サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 10470「パリ・オペラ座のすべて」★★★★★★☆☆☆☆

2010年07月16日 | 座布団シネマ:は行

300年以上にわたりフランス文化の中心とされてきたパリ・オペラ座の裏側に密着したドキュメンタリー。17世紀、ルイ14世によって創設されたパリ・オペラ座バレエ団の現在の姿に、アメリカを代表するドキュメンタリーの巨匠、フレデリック・ワイズマン監督がカメラを向ける。トップダンサーたちが華麗に舞うバレエ公演の裏にある、厳しいレッスンやスタッフたちの仕事現場など現実をとらえながらも、オペラ座の秘密をロマンたっぷりに描き出す。[もっと詳しく]

ワイズマン監督の非・ドキュメンタリーな手法をあらためて確認したい。

世界最古のバレエ団であるパリ・オペラ座が出来たのは1661年、ルイ十四世によって「王立舞踏アカデミー」として位置づけられた。
以来、バレエ団として世界最高峰の頂にあるのだが、十数名のトップダンサーである「エトワール」を目指して、完全な階級性の中で、世界中から狭い枠をしのぎあって参加したバレエダンサーたちが、今日もまた競い合っている。
もしそうしたダンサーそのもののドキュメンタリーを見たければ、歴史上はじめてパリ・ペラ座にカメラが入ったといわれるニルス・タヴィリヌエ監督の『エトワール』(01年)を見ればいい。
また、そうしたダンサーたちの全面出演でのバレエ物語としては(公演記録作品ではなく)、同監督の『オーロラ』(96年)を見ればいい。
パリ・オペラ座に限らないが、表現としてのバレエが従来の宮廷劇から、音楽・衣裳・美術などすべてにわたって革命的な全体芸術に飛躍した19世紀末から20世紀初頭にかけてのバレエ・リュスの流れに圧倒されたいなら、これもドキュメント仕立てだが『バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び』(05年)という作品を見るがいい。
バレエ・ファンたちがそうした関心で、『パリ・オペラ座のすべて』という作品を見るとしたら、少し裏切られるかもしれないからだ。



アメリカの映像作家としても最高峰であるフレデリック・ワイズマンは1930年生まれである。ゴダールやクリント・イーストウッドという人たちに年齢は近いのだが、僕自身は数作しか見ていないが、毎年のように問題作を提起してきた。
一般にはドキュメンタリー監督のように言われるが、僕たちが通常思い浮かべるドキュメンタリー畑の監督とは、まるでその製作手法が異なっている。
ワイズマンが扱うテーマはさまざまだが、どれも現代のアクチュアルなテーマだ。
「臨死体験」を描いた作品などは、実に6時間にわたっての上映作品、たぶん100時間にわたってカメラを回したと思われる。
最近ではDV=ドメスティック・バイオレンスのテーマを掘り下げてもいる。
そんなワイズマン監督は「アメリカン・バレエシアター」などを対象にした作品もあるので、『パリ・オペラ座のすべて』という作品で、84日間にわたって、オペラ座に密着したというのも合点がいく。
フレデリック・ワイズマンが撮るテーマは、それが現代の社会病理であろうが、コミュニティのかかえるさまざまな問題であろうが、政治的なナイーブなテーマであろうが、彼がその主題に対して、現代が孕まれていると鮮烈に考えるテーマなのだ。
だから、僕たち観客は、ワイズマンがそのテーマにカメラを向けながら、観察したり、衝撃を受けたり、学習したり、思考したり、疑問を持ったり・・・といった製作過程での経験を、同じように追体験することになる。



ワイズマンは製作に当たって、自らにルールを設けている。
ひとつは、インタヴュー、BGM、ナレーションといったものを一切、排除するということだ。
場面の説明的テロップもほとんどつけられることはない。
ドキュメントと呼ぼうが、映画作品と呼ぼうが、どちらにしても、これは極めてワイズマンの自覚的な方法論である。
考えてみるがいい。
あるテーマをカメラで記録する時、製作者はそれが告発であれ、共感であれ、啓蒙であれ、驚きであれ、見るものに彼の撮影意図を明確に理解させるため、背景をナレーションしたり、BGMで感情を刺激したり、インタヴューで当事者の証言を聞きだしたりする。
僕たちはそれがドキュメンタリーの撮影の常態だと、思い込んでいるところがある。
もちろん、膨大な編集工程は大切にするが、ワイズマンはとにかく徹底して現場を撮影し、その背後にあるものを探り出そうとするのだ。
そしてその解釈や感想をめぐっては、徹底して観客の側に委ねるのだ。
なにかに誘導したり結論づけたいわけではないし、自分の解釈や意見をこれ見よがしに開陳したいわけではない。
自分が見てきたもの、写し取ったものを、観客に疑似体験させようとする。それが彼の方法だ。
撮影現場では、原則たった三人のスタッフ。
そして「巨匠」ワイズマンは、自ら録音担当になっている。
『パリ・オペラ座のすべて』でも、当然のことのように、練習風景のピアノなどの伴奏や、公演時の音響は、たぶんワイズマン自身によって、記録されているのだろう。
しかしもちろんそれは効果音やBGMではない。
また、芸術監督や音楽教師が自分の考え方を述べているシーンもある。
しかしそれも、討議の場面などの記録からの抽出であり、スタッフが登場人物に改めてインタヴューしているものではない。



