11月22日に雨の中、「上野の森美術館」に行ってまいりました。
この美術展は、1月13日まで東京のその美術館で開催されています。その後は兵庫県立美術館で1月25日から3月29日までです。
映画の「永遠の門」を見たのは、このための予習みたいなものだったのです。
ブログ内で、何度か、私はゴッホが苦手で、いわばラスボスのようなことを言ってました。
なぜ、彼がラスボスであるのかと言うと、これもまた同じことの繰り返しですが、私には何人かの苦手な画家さんがいたのです。
ひとりはムンク。また一人はゴーギャン。そしてまた一人はこのゴッホだったのです。
ただムンクについては「ムンク展ー共鳴する魂の叫び」をお読みくだされば幸いです。かなり熱く彼への愛を語っています(笑)
ゴーギャンは、まったくその絵の良さが理解できず苦手だったように思います。
だけどその彼も・・・・
「ゴーギャン展」に行きました」の記事で、また長々とその感激した感想を書いています。
それで最後に残ったのが、ゴッホだったのです。だからラスボスと言うわけなのですね。
昔、彼の絵はそんなには苦手ではなかったのです。むしろなぜか親しみ深いような気がしていました。ところが大人になってからのある日、彼のヒマワリか何かの絵をじぃいいっと見ていたら、ブルルと心が震えました。神経を逆撫ぜするような感覚。
たぶんたった一枚の絵から、彼を苦手に感じるようになったのではないかと思います。
だけど、私はムンクやゴーギャンでもそうでしたが、苦手なものをそのままにはしておけない人なのかも知れません。
それにいろいろな企画展にも彼の絵は出品されていることも多く、それらに触れて良い印象の作品の方が多く、それでようやく、「さあ、今年は『ゴッホ展』に行くぞ。」と言う気持ちになったのでした。
今回の展覧会では、正直なところ、怖いなと思うような作品は一枚もありませんでした。
初期作品から展示されていたのも、彼を知る良い機会になったのかも知れません。
それにしても、私はなぜ彼を今まで怖がっていたのかしらと、とっても不思議な気持ちになりました。
怖いと感じた「ひまわり」が無かったからかも知れません。
そしてまた不思議に感じたのは、なぜこれらが生前にまったく売れなかったのだろうかと言う事だったのです。
確かに斬新過ぎるものは、時を待たねばならなかったかもしれませんが、アルル以前やサン=レミ時代以前の作品など、ごく普通に売れても良かったのではないかと思えたのです。
寝室やリビングに飾ると言う絵画の働きを思えば、部屋の中で手紙を読んだり楽器を奏でたりする女性の絵は飾りやすくても、貧しい農民の家族が肩寄せ合って、ジャガイモを食べる姿や、美しくもない農夫の女の絵は、相応しくないと思えたからでしょうか。
今では普通に受け入られることに、ひとつひとつ門を開いて行かなければならない時代があったのでしょう。
ふーんとかへぇとか思いながら、絵画展の順に沿って進んでいくと、今回の一番の見せどころの「糸杉」がある部屋にやって来ました。
それはサン=レミの時代に描かれた物たち。
私は吃驚して、思わず、トトトと前の部屋に戻って、またその部屋に入りなおしてみました。私は二度、同じような驚きを感じて、それらの絵と対面したのです。
私の目から見たら、まったく違うものに見えたからなのです。
ゴッホの燃えるような絵たちは、彼の狂気が描かせたものではなく、彼が落ち着いてちゃんと正常な時に描かれた物らしいです。
彼の狂気は、ある種のテンカンとも言われ、または統合失調症とも言われていたりしますが、いずれにしても、それは彼の苦しみであったことには間違いのない事だと思います。あの耳切り事件もゴッホ本人は覚えていなかったのですから。
だけどその苦しみさえも、彼にとっては必要なものであったのだと、私思ってしまったのでした。
冬の寒さを知って美しい花を咲かせる春の花たちのように。
≪サン=レミの療養院の庭≫、とっても好きです。
ご一緒したお友達が、「ああ、あの花がたくさんの絵ね。」と言いました。
「うん。」と言いつつ、「花 ?」とか思ってしまいました。もう一度見直すと、確かに花盛りの庭。私はいったい最初に何を見たのでしょうか。
たぶんそれは、その絵から湧き上がってくる自然たちの生命力だったのではないかと思います。
それに続く「糸杉」の絵は圧巻です。
(あんなに気絶ばかりしていたと書きましたが)、ゴッホが絵具を取って、キャンバスにグワッと置くシーンが頭に浮かんだのは、映画を見たばかりゆえの妄想だったと思います。
それゆえでしょうか。絵葉書コーナーで、今までにない感情が沸き上がりました。絵葉書などを買い求めるのは、私のコレクション、つまり趣味のようなものですが、なんとなく躊躇してしまったのです。グズグズとしている真横で、二人の女性が、私の気持ちを代弁してくれていました。
「絵葉書になっちゃうと、全然違っちゃって迷うよね。こんなの、平面でのっぺりで、さっき見た感動が薄れちゃう。」
― なるほど~。私の迷いもそこか~。
悩みつつ、やっぱり買う私。
あの迫力は消えてしまっても、やはりそれを見直しながら、「よしっ、頑張ろう。」と言う気持ちになりたいものだと思ったからです。
と言うわけで、私の中のラスボス制覇。
制覇すると、むしろ「好き」に変わる私です。
ゆえにゴッホは、私の好きな画家のひとりになったのでした。
↑ 看板など。
買ってきた絵葉書です。上の看板の「薔薇」の絵葉書も買ってきました。母にあげようかなと思っているのですが、なかなか行動に移せていません。
それと下のガイドブックも買ってしまいました。なかなか解説が面白いのです。
上野の山は、その頃は紅葉一歩前。
だけど上野はゴッホとパンダだ!!
