荒野の泉 カウマン夫人著より
神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互いに愛し合うべきである。
Ⅰヨハネ 四・11
真のクリスチャン生活での一番大事なことは、愛することを学ぶことでしょう。
「荒野の死」という本の中でブラウニング氏は、今死んでいく聖ヨハネの口に次のようなことを言わせてます。
年老いた友は信じているーーー
人生には喜びや悲しみ
希望や恐れがあると
しかしそれは
愛を実践し、報いうけるチャンスーー。
愛はどんな姿をしているか
どんなにこの世からねたまれても
神の下さる報いを固く信じ
その愛を実践しよう。
人生にはいろいろなことがありますが、それは愛を学ぶチャンスです。
「あなたは愛せよ」、「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」
という教訓が私たちの前におかれています。私たちがなすべき一つのことは、この教訓をマスターすることです。
私たちは金持ちになったり、権力を握ったり、芸術や科学の分野で物知りになったり、大事業を起こしたり、
何らかの道で大きなことをするためにこの世にいるのではありません。
私たちはただ日常の仕事をして、店や学校や家や農場で暮らしていくためにここにいるのでも、
福音を述べ伝え、悲しめるものを慰め、病めるものを訪ね、愛のわざをするためにここにいるのではありません。
これらはすべて、あるいはそのいくつかは私たちのつとめかも知れないし、私たちを多忙にさせるかも知れません。
しかし人生の本当の意味はと聞かれるならば、この世の仕事についても、
つねに努力しつつ、やりつづけなければならない人生の本当の仕事は、
愛することであり、性格や品性の中で愛を成長させることです。
私たちは人生のすばらしい芸術ー音楽、絵画、彫刻、詩ーにも通じることができ、
また、最新の科学をマスターすることもできましょう。
読書や研究や旅行や洗練された人と話すことによって、最もよい文化に到達するかも知れません。
しかし、これらの中で、もし私たちが愛を学ばなかったり
、また心や行いにおいて、もっとやさしくならなければ、人生のほうびを失うことになってしまいます。
もし、私たちのすべての義務、心配、試み、喜び、悲しみの中で
愛のしたわしさ、やさしさ、無私の心、思慮深さなどが、毎日毎日成長しないならば、
この人生の学校で、主によって示された愛という偉大な教訓を学んだことにはなりません。
J・R・ミラー