木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

VHSビデオ整理

2006年01月02日 02時01分19秒 | Weblog
年末に大掃除をできなかったので、古いビデオの整理をしました。
ラベルを貼らずに山積みになっていたビデオが10本以上あり、そのまま捨てるわけにもいかず取りあえず中身を見て判断することにしたのですが、なかなか面白いビデオが出てきました。
1.JSLクリニックvol3・・・う~ん、これはいつのビデオか忘れてしまったのですが、ずっと昔JSLつまり日本手話の「クリニック」なるものに参加したときの教材ビデオ…だったと思う。改めて見て勉強しなくては。
2.「シャンテ」のドキュメンタリーTV番組・・・シャンテってボーカルの女の子が手話をする視覚障害者のロックバンドですね。懐かしい。今も活躍されています。そのバンドが売れ始めた頃のドキュメンタリーです。
3.1998年NBAファイナル「ブルズ対ジャズ」第5戦・・・マイケルジョーダンが引退するかもってなこともあってビデオ録画したのかも…。全部見たいのを我慢してさわりだけ見ました。
4.手話ニュースや「みんなの手話(是枝・石原講師)」ほか・・・是枝さんは東京都の手話指導者養成講座の同級生なんです。
5.「みんなの手話(木村・石原講師)」、12月13日NHK手話ニュース(山城・飯泉)ほか・・・木村晴美さんがまだ「おかっぱ頭?」だった頃の映像です。確かNHKの「みんなの手話」がスタートして間もない頃のビデオだと思います。それから1995年急性骨髄性白血病のため若くして亡くなられた山城秀生さんが飯泉菜穂子さんと一緒に通訳されている映像も出てきました。山城さんは、1981年にNHK教育テレビの「聴力障害者の時間」の中に「ニュース週間スポット」というニュース番組が初めて放映された時の手話通訳者です。以来9年間ずっとお一人で通訳を担当されました。いわばテレビ放送における手話通訳者のパイオニアといえる方です。テレビの手話通訳では静岡放送の「テレビ寺子屋」の手話通訳者・青柳さんも有名ですが、山城さんは全国ネットのNHKですから知らない人はいない方です。1989年に手話通訳士制度が発足した時には、情報文化センターの担当責任者もされましたので、士制度の育ての親とも言える方です。追悼&遺稿集「おだまきは散らず-山城秀生の残したもの(おだまきの会編・新樹社刊)」も久しぶりに広げてみました。
6.1998年参院選政見放送・・・1995年に初めて政見放送に手話通訳がつくようになってこれが2回目の参議院議員選挙だったと思います。民主党が菅直人代表、自由民主党が橋本龍太郎総裁の時代の手話通訳付き政見放送の映像です。今はどうだか忘れてしまったのですが、このときは、政見を話している党首と進行役が話している遙か後方に立って手話通訳しているのです。その理由は「手話通訳者の映像サイズを小さめに撮るため」ということで、当時はずいぶん憤慨したことを覚えています。
7.1994年8月に横浜で行われた国際AIDS会議の時(?同じ年だったか忘れてしまった。)に聞こえない人向けにエイズに関する手話劇をやった時のニュース映像・・・そんなイベントもありました。なんでそんな手話劇をやることになったか経過をすっかり忘れてしまったけれど、当時はAIDSでかなり燃えてました。
そんなわけで皆さんも年の初めの資料整理しましょうね!
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あけましておめでとうござい... | トップ | お正月の過ごし方 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事