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拉致問題:横田早紀江さんの証②

2014年11月11日 | 拉致問題

  苦しみに会ったことは幸せでした

 人間には考えられないようなことが次々と起き、動揺してしまうことばかりです。
しかし、北朝鮮側も私たちのことを見ていますから、いつも、「ここでへこたれていてはいけない」と
毅然とした態度で、気を引き締めながら対応しているつもりです。
それに、事あるごとに動揺していては生きていけません。
もともと私はそんなに強い人間ではないし、人前に出るのも苦手なのです。
しかし、いろいろなことを経験させられて、変わらざるをえなかったのです。
それ以上に、いつもいつも神様がそばにいて、語ることばを与え、考えを与えてくださり、
支えられてここまでこられたのだと思います。
めぐみの事件やその後の救出活動などをとおして、確かに大変なところを通らされますが、その中にあって、
心の底では私はいつも平安でした。体もたましいも疲れ果ててしまうことは、今でもしばしばあります。
悲しくて、泣いてしまうこともあります。しかし、ここまで、何ものにも倒されることがありませんでした。
あまりに慌ただしい毎日が続き、一日が終わる頃には、もう立ち上がれないほどボロボロに疲れていても、
翌朝には、ちゃんと起き上がることができるのです。
これも、神様の大きな愛の中にあるからですし、多くの方が祈って支えてくださるからに他なりません。
この事件がなければ、キリストに出会うこともなかったでしょうし、クリスチャンになることもなかったでしょう。
私は、こうして長い年月、神様に愛され訓練していただいて今日あることを、心から感謝しています。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
あなたの御口(みくち)のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです」(詩篇119・71-72)
横田早紀江著 「愛は、あきらめない」より