サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09414「ミルク」★★★★★★★☆☆☆

2009年10月25日 | 座布団シネマ:ま行

1970年代のアメリカで、同性愛者であることを公表して公職に就いたアメリカ初の政治家ハーヴェイ・ミルクの生き様を描く伝記ドラマ。監督は『エレファント』のガス・ヴァン・サント。個人の権利を守るために戦い、凶弾に倒れたミルクをオスカー俳優ショーン・ペンが演じている。同役ですでに多数の映画賞を制覇しているショーンの熱演と、今なお尊敬の念を集めるミルクの愛すべき人柄をフィルムに焼き付けたガス・ヴァン・サントの手腕を堪能したい。[もっと詳しく]

希望がなければ、人生は生きる価値がない。

ハーヴェイ・ミルクについては、「タイム誌が選ぶ20世紀の100人の英雄」にも選出されていることでもわかるように、アメリカでは、知らない人はほとんどいないだろう。
史上初めての「ゲイ」をカムアウトした公職についた人物としてもそうだが、その衝撃的な暗殺事件は、まさしく現代史で言えばキング牧師、ケネディ大統領の暗殺と、同等の衝撃を社会にもたらしたものと思われる。
1978年11月27日に、同僚の市制委員によって、理解者でもあったジョージ・マスコーニカリフォルニア市長とともに、凶弾に倒れたわけだが、この作品でも当時を再現されていたが、その死を惜しんでの支持者たちのキャンドルライト行進は、テレビでも何度も放映され、僕もよく覚えている。
1984年「ハーヴェイ・ミルク」というドキュメント映画が制作され、アカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー映画に輝いた。
制作・監督にあたったのは、両名ともゲイであることを「カムアウト」しているがロバート・エプスタインとリチャード・シュミーセンだ。
それから四半世紀、同じくゲイを公言しているガス・ヴァン・サント監督によって、ショーン・ペンが演じる『ミルク』が公開され、アカデミー賞8部門にノミネートされ、脚本賞、最優秀主演男優賞を受賞することになったのである。



同性愛をカムアウトしている人は、有名人でも現在ではとても多い。
同性愛(ホモセクシュアル)を幅広く、バイセクシュアルまで含めてのことだが・・・。
故人も含めて、ほんの一部を列挙してみれば、
アーティストでは、アンディ・ウォホール、レナード・バーンステインなど。
歌手では、ミック・ジャガー、エルトン・ジョン、フレディ・マーキュリーなど。
俳優では、レスリー・チャン、アンジェリーナ・ジョリー、ドリュー・バリモア、ジョディ・フォスターなど。
映画監督では、フランソア・オゾン、ファスビンダーなど。
文筆家では、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、トルーマン・カポーティーなど。
もちろん、画家もフォトグラファーもニュースキャスターもダンサーもデザイナーもコメディアンも、たくさんいる。
パリ市長のベルトラン・ドラノエだってそうだ。
2000年ぐらいだったか、ニューヨークで知人とある演劇人のパーティーに行ったことがある。
時代の最先端を走っているような人たちのその集まりで、小声で知人は「ねえ、この80人ぐらいのなかで、ゲイを公言しているのは半分以上よ」と囁かれたりしたものだ。
日本だって、少なくともヴァラエティのテレビ画面の中では、ゲイが画面に登場するのに、もうなんの違和感もなくなっている。



ただ、ゲイの市民権という意味では、『ミルク』という映画にも描かれてはいるが、このハーヴェイ・ミルクが果たした役割は大きく、その暗殺ということも含め、幅広い権利運動の端緒についてから、まだ四半世紀しか経過していないのだ。
『ミルク』ではプロポジション6すなわち「提案6号」の是非をめぐっての投票が、ミルクのたった1年に満たなかったが公職期間での最大の、政治テーマになっている。
「同性愛者あるいはそれを支持する人たちを教職などから解雇する権利」を巡っての採択であった。
そして、当初の不利な情勢を覆し、否決に導いたのであった。
これはいってみれば、「性的嗜好にともなうマイノリティに対する公民権運動」と同義の採択であった。
現在では同じくプロポジション8すなわち「同性愛者同士の結婚を認めるか否か」の採択で全米が盛り上がり、ブラッド・ピットなども応援したが、僅差で認められないという結論になっている。



