みんながパンが買えなくて、パン屋情報とか、パンが食べられない事を嘆いたツイートを流していた時に、それを愚かと思ったのでしょうか。

汚らしいパン屑が落ちているようなお皿の上に乗っている食べかけの食パンの画像に

「パンが食べられなかったらお菓子を食べればいいじゃない。w」と言う言葉が付いていたもの。

 

画像も汚いけれど、心も汚いなって思わず感じてしまいました。m(__)m

この上の数行って、見えない誰かに対しての攻撃になってしまい少々の胸の痛みを感じますが、敢えて書かせてくださいね。それは9年経っても、やっぱり不愉快に感じるのです。もちろん呟いた方は西の方ですよ。その時、西に住む方にとっては対岸の火事に感じている方もいらしゃったのかもしれません。もちろんほとんどの多くの人がそうではない事は分かっています。阪神大震災を対岸の火事だと思った事などないからです。

たぶん私は、そのツイートをわざと忘れないようにしているのだと思うのです。自分への戒めとして。

 

最後は、綺麗な画像で閉めますね。

昨日もお散歩に行ったので。

♪ 花は 花は 花は咲く~♪♪

 

 


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