昔の事ですが、劇団の養成所にいた妹が、「今日は泣く授業だった。」と言いました。泣けと言われたら、すぐ泣かなければならない授業だったそうです。
「出来たの?」と私が聞くと、「お姉ちゃんのお陰で出来た。」と言いました。
「あのね、お姉ちゃんが死んでしまった事を想像したらすぐに涙が出てきて、結構号泣しちゃった。」
一瞬、私は嬉しく思ってしまいました。なぜなら私でも姉妹が死んだ事を想像したらかなり悲しいと思いますが、すぐに涙が出て、しかも号泣モードにはならないよなと思ったからです。
が、妹は続けて・・「ああ、あの人はあれやこれやと未来の展望を語っていたけれど、結局何も出来ず、何もしないまま、ただこの世から消え去ったのかと思うと、なんか憐れで惨めで・・・」
―あのなあ
でも、私も後から同じことを考えてみたら、同じように涙が出てきましたよ
だけどそれは遠い昔、私が若かったからそう思えたのです。今はそれでは泣けません。何もなさず、何もしないままこの世から消え去ったとしても何が悪いんだと、私は思うからです。「生きた」その期間が、ただ生きているだけであったとしても、ただそれだけでいいのだと思うからです。
ただ昔、何分かで涙が出たらお金がもらえると言う番組があったように思いますが、それに出たら私はイケルんじゃないかと思っていたことがありました。妹の「泣けと言われたら泣く」と言う授業の話を聞いて、自分だったら何を思い浮かべて涙を流すのだろうかと考えてみたのです。
思い浮かんだ途端に涙が出るシーン。
ああ、それはあのシーンです。
それは壇ノ浦。
二位の尼が決戦の行方を見極めると、敵の手には渡すまいと三種の神器を懐に入れ幼き主上を抱くと、幼き主上は
「尼ぜ、我をどこに連れて行くのか。」と問うのです。
そこで二位の尼は
「君よ、浪の下にもきっと都はありましょうぞ。」
黙って頷き手を合わせる幼き安徳天皇・・・・・
ウウッ、やっぱり泣ける。
あなたが泣けと言われたら、どんなシーンを思い出しますか。
私もなぜこの「壇ノ浦」なのかは分からないのですが、気持ちにヒットしてしまったのですね、きっと。
何で今この話題なのかと言うと、ここから連想ゲーム的に話題が繋がって行く予定だからなのですが、ちゃんと行き着く先までたどり着けるとイイナと思います。