なんかいろいろありまして、そんないろいろある時は、やはりブログを書く時間がありません。
でも今から、いつも書いている事、書こうと思っていたことなど、どかどか書いて行こうかと思います。と言って、いつも大して書けないわけですが、今日は頑張るかな。ちょっとだけ。何となく「たまっている感」が嫌なので^^
「べらぼう」第10回は瀬川の最後の花魁道中に尽きる感じがしました。
本当に、小芝風花さん綺麗でしたね。
あの最後の花魁道中は、「いつか私も、この世界から抜け出して、あの門から出て行こう。」と不幸せな生い立ちでここに流れて来た女性たちに夢を抱かせるのに十分なものがあったと思いました。
たとえ目の前に、好きだった男が仁王立ちで立っていても・・・・・。
二人は微笑みながら通り過ぎていきました。
二人の夢は同じ夢。
この吉原を盛り立てて、いつかあこがれの場所にさえ変えてみせる・・・・・。
原宿じゃあるまいし、そうはならないだろうー。
とか、
億単位のお金を出してもらったって、しょせん買われたようなもんだろう。
どんなに大金で買われた女だと言っても、たかが女郎あがりにすぎないだろう。
とか、
って、今の感覚を持ち込んじゃ理解できない世界だと思いました。
江戸時代は結婚できない男がいっぱい。だから治安維持のために遊郭は生まれた・・・・
それが良いことなのか悪いことなのかは、今は論ぜずです。だけどそう言う社会では、人々の道徳的感覚は、今とは若干微妙に違っていたのだと思います。
そして、この場所から高い文化が生まれました。
「青楼美人」には瀬川も載っていました。
女郎たちの女郎ではない時の姿・・・・。
素晴らしいアイデアですよね。
それはこちらで見ることが出来ますよ。→青楼美人合姿鏡 文化遺産オンライン
出来上がった、本を瀬川に渡して欲しいと松葉屋に頼むと、「忙しいから自分で渡してくれ」と言う松葉屋。
「えっ、良いんですか。」と蔦重。「何でダメなの。」と松葉屋。
このシーンが好きでした。
江戸城の田沼に出来上がった本を献上しに行くと、田沼は「ありがた山か。」と彼の事を覚えていました。
蔦重を助けるもの、それは彼自身の知恵と、そしてまた知恵と力と分別のある人々の人脈だと言えるでしょう。
僅かな気配で、もろもろなことを悟ってしまう(分かってしまう)鳥山検校の蔦重の声を聞いて、微妙な顔をしました。
また鶴屋は、蔦重の本を見て「これは売れません。」とにっこり笑いました。
何でなの !?
次回がとっても気になります。
あっ、そうそう。今回の尾身さんは、簡単でしたね。こんな風に気っとどんどん真ん中に出てくるのよね、きっと。
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