9月に読んだ漫画の記録です。
「萩尾望都作品がたくさん♪」と言う記事に書きましたが、9月はフラコミにて萩尾氏の漫画が大量無料放出がありました。その時、2作品を読みました。
一つは「海のアリア」です。この作品の初出は1990年。私の子供たちがまだ小学校に上がる前の作品です。
如何に萩尾望都氏の漫画が、今の私を作ってきたと言っても、やはり読んでない作品があるのです。
それは主に子育ての頃。
その頃は子供に合わせて「コロコロ」とか「少年ジャンプ」とか読んでいましたから(笑)
嵐の朝、海に投げ出され遭難してしまったアベルは記憶を失い、遠く離れた沖縄で発見される。
その後彼は音楽教師のアリアドに「君はベリンモン、私の楽器だ。」と言われてしまう。
不思議でしょう、このあらすじ。これはSF。
楽器になってしまうという発想、凄くないですか?
ただアベルが発見された沖縄でのエピソードが、素敵だったがゆえに逆に中途半端なような気がして、ちょっと寂しく思いました。
優等生だったアベルとその家族の物語も描き切れていたのかと思ったし、悪魔のように変化したアベルの学園物語は面白かったのですが、登場人物がもったいないような気がしました。
それでもアリアドの物語になると、切なさが倍増。何となく萩尾節が花咲いたという感じ。
そして、あれっ、こんな日常的なシーンで終わるのっていう感じも良かったです。
だけどこのアベルは、本当のアベルと言うわけではないよねと、思わず考えてしまいました。
もう1作品は「AWAYーアウェイー」。こちらは2014年からの作品で、もう子育て世代ではなかったけれど、父の闘病や仕事などで、漫画などを読む余裕がなかったのだと思います。
だけど2014年は「王妃マルゴ」とか読んでいました。ブログって、やっぱり便利ですね。感想を書いてないのに、書こうと思ったのか下書きで記事が残っていました。
「AWAYーアウェイー」はある朝突然に、世界から18歳以上の大人たちが消えてしまうのです。
徐々に分かってくるのですが、もう一つの別の世界があって、そこには18歳以下の子供がみな消えてしまった「HOME」と言う世界があるのです。
ちょっと大人が消えた世界と言う所で、「未満都市」を思い出してしまったのですが、あちらは細菌で20歳以上になったら死んでしまうという世界でしたね。
こちらは18歳になると、判で押したように子供たちは「HOME」に行ってしまうのです。
大人のいない世界がいかに大変かと、本当に感じます。即死亡者が出てしまう案件もありました。それにいち早く気がついた子供たちは凄いなと思いました。
それは何かと言ったら乳幼児たちの世話です。
彼らは持てる力を助け合ってのレベルではなく、誰かの世話がなければ、すぐに死んでしまう存在なのです。
赤ん坊たちの世話をしながら、大人に近い年齢の者たちがリーダーになって他の子供たちも支えます。だけれど、そんな彼らも18歳になると消えてしまうのです。
じゃあ、大人の世界は良いのかと言ったら、そうでもありません。18歳になって親の元に帰った子供たちは、確かに待ち構えていた親たちからみたらホッとできる出来事かも知れませんが、自分の子供が帰ってこない親たちからすれば、それは羨望からか、または自分の子供の情報を聞き出そうとしたいが故なのか、付きまとったりして、戻った子供たちはまともな生活さえ送れなくなることもあったのでした。
それに子供を出産しても、つかの間の時間しか手元にはいなくて、あっという間にAWAYに去って行ってしまいます。
大きなストレス社会としか言えないと思います。
そしてそんな世界になってしまってから、数年がたち・・・・
なぜかというのも説明されますが、なんでかちっとも頭に入ってきませんでした。
お馬鹿になってしまったのだと思いますが、かなり他のエピソードが印象的だったからかもしれません。
「とにかくそういう世界になってしまった。」で、私的にはokだったのかも。
この子供だけ住む世界に、なぜか取り残されて「HOME」に行けなかった人が出てくるのですが、子供たちからは頼りにされても暴君とかにはならず、取り残されたことに震えます。この人の孤独は計り知れないなと、私はそう感じました。
この漫画には原案がありました。小松左京の「お召し」です。読んでみたくなりました。
・・・