「この時を待っていた。」とトウが言いました。
あっ、やっぱり、このセリフよね、と、私は思いました。
と言うよりも、トウが言う前に、そのセリフを呟いていました。
「鎌倉殿の13人」が面白くて素晴らしいのは、役者さんたちが、皆それぞれの役の人生をそれぞれに生きているように感じられるからだと思うのです。
そしてそこには描かれていない物語が存在するー。
特にこの善児とトウは、本編とは別に、視聴者たちにそれぞれの物語を思わせていたのではないでしょうか。
親を目の前で殺された少女。如何に幼かったと言っても、幼女ではありませんでした。その少女が命を助けられたからと言って、素直に弟子になるわけはありません。描かれない物語があったはずです。
例えば、こんな物語・・・・
《 善児と言う男に家に連れてこられた日、粗末な食事が出されたけれど、とても怖くて何も口にする事が出来なかった少女トウ。
震えながら部屋の隅に寝て、そしてただずっと震えていた・・・・。
そんな事が数日続いた後、あまりの空腹にやっと食事に手を出したけれど、その時、箸を短刀を持つように握り締めてみた。
だけど何にも殺気だってもいないし、ぼんやりしているようにしか見えない男なのに、トウは善児が怖くて仕方がなかったのだ。
今はダメだ。だけどいつか必ず強くなって、この男を私が殺し、親の仇を取るのだと、トウは泣きながらその粗末な飯を食べた。
だから善児から教えられた辛い修行も耐えられた。
いつか、いつの日か、と思っていたから。
そして泣かなくなった。あまり深く考えないようにした。考えれば、涙をこぼし、善児に心の内を悟られてしまうから。
そして考えれば、このぼんやりしているような顔の男が、ふと可哀想だなんて思ってしまうから。
ある日、トウは小さな男の子の母を殺した。
そんな外道に落ちた哀しみなどはまったくなかった。ただ仕事をやり遂げた達成感があった。
トウは思った。私はこの善児の娘になってしまったのだと。
ある時、義時が頼家を殺せと言ってきたので修善寺に行った。
頼家の家に向かう途中、トウの心はキシキシと軋んだ。私はこの土地で父や母に慈しまれながら育てられたのだとトウは思い出す。
いつか、いつの日か、と思っていたのに。
だけど目の前で善児が頼家に殺されそうになると、自ら切りかかり善児を助けるトウ。
それは受けた仕事を失敗したくなかったと言うのもあったけれど、自分以外の者に、彼、善児を殺させたくなかったからと、トウは自分に言う。
しかし仕事が終わった時、善児は頼家に刺されて、胸の血を見て「しくった」などと言っている。
このままでは、この男は死んだ頼家に殺されてしまう。血に染まった善児はまったく怖くない。今だ。今しかない。
トウは言う。
「この時を待っていた。」
「父の仇 !」と。
何故か泣きながら。』
「鎌倉殿の13人」の登場人物の多くは、はじまりの時と終わりの時が同じになっていて、まるで円として結んでいるようです。
善児の始まりと終わりは、このトウと言う少女を拾い、そしてその少女に殺されることだったのだと思いました。この修善寺で。
それに『「修善寺」に行きました !』のラストに書きましたが、「終善児」などと言うダジャレのような事を書きましたが、あながち遠い事ではないと思いました。いつもタイトルに込められた二つの意味。善児の終わりか、または善児修めか。ああ、だけど「修め」だと字が違うな・・・^^
それにしたって、三谷氏、なぜこのアサシンに「善い児」という皮肉な名前を付けたのかと思っていましたが、このタイトルの為だったのではと思ってしまいました。それも三谷氏だと、あながち違うとは言い切れないと思いませんか。
と言うわけで、また次回・・・・・
じゃ、頼家に叱られそうですね(^_^;)
金子大地さんの頼家、とっても良かったですね。