同性愛者同士の結婚は、スペイン・オランダ・カナダなどでは認められている。アメリカの一部州や、イギリス、オーストラリアなどでは、内縁関係は認められている。
日本はといえば、法律的には認められてはおらず、財産分与などが発生することはない。
国連総会で「性的志向と性自認に基づく差別の撤廃と人権保護の促進」を求める声明が出されたのは、2008年のことに過ぎない。
日本はアジア圏で唯一賛同を表明したが、中国もブッシュ政権下のアメリカも賛同していない。
同性愛そのものに対しても、シンガポールやインドなど終身刑が適用される国や、イランやサウジアラビアなど死刑が適用される国も、残存している。
宗教的にも、もともと仏教圏内のおおよそは、同性愛に対しては寛容である。
イスラム教国家は違法である場合が多く、キリスト教世界では保守的な宗派では、容認しないところもある。
このあたり、キリスト教原理主義の勢力も含め、いつもアメリカにおける選挙で、支持層に対するアピールで分かれるところである。



ハーヴェイ・ミルクはユダヤ人だが、海軍入隊時に軍における同性愛者粛清を経験したりもしている。
ニューヨークのウォールストリートで金融マンを勤めていたが、ニューヨークでおこった警察によるゲイバー襲撃事件のあと、72年に20歳年下の恋人スコットとともにサンフランシスコに移住し、カストロ通りにカメラ店を開くことになる。
『ミルク』という映画は、このあたりが導入部となっており、スコットを引っ掛けて家に連れて帰り体を求めるのは、ちょうど40歳の誕生日であった。
カメラ店を開いてまもなく、トラック運転手組合と連携し、「クアーズビール」不買運動を成功させている。
この頃から、政治に意識的になり、ゲイをカムアウトとした人間としてははじめての、公職につくことを目指す。
選挙には3回落ちるが、徐々にスタッフも拡充し、選挙制度が大選挙区から小選挙区に改定されたことも手伝って、ついに1977年11月市制委員に当選するのである。
ハーヴェイ・ミルクのような社会改革を目指すゲイはそれまでにも存在したと思われる。
しかし、なぜ彼がこのような支持を集めることに成功したのだろうか?



ひとつは、その人柄であろう。
あくまでもショーン・ペンの演技を通じて感じるだけなのだが、とても率直で偉そうなところがないのだ。
誰とでもオープンに接する人柄なのだろう。
もうひとつは、多くのゲイがどちらかといえば、ヒッピームーブメントから出てきたり、ドロップアウトで仲間の多いところに集合してきたのだろうが、ハーヴェイ・ミルクはビジネスマンとしての期間が長く、組織や戦略・戦術にある程度秀でていたかもしれない。
とはいっても立候補初期は、ゲイ・コミュニケーションに対するスタンダードからの差別や権力からの不当な暴力に対して、怒りや腹立ちや異議申し立てから、自然発生的に運動のリーダーに担ぎ上げられたというのが、正解ではないか。
みかん箱ならぬSOAP箱に乗って、慣れないアピールを始める。
彼にはシンプルなアジテーションの才能や、組織を拡大していくオルガナイザーの資質があったのだろう。
そして、落選を繰り返す中で、ゲイ・コミュニケーションからの不平・不満だけでなく、かれらに「変革」の「希望」を与えるとともに、有色人種や高齢者やといった弱者に幅広くウィングを拡げていくことになる。
彼のマニフェストを見れば、そのことがよくわかる。

1、図書館の拡充を!
2、公共の交通運賃を値下げ!
3、若者のレクリエーションを拡大!
4、警察予算の見直し!
5、税金の無駄使いを阻止!
6、高齢者に安い住宅を提供!
7、マイノリティ支援!

地方議会だからということもあるが、極めてシンプルなマニフェストである。
けれど、その頃にはすでにゲイの商店を組織したカストロ・ヴィレッジ協会を組織し、保守派の議員と公開論争を仕掛けるなど、全米でも注目される社会活動家の一人となっていたのである。



ハーヴェイ・ミルクとカリフォルニア市長の二人を市庁舎で殺害したダン・ホワイトに対しての判決は7年の禁固刑。実際は、5年で仮釈放されている。
この刑の軽さに対して、支持者たちは怒り、「ホワイト・ナイトの暴動」につながっている。
これも、テレビ報道で僕は見ていた。
法制度は異なるとはいえ、たとえば長崎市長を殺害した城尾被告に対しては1審が死刑宣告、その後高裁が無期懲役を宣告している(現在、最高裁に上告中)。
不当な判決はともあれとして、48歳でこの世を去ったハーヴェイ・ミルクは「殉教者」となり、その後もミルク伝説が語り継がれ、ゲイの権利は大幅に向上し、カムアウトの勇気をその後の多くの人たちに与えるようになったのである。
僕たちはともすればステロタイプ化された、あるいは誤った同性愛認識を持ってしまっている場合がある。



