=夏の思い出を語りましょう=
今、学校で飼われている動物で多いのは、やっぱりウサギでしょうか。それともいろいろ問題や事件もあって、もはや小学校から飼育舎は消えたのでしょうか。
私が通っていた小学校では鶏を飼っていました。
それで小学校には鶏がいるものだと、長い間思い込んでいたように思います。実際に家が小学校に近かったので、大人になり結婚して家を出るまで、明け方などは鶏の鳴き声で、ふと目を覚ます事も度々ありました。でも何せ鶏の鳴き声ですから、うるさいとも思わずに普通な事だと思っていました。
ただ、明け方の鶏の声は、夜明けを告げるトキの声と言うふうに明るく聞こえてくる場合もあれば、時には悲鳴のように聞こえてくる時もあったのです。小学校を出てからも、多感な時代を学校が飼っていた生き物の声に、自分の気持ちを反映させて過ごしていたのかもしれません。
そう思うと、小学校の鶏と私の想い出は、あの夏の日だけの事ではなかったのかもしれません。
だけど・・・
あの白色レグホンは怖かったです。
もう「はるか昔」と言う言葉がぴったりの昔の想い出になってしまったので、細かい事などはもちろん覚えていません。私だけがお世話していたわけではないはずなのに、なぜか強烈に印象が残っている、怖かった白色レグホンの想い出です。
その頃は今と違って、学校には用務員のおじさんが常駐していましたし、学校の先生にもたまの登校があるだけで、しっかりロングの夏休みが存在していまし た。だから夏休みの鶏のお世話は、子供だけで係りのものがやったのでした。ちなみに用務員のおじさんのお仕事ではありませんでした。
しかもその係り、近所の子がやることになっていたのです。
一応、お願いされてですが
「動物大好き、生き物係」とか言うのじゃないんですよ。
鶏小屋は4つでクラスで分かれていたように思います。日付でクラスで当番が決まっていたと思います。当番の日は4つの小屋全部のお掃除と餌やりをしたのです。最初の部屋の鶏はチャボで、これは大人しくて良かったです。でも二組の白色レグホンは、本当に凶暴だったのですよ。
この鶏はまったく人に慣れず、そのくせよく育ち、やたら大きいかったのです。
確かこんな風にお世話をしていました。この鶏を、まず箒で置くに押し込めている間に餌箱をとるのです。そして餌を補充して、その餌を食べている隙に周りをササットお掃除するのですね。
だけど鶏だって、自由が欲しいでしょう。相手がびくついていると分かれば、隙あらば逃げ出しますよね。自由な大地に。
そうなると大変なんです。もはや格闘技です。
だって鋭いくちばしを持っている敵は、けっこけっこと言いながら襲ってくるんですよ。
キャー、キャー言いながら逃げ惑いました。
一度などは、自分の手に負えなくて、近所に住む男子に助けを求めて走った事があります。
その男子、今思うと幼馴染と言うポジションだと思うのですが、今はどうしているのかしら。残念ながら、私の「助けて!」に即、動いてくれた優しい男子とのその後のお話はありません。
その少年だって怖さは一緒だったと思います。だって本当に凶暴なんですよ。彼は手に怪我をしながらも鶏を小屋に戻してくれました。だけど校庭で子供たちが大騒ぎしていても、誰も大人たちなんか助けに来てくれません。と言うより、誰もいないんですよね。
この話、今だったら大変じゃないですか。
少年のお母さんだって、一言言いたいと思うのですよ。いや、今だったらですよ。昔のお母さんは、本当に大らかで鳥につつかれて怪我をしたと言ったら、消毒しながら
「暴れたら、食っちまうぞと脅かしちゃえ。」と言うぐらいだったのです。
だけど、私は昔のほうが大らかで良かったし、子供たちは多くの事を学んだなんて事はやっぱり思えないのです。
確かにそう言う面もあったと思うのですが、イヤむしろウサギ小屋の掃除とかなら、子供の責任で頑張らせると言うのもアリだと思います。でも、あの遠い昔の白色レグホンのお世話に関しては、とてもそうは思えません。
平気な子供はいたかもしれませんが、そうじゃない子も居たのですよね。
やっぱり嘴の鋭さと攻撃性を思ったら、子供には手に負えないし危険だったと思います。
こんな事を書いていたら、さらに思い出しました。その時の担任の先生が、ある時本当に気まぐれに、鶏小屋の掃除を始めたのです。なんか気に入らなかったの でしょうね。隅々が汚かったり臭かったりしたのかもしれません。非常に機嫌が悪くなって、そして何か言ったように思いますが、説得力が無かったので何も覚 えていません。
ちなみにこの先生は、人気の高い良い先生で、覚えている授業もたくさんありますよ。
だけどこの時、私は先生が自らやっていろいろな事をわかってもらいたかったのだと思います。
学校の先生が好きだった。だけど時々「なあんだ」と思うようになった。そんな頃・・・
夏が過ぎても当番は回ってきたのかもしれませんが、まったく持って記憶ナシ。
大勢の人数でドカドカやっていたから平気だったのかもしれませんね。
だから私とその白色レグホンとの格闘の日々は、あの夏だけの想い出です。
と言ったって、毎日じゃなかったのに、ちょっと大げさでしたね。
※ ※
本当は夏中お世話をしていました。
それは違った年の夏の日。
知っている上級生に連れられて、毎日毎日鶏小屋に通いました。
八百屋から菜っ葉を毎日貰って、鳥たちに食べさせました。と言っても、私は着いて行くだけだったのですが。
他のクラスの当番が気まぐれだった為に、その上級生が気になって通う事を止められなかったのです。
でもある時、他のクラスの気まぐれな当番からなじられました。気まぐれに来てみたらお世話が終わっているので腹を立てたのです。
「でしゃばり、おせっかい、余計な事をしてる。言いつけてやる。」と。
まるでそのこの子の方が悪いみたいに。
気の弱い私は、もう止めたらと言いました。
だけど、その子も気丈です。
「言いつけるって、何を?
自分がサボっていた事を?」
そしてその上級生は、
「だって来たり来なかったりしたら、鶏が可哀想じゃない。ずっと来なかったりしたら、死んじゃうんだよ。」と泣きながら言いました。
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鶏と夏。
そんな図式が私の中に在るのは、本当はこちらの方が比重が大きかったかもしれませんね。