もうひとつワイズマンに特徴的なことがある。
彼はもともと弁護士であったことにもよるのだろうが、撮影する相手に対して、すべて承諾を求める契約書を作成しているということだ。
だから隠し撮りというものはないし、単純にカメラに映ってしまうということもない。
本人の承諾がなければ、いっさいそのシーンを使うことはない。
これは、著作権にうるさい最近の事情に照らしての、対抗措置ではない。
もともとワイズマンの方法論であったのだ。
しかし、撮影許諾を得た場合、徹底してカメラで追いかけるのは勿論だ。
その内容を自粛したり、誤魔化したり、することはない。
このワイズマンの手法の対極にあるのは、いわずもがな「アポなし取材」のマイケル・ムーア監督であろう。
マイケル・ムーアは、相手に嫌がられてもインタヴューを撮り、鼓舞するようにあえてBGMを多用し、ナレーションやテロップで意図を明確にし、そしてもちろん本人許諾など関係ない取材方法だ。
どちらがいいという話ではない。
ワイズマン監督の方法を僕たちは理解したうえで、彼の作品世界に入るべきだと言っているのだ。



パリ・オペラ座の有名な屋上のミツバチの巣箱や、地下の下水の「オペラ座の怪人」の隠れ場所に通じるような場所を、カメラは静かに押さえていく。
廊下や、螺旋階段や、天井や、ホールや、客席や・・・僕たちは、シャルル・ガルニエが建築・補修した13代目と言われる現在の「ガルニエ宮」を目撃することになる。
建物もそうなのだが、僕たちがこの映画で目撃するのは、圧倒的に「稽古場」のシーンだ。
もちろんその稽古シーンは、ダーウィン進化論にテーマを取った『ジュニュス』という公演のためであったり、伝説のルドルフ・ヌレエフが振付けたチャイコフスキの『くるみ割り人形』の演目であったり、王女メディアを素材にした『メディアの愛』という作品であったりするのだが、そんなことは本当のバレエファンにしかわからない。
一見、退屈なようにも思える稽古場シーンだが、その基礎に「パリ・オペラ座」が開発した脚の動作の五つのポジションが繰り返し注意されたり、稽古をつけられている背後にその予備軍だろうかダンサーたちが一生懸命体を動かしながら、指導を受けるダンサーの技術を盗もう、学ぼうとしている姿や、どんなに栄光の光が当たるエトワールであろうが、ここでは40歳定年であり、その後は一部の人たちは指導教師となっていくらしいことやといったことが、画面を通じて了解されていくのだ。



パリ・オペラ座に所属するバレエダンサーは150人ほどだ。
しかし、専属の衣裳や美術や照明やメイクやその他もろもろの「パリ・オペラ座」で従事するスタッフはその10倍の1500人に上る。
そして彼らはすべて「国家公務員」だ。
国からの補助金は2008年で160億円。
これは全体の総予算の半分にあたり、ちょうど人件費に相当する額らしい。
残りが、公演収益やライセンスなどなのだろう。また一般のスポンサードもあるのだろう。
作品の中で、「リーマンブラザーズも応援してくれるわ」といったセリフも入っていたのが時節柄愛嬌であったが、もちろんスポンサードを掴むために、特別席を用意したりダンサーと一緒に食事会を計画したり、スタッフたちの打ち合わせは真剣そのものだ。
そして特にバレエダンサーは40歳定年のため、そこから年金が始まるように交渉していることが、団員にちゃんとわかりやすく説明されたりする。



古典バレエからモダンバレエあるいは前衛的なコンテンポラリーまで、「パリ・オペラ座」は伝統と革新を繰り返しながら、芸術を日々創造していく。
たしかに、フランスでもさまざまな問題があるのだろう。
しかし、少なくとも「伝統芸術」を、国家が仕方なしにお守りをして、補助金で「保存」しているということとはまるで異なっている。
ここではどこかの国のような、「国立劇場」が単なる「仕分け」の対象として、芸術的価値のなんたるかを考えたこともないような松下政経塾出身などの「小利口」な政治家連中に、一方的に押しまくられるといった構図は、比較的少ないのではないかと思わせられる。
ただそうした運営の問題まで含めて、『パリ・オペラ座のすべて』でワイズマン監督は、現代のテーマとして映像として把握したかったのであろうことは間違いない。

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