ただどのようにカムアウトがやりやすい環境となり、権利は法令によって守られるようになったとしても、ゲイの生き難さがなくなるわけではない。
ハーヴェイ・ミルクも複数のパートナーの死(自殺)を経験している。
「異常」でも「倒錯」でも「精神疾患」でもないことは、つまり治療の対象ではないことは、僕たち現在に生きる大半の者は認識している、と思われる。
(差別が現存しているかどうかは、別として)
個体差が多いとしても、性同一障害ではなくゲイであることがどこからくるのかはよくわかっていないところもある。
意味がないことかもしれないし、地域差も多いが、信頼できる調査によれば、同性愛志向はおおむね2%から13%という調査結果が出ている。
厳格に同性でないと駄目だとするものはもっと少なく出るかもしれないし、同性に性的関心を持ったというレベルでいえば、もっともっと多い数字となるだろう。



幼児期に、そうした志向が形成されるという研究もあれば、幼児性欲をすべての起因とするフロイトの考え方を敷衍すれば、すべての人間は同性愛者になる可能性がある、ということだっていえるかもしれない。
アカデミー賞をとったアン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン』は大都市ではなく、保守的なアメリカの西部での、孤独なふたりの男の同性愛を叙情的に描いた作品であった。
この作品におけるふたりのカウボーイが出会ったのは1963年。
ワイオミング州で羊の放牧管理の季節労働仕事にありついた20歳の青年たちはある夜抱擁を交わし、それからの20年の愛と絶望の時間がこの優れた作品のテーマとなっている。
時代をとってみれば、ハーヴェイ・ミルクの時代と重なってはいる。
けれど、保守的な西部のこのふたりの青年は、ついにカムアウトすることはなかった。
そこから、四半世紀。
現在の、たとえば保守的な地域に住む多くの若者たちは、いったいどうなのだろうか?
ハーヴェイ・ミルクが表明した「変革」「希望」のコンセプトは、アメリカでは初めての黒人大統領オバマの表明に、日本では「友愛」の鳩山首相の表明に通じるものはある。
だとしても、ひとりの人間がカムアウトするということには、まだまだ困難な壁が存在しているのでは、と僕は思う。

kimion20002000の関連レヴュー

ブロクバック・マウンテン










最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
TBありがとうございました (sakurai)
2009-10-28 13:08:53
彼がゲイであったと言うことは、とっても重要な要素ですが、それは彼の一部に過ぎなかったのでは・・というのが映画を見た印象でした。
本来の政治家のあるべき姿を見たような気もしました。
20数年前に見た、ドキュメンタリーの印象がものすごく強くて、つい今回の映画は、比較してみてしまったのですが、さすが見せましたね。
でも、この25年で、世の中がいかに変化したのか・・ということも感じた次第です。
sakuraiさん (kimion20002000)
2009-10-28 21:58:18
こんにちは。

日本でもカムアウトにあんまり驚かなくなるようにはなっていますが、著名人では、ほとんどが芸能人ですね。

そのあたりがなかなか、ね。
弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2010-03-16 00:52:44
少年時代、他人への依存性が強い為に特定の男児と仲良くなる傾向があり、中学時代には(実際にはある少女に夢中だったというのに)ホモ疑惑が湧いたくらいですが、同性への性的な興味はない、と思います。

映画でも男性の同性愛を描いた作品はどうも苦手です。
「ブロークバック・マウンテン」は作品的に立派で、脱帽しましたが。

ミルクが暗殺された頃僕は大学生でしたが、少しも知りませんでした(恥ずかし)。

>幼児性欲(若しくは幼児性愛)
現在“幼児性愛”というと、幼児への性的興味をさすのが普通ですが、フロイトの使うそれは文字通り幼児の性愛ですね。日本人によくある意味の取り違え(憮然を怒っている意味に使うマスコミの多いこと!)
オカピーさん (kimion20002000)
2010-03-16 02:54:45
こんにちは。

フロイトの場合は、口唇期とか肛門期とか身体的執着の段階論ですからね、おっしゃる通りですね。
幼児性愛というのもまた幼児とロリータとは異なるでしょうが、「性欲」というのも謎が多いですね。すべてはなんらかの自己愛あるいは自己否定に通じるような要素があるし、親との関係に置いては自分が幼児あるいはロリータに退行しているのかもしれません。

コメントを投稿