この季節のツリーがひまわりだものね♡
そして花より団子タイム。
絶対に貸し出さない美術館のゴッホの絵を見るために、チユーリッヒまで行きました。思いきってよかったです。南仏に移ってからの絵がいいですね。
ゴッホ展、私も行ったのよ~~!
糸杉、迫力でしたね(^_-)-☆
パンダツリーもかわいらしくて、黄色いせいか元気がでました(*^▽^*)
私は出口右の「あなたもゴッホになれる?」というブースで写真撮ったのよ、面白かったよ。
今は美術館もいろいろなしかけをしていて、楽しいですね。
寒さが増してきましたが お体に気を付けてお過ごしください(*^-^*)
ラスボス=馬鹿でかいというイメージなので、kiriy さんがそういう意味で仰るわけではないとわかっていても、ゴッホが巨大化しているのを想像してしまうとおかしくて笑
ちなみに私にとってのラスボスはムンクです。
ゾワゾワしてしまうんです。確か松方コレクションにも展示されていて、意外にも好きな絵もありましたが、本当にダメなのは近づけませんでした。
そして、ゴーギャンも色が苦手です。
感想もハガキもツリーも同じで、とても嬉しかったです。
今年、というか、これが今までで1番の展覧会でした。
ゴッホが好きになった令和元年でした。
素晴らしいですね。
>絶対に貸し出さない美術館のゴッホの絵を見るために、チユーリッヒまで行きました。
「大好きなゴッホ」と言われるだけの事はあるなと、感激いたしました。
ゴッホは、やはり不思議な人だと思います。
興味を強く感じたので、彼の子孫とかいろいろ調べてしまいましたが、ゴッホ美術館のために尽力を尽くした弟の妻や息子などにも感激しました。
誰かを好きになることは楽しい事だなと、また強く想いました。
ヤマザキさんも行かれたのですね♡♡
なかなか良い美術展でしたよね。
私も外の「あなたもゴッホになれる」はチャレンジしましたよ。絵だと普通にゴッホの自画像かと受け入れられるのに、あの色が自分の顔に乗ると、まるでゾンビみたいだったので笑ってしまいました。
今日も本当に寒かったです。
お互いに風邪なども引かないように、気を付けて、あとわずかの今年を頑張りたいものですね。
最近の美術展は、本当に色々と工夫がされていて、面白いと、私も思います^^
>ゴッホが巨大化
なんか似合う・・・・www
楽しく想像できてしまう所が良いですね。
なんかゴッホおじさんと言うキャラみたいに感じます。
これからは彼を「ゴッホおじさん」と呼ぼうかな。なんかちょっとだけ彼に付きまとう、彼の悲劇性が薄れるような気がしますから^^
そう言えば、ムンク。松方コレクションでの彼の労働者を描いたあれは、私も初めて見たような気がします。友達もムンクは苦手だと言っていましたが、あの絵を見て、考えが変わりそうだと言っていました。
私は学生の頃に、「エイ、ヤー」っと勇気を出して見に行った時から好きになったのですが、今でもちょっとだけ見る前は気合が入ります(笑)
今度の美術展の感想ばかりではなく、苦手な画家も同じだったという事には、ちょっと驚かされました
そして
>ゴッホが好きになった令和元年でした。
と言うところもね♪