この頼家の事を思うと、本当に哀しくなって胸がいっぱいになってしまうのです。あんなにみんなに祝福されて誕生してきたと言うのに・・・・・。
いまだに政子の怖い顔が忘れられません^^
このみんなに待たれ祝福されて生まれてきた頼家は、生まれながらの「鎌倉殿」。
そして決して暗愚な人ではなかったのです。
しかもハンサム。いやこれは、金子さんだからと言うわけではなくて・・・・
これは修善寺の「ギャラリーしゅぜんじ回廊」に展示してあった頼家の肖像画なんです。
光ってしまって見辛いとは思いますが、綺麗な顔をしていると言う雰囲気は伝わって頂けるのではないでしょうか。昔の大河の「草燃える」でも頼家は郷ひろみさんでしたし、綺麗な方がやる事になっているのではないでしょうか。
富士の巻狩りの時、弓を引く力も足りなくて情けなかった頼家。だけどその時、泰時に決意を語ったでしょう。その決意通りに彼は鍛錬し、武芸達者な剛の人になったのです。
それにより伝えられている頼家暗殺のシーンは、もっと悲惨なものですよね。入浴時に首絞められて、急所を切り取られて血まみれになって・・・って放送できないレベル・・・・。
我が家は相変わらず、数秒前から数分前に思った事を語り、ネタバレし合いながら見ています。
「今日、善児、死ぬんじゃない。」
「どこかに書いてあった ?」
「ううん。回想のシーンが一幡の手習いシーンだったでしょ。頼家の所にも位牌か何か一幡の名前が書いてあるものがあったじゃない。暗殺に行って、ふとそれに目が行ってしまった善児が一瞬怯むの。で、返り討ちにあって、そして死ぬ・・・・かな。」
でもそれだと頼家はどうやって死ぬのかしら・・・?
ちょっとトウの存在を忘れていた私でした。
頼家の死も善児の死も、トウが絡み、更にドラマに深みがあって恐ろしく悲しいシーンでしたが見ごたえのある良いシーンになったと思いました。
あの巻狩りの日は曾我兄弟のクーデターの日。その時、頼家はしっかりとリーダーシップを取り「こ奴、なかなかやるやつなんだな。」と言う印象を感じた方も多かったと思います。政治に理想もあったし、女好きであっても家族を想う気持ちもあり、まだまだこれからだったのに、いったい何がいけなくてなんでそうなってしまったのか・・・・・。
いや、理由は単純簡単で、ただ北条の権力争いに巻き込まれたのだと思います。頼朝は早く死に過ぎたと思います。また本当に心配してくれた人々を見抜けずに排除してしまったのも痛かったですね。何よりも肝心な時に病で倒れてしまった・・・・。
つまりこれが彼の運命だったのでしょう。悲しく悲惨な満21歳の生涯・・・・。
泰時が、北条の泰時が号泣して、頼家の死を悼んだことが救いでしたね。北条の者であっても、頼家は泰時には心を開いていたんだと思います。
では、また~・・・・・って言ったら、主役の義時はどうなるのってなったので、あとちょっとだけすみません。
義時は、善児が兄を殺した者だと分かっても、彼を許しました。今、彼を使うようになった義時には、ただ彼が何の意味もなく殺害を請け負うものだと分かっていたからなのでしょうか。彼に兄の復讐をするよりも、彼に仕事を与える事を選ぶ義時。
いろいろ重いものを抱えた義時は、何も考えなくて良い相手の和田殿を訪問します。そこで義時は運慶と再会します。
何年ぶりだと問われれば、迷うことなくその年数を言える義時。なぜなら前に運慶と会った時、それは妻が死んだ日だったから。
「悪い顔になった。」と運慶に言われる義時。
「だけどいい顔だ。いつかお前の為に仏像を彫ってあげよう。」と言う運慶。
これっていつか何かのエピソードに繋がっていくのでしょうか。そう思うと、ちょっとだけワクワクした私です。
そして、「運慶か・・・!」と好奇心メータが上昇中・・・・(^_^;)
※ トップ画像は「修禅寺」の門。地名は「修善寺」、お寺は「修禅寺」、混乱しそうです^^