森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

命の尊厳

2018-07-26 00:44:10 | 梢は歌う(日記)

「この先、この話題はしないと思うので続けて書いてます。」と言いながら、オウムの事件のあった時の話を書いてきましたが、もう少しだけ書いておきたい事があるのです。

 

「松本サリン」「地下鉄サリン」の事を書いたと言いましても、事件そのものの事ではなくて、どちらかと言うと報道の事ばかりを書いてしまったように思います。だからと言って、その元である事件そのもののインパクトが小さかったはずはありません。

事件そのものの概要と言うのは、いろいろ取材されまた記録されていますので、検索すればいつでも知ることが出来ると思います。

ただあの時自分は何を見て、何を感じたのかと言う記憶だけは徐々に薄れていき、そして風化して行ってしまうのではないでしょうか。

だからあの時自分が思った事を、そして今思った事を書き留めておこうと思っているのです。

 

なぜあんなことが起きてしまったのかー。

それを麻原自身の口から、まだすべてを聞いていないから真実は語られていないと言う方もいらっしゃるみたいだけれど、私個人が考えでは、もうそれは永久に語られなかったと思います。

人格破壊が起きてまともではなかったからというのみではなく、この年月を思ったら、、もしまともな精神状態であったとしても、その時自分の中で信じていた真実って言うものを、彼自身も忘れてしまったって、言えなくはないのでは?

または脳内で都合よく書き換えると言う事が起きてもおかしくはないとも思うのです。

23年の年月って言うのは、それだけの長さと重みがある !

もしもその年月の間、真実を自分の中で保ち続けるとしたら、それは自分にずっと繰り返し語りかけ記憶を途切れさせないようにしないとダメな事で、あの人にそれが出来たのかどうか疑問に思います。

―そうだわ。―

私はむしろその真実が知りたい。

 

その真実って言うのは、

「人は痴呆の真似をしていると、本当に痴呆になってしまうのか。」って言う私的疑問。

それともなぜ彼はそんな風になってしまったのかと言う疑問。

ちっぽけな魂の器にキャパ超えの恐怖が注がれたからなのでしょうか。

 

それでも遺骨引き取りに四女を指名したのですよね。何かマスコミ等で憶測されているような、ちゃんと理由があっての事だったのでしょうか。それとも刑務官の言葉のオウム返しだったとか。(ああ、ちょっとボケそうになりましたが、この記事では止めておきますね。)

 

事件当時は、彼ら殺人者の事を敢えて知ろうとしませんでした。

その人がどんな人でどのような気持ちでそんなことをしてしまったのかなど、むしろ無視したかったです。

如何なる人であろうと、その行った行為に1分の赦しさえないと思ったからです。

 

だけど今頃になって、私は彼らの事を知ろうとしました。

なぜなら、あの処刑の日、私は思ってしまったからです。

 

彼らが生まれた日、ある親たちは

「この子は何て可愛いのだろう。」と思ったのに違いありません。

また学校に通う子供を見て、ある親たちは

「この子は賢い子供だね。」と自慢に思った事でしょう。

それがどうして、こんな事になってしまったのでしょうか。

 

彼らもまた、何かを悩み何かを探し、自分の中の正義と言うものを追い求めていたのかも知れません。

出会いにその悲劇があったのだと私は思います。

彼らの人生はその時に終わってしまったようなものだったかもしれません。

若き日にはその犯罪に一生懸命に正義と思って手を染め、捕まった後には、23年と言う長き歳月を刑務所で死の恐怖と共に暮らし、そして徒に歳を取りそして処刑された・・・・。

もしも転生と言うものがあるのなら、まったく違う良き出会いの人生を歩ませてあげたいものだと思ってしまったのでした。

麻原にしたって、彼らのような弟子に出会わなければ、ただの傲慢な詐欺師でいられたのに。

 

もしも出会いに悲劇があったとしたら、その悲劇の可能性は、他の誰かにもありえたことだったと思います。

私だったり、あなただったり・・・・。

 

ある人が言いました。

彼らだって、ある意味被害者なのかも知れないとー。

 

でもだからと言ってまったく許せるものではありません。

 

坂本弁護士殺人事件では「この子だけは助けて。」と母は言ったのに、幼子まで手にかけて、しかも遠く離れた所に別々に埋めた。

いつ、彼らは人間ではなくなってしまったのだろう。

それでもだよ。

その既に人間の皮を被ったものにすぎなかった者の処刑には、その関わった人たちはその後、何も手が付かずに家に帰ったそうです。家に帰ったところで、その心に刻まれてしまったものを、その人たちはずっと胸の奥にしまい込むと思うのです。

またその知らせをニュースで聞いた私たちでも、大きな重いものを感じたと思います。

人の死と言うものの前には、普通の人間の感覚だとそうなると思うのです。

 

だけど

この会合とこの写真、災害の事で叩かれていました。

「(災害が)まさかこんなことになるとは分からなかった。」と言うような弁解をしていましたが、私がこの画像を見たのは、このオウムの処刑に絡んでのツイートでだったのですよ。

オウム事件は、日本の安全神話を叩き壊した事件だったと思います。彼らの死を思ってと言うのもあるけれど、その彼らによって失った命を思うならば、その処刑を知っていた人は、やはりこれはないかなと思えてしまうのです。

 

確かに大人の事情はありますよね。予定変更は叶わないとか。

だけれど記念写真まではいらなかったんじゃないかしら。

何も考えていない・・・・。

そう思っていいのではないかしら。

 

それからまだこの時思った事があったのですが、オウムは消えているのは名前だけだと思っているので、あまり踏み込んだことを書くのは、如何に世界の片隅で書いているようなブログであっても、止めておこうかなと、そろそろ思い始めています。

 

ああ、だけどもう一つだけ、正直な気持ちを書かせてください。

今回の大量処刑は、来年の天皇即位に寄る恩赦に関係があるのだと聞きました。

日本に終身刑は無く無期懲役。

この事件のみではなく無期懲役の人達に、恩赦など与えないで欲しい。

単なる私の願望に過ぎない、本音です。

 

 


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