カセットテープがワカメ

キノコ国本剛章の音楽活動・妄想・ノリツッコミなど。

梅本竜“YU-NO”アルバム・ライナーノーツ①

2015年04月11日 | ともだち
 puchiさんが手がけていらっしゃる、梅本竜作曲『YU-NO』のカバー・アルバム三部作第2弾“PASTが発表されました。打ち込みは全曲たんちさんが担当されています。
今回、私キノコ国本がライナーノーツを担当させていただいております。はりきって書き始めたらなんだか、あっと言う間に3000文字超の長文ライナーになってしまいました。あらま。あまりに長いので3回に分けて掲載したいと思います。今回はその第1回目です。
 梅本竜、没後3年と8ヶ月。こうして彼と自分との関わりを文章にまとめてみると、ふだんフニャフニャと生きている自分に1本くさびが入るというか。身が引き締まる思いがします。自分が死ぬまでに限られた時間、これから何をしたらいいのか。彼が示唆してくれた指針のようなものを思い出すのです。

   [ 強烈なFM音源モジュレータのような男・梅本竜 ] ~ 1/3 ~

 私が梅本竜と初めて会ったのは2010年9月。私が主催して高田馬場の小さな店で行なった「タケちゃん&健ちゃん」のLIVE。彼は一人でそれを聞きに来た。残暑が厳しい日だった。いや残暑というか外気温は35度くらいあったと思う。地下にあるライブハウスの入口にふらりと現れた彼は「はじめまして。梅本です」と短く自己紹介した。小柄な男で引き締まった顔つき。眼光が鋭いな…というのが第一印象だった。その日は特に私に対して用事があったわけではなかったようで、LIVE終了後、打ち上げ〜ゲームセンター・ミカドと一緒に行動したが次につながるような話は何もなく、その日限りな感じで別れた。彼が37歳で亡くなったのが2011年8月のことだから、わずか1年前の話である。
 私は梅本竜36歳の夏からの1年間しか彼の事を知らない。その間に直接会った回数もわずか6〜7回に過ぎない。しかし彼は知り合ってからの年数や、会った回数に関係のない「強烈な揺さぶり」を私にかけ、当時48歳だった私の生き方に大きな影響・変化を与えて風のように去って行ってしまったのだ。まるでFM音源のモジュレータのように。

 今からここに書くのは梅本竜最後の1年間、いやもっと限定しよう。2010年11月〜2011年1月の3ヶ月間に起きた出来事である。それより前のエピソードにも触れるが、それらは全てご両親をはじめ共通の知り合いに「後から」聞いた話である。ご承知おき願いたい。

 梅本竜(1974年生まれ)と私(1962年生まれ)は同じ寅年生まれでちょうど1周り違うという年齢差だ。私が24歳の時に作曲したファミコン・ゲーム「スターソルジャー」(1986年発売)を彼は12歳、中学1年のときに遊んでいたという。だから彼は私の作った曲をそもそも知っていたのだ。知っていたどころか随分聞きこんで理論的分析していたという。中学生当時の彼は念願のPCを入手し、昼夜を問わず制作や研究に打ち込んでいた時だ。つまり私は自分では知らずに12歳の多感な少年に影響を与えていたことになる
 一方私は不勉強ながら、初めて出会ったタイミングでは彼の作品を1曲も知らなかった。

 2010年11月、梅本竜から1通のメールが届いた。用件は「今度CDを出すことになったから制作を手伝ってくれないか?」というものだった。『赤い刀』という渾身の力作を書き終え、充実感・達成感に満ちていた時期。彼の精神は高揚しており、新しい人脈を拡げ、新しいことを始めようとしていた。その中の1人に私もいた、という事らしい。彼の心の中のジグソーパズルに「国本」というピースがうまくハマる場所が見つかったのだろうか。しかしこの時、私はこの申し出を丁重に断った

 断った、というより「断らざるを得なかった」と言う方が適切だろう。48歳の私は現在とは違って音楽制作から遠ざかって久しい一介のサラリーマン。DAW環境を全く持っていなかったし、使ったこともなかったのだ。20代の時に作曲していた時の機材はとうの昔に処分してしまっていたし、だいたい持っていたとしても前時代的なポンコツで全く使い物にならない。私はベースを弾きながら細々とバンド活動だけかろうじて続けていたものの、創作に対する意欲はなく、新しい機材を取り入れる意欲もないまま30代〜40代をダラダラと過ごしていたのだ

 梅本竜からの誘いに良い返事ができずモヤモヤした感情が残ったように記憶している。久しぶりに「音楽家」として仕事に誘われているのに、自分にその準備ができていない。役に立てない。ふがいない。それまでは「いつかそのうち創作意欲が湧いてきたら、作曲だけを自分でやって、誰かに録音や編集を頼めばいいや。若い人でそういうの得意な人いっぱいいるだろうし。」なんて呑気に構えていた。そんな甘い考えの男に「いつか」なんて永遠に来るわけがない。梅本竜からの誘いは強烈な1発のボディーブローとして私の心の奥深くまで届いた。

(つづく…)
〜 2/3 はコチラ〜
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