前々回の「月見泥棒」とテーマは同じです。知ると言う事は出会いと同じ。
例えばそれは、みんなが知っている事であっても、自分が意識しなければ知った事にはならないのですよね。
ちょっとお話が逸れますが、昔、ある人が二十歳も過ぎていたのに、
「へえ、三蔵法師は実在の人物だったのか。」と言いました。
その人と同じ年齢だった私は、その人がその歳まで知らなかったという事の方が驚きで、
「そうよ!」と言った声の中に、侮蔑の雰囲気がにじみ出てしまったのか、その後数分険悪だったと言う嫌な思い出・・・イヤ、笑っちゃうような思い出があります。そのある人って、今も私の近くにいる人なんですけれどね。
でも、今なら私も成長したので、同じ
「そうよ♪」でも、・・・・なんて言うか、今、分かってくれて嬉しいわと言う雰囲気が醸し出されたと思うのですね。
ちなみに三蔵法師は、好きな歴史上の人物世界史篇では5本の指に入るかも知れない・・・5本は大げさかな、では10本の指には入る人物なのです。(普通は言わないかな、10本の指。時には足の指も入れて20本の指とか)
と、いつものように長い前置き。
さて世の中には「一本松」と呼ばれる松は多々あるけれど、その冠に「奇跡の」が付くのはこの陸前高田の松だけだと思います。
12日の中秋の名月とその松の画像が「asahi.com」 に載っていました。本当に美しいのです。でもその画像をじっと見ていると、なぜか切なくなってきて涙が瞳を濡らします。その画像を見た後で、記事の部分を読んでみたら、切なかった理由はそこにあるのかなあと思ってしまいました。この松はもう息も絶え絶えです。でも頑張っています。頑張って今を乗り越えて欲しい、本当にそう思います。
その記事は→「月光が包む『奇跡の一本松』陸前高田」
この松の事は今までに、きっとテレビでもネットでも新聞にでも載っていたことだと思うのですが、私の意識には残っていなかったのです。
この松の7月の画像も美しかったですよ。→こちらで
この「asahi.com」で松のことを遡って読んでいきましたら、数万本の松が並んだかっての陸前高田の松原の画像、そして津波でそれらがみんな流されて、一本だけ残った松の様子が残されていました。→こちら
たった一本でも残る事が出来て凄いな。みんなその松からどんなに勇気を貰った事かと思いました。でも上にも書いたとおり息も絶え絶えの松。繰り返し同じ事を書いてしまいますが、今の危機を乗り越えて踏ん張ってもらいたいと思います。
陸前高田は有名な海岸の観光地だったと思います。いつの日か日本全国から、その「奇跡の一本松」に多くの人が会いに行ける日が来ます様にと祈ります。
私もいつの日か、その松に会いに行きたいと思います。
そしてその一本松のクローン苗には名前が付いていて「長男ノビル、次男タエル、三男イノチ、四男ツナグ」だそうです。順調に育てば3年後には、「奇跡の一本松」の近くに移植されるのだそうですよ。