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サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09413「路上のソリスト」★★★★★★★☆☆☆

2009年10月24日 | 座布団シネマ:や・ら・わ行

ロサンゼルス・タイムズの記者スティーヴ・ロペスのコラムを基に、路上に暮らす天才音楽家ナサニエル・エアーズとロペス自身の心揺さぶる魂の交流を描いた人間ドラマ。監督は『つぐない』のジョー・ライト。ナサニエルを『Ray/レイ』のジェイミー・フォックス、ロペスを『アイアンマン』のロバート・ダウニー・Jrが演じる。実話ならではの驚きと感動に満ちた展開と、ハリウッドきっての実力派スター二人による熱演が堪能できる。[もっと詳しく]

誰にも分け隔てなく、耳を澄ます者に、音楽は深い慰藉を与える。

特典映像に、実在のスティーブ・ロペス記者と、天才音楽家ナサニエル・エアーズが登場している。
この二人が隣り合って、言葉を交し合っている光景が、とてもいい。
少しユーモラスに、お互いを気遣いながら、そしてなによりお互いに相手を尊敬しあっているたたずまいがある。
これは、『路上のソリスト』でそれぞれを、ロバート・ダウニー・Jrとジェイミー・フォックスが演じ、そのラストシーンで互いを尊称で呼び合いながら、温かく友情の存在を確認するかのように握手をするシーンと、僕たちにはつながってみえる。



実在のロペス記者は、少しはにかみ屋でユーモアを解する繊細で誠実な男性のように見える。
彼を演じたロバート・ダウニー・Jrは、好きな役者だ。
チャップリンを演じた『チャーリー』(92年)が代表作で、一時期麻薬中毒なども懸念されたが、僕は個人的にはニコール・キッドマンと共演した『毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレート』(06年)の、フリークスの役が印象に強い。
ロスに移住後、地震に見舞われ、離婚も体験し、少し欝におちいっているかのような危機の時期のロペス記者の微妙な感情の揺れを、とてもリアルに演じている。
一方で、実在のナサニエル・エアーズはアーチストとしてとてもいい表情をしている。
彼を演じたジェイミー・フォックスは、盲目のジャズメンであるレイ・チャールズを演じた『Ray/レイ』の見事な演技でアカデミー賞を受けているが、僕たちにとっては、コメディアンでもありミュージシャンでもある才能豊かなタレントだ。
実在のナサニエル・エアーズのカラフルな衣裳をこの作品でも忠実に模倣したのであろうが、あまりに「なりきった」のであろう演技に、本物を垣間見ても区別がつかないほどの(顔立ちではなくたたずまいが)印象があり、さすがだなぁ、と改めて思わせられた。



週刊誌などではときおりすぐれたコラムに唸らされたりするが、日本の新聞で(といって海外の新聞に目を通しているわけではないが)とても不満なのが、ろくなコラムにお目にかかることがないことだ。
最近では、新聞社に所属する記者の「署名記事」という形式も増えてはきているが、名物コラム記者などはいたためしがない。
「ロサンゼルス・タイムズ」に所属していたスティーブ・ロペスのコラム集などを読んだことはないのでわからないが、この作品で窺い知れる独特の文体、人間観察は、多くの読者に楽しみと感動を与えていた名物コラムニスト(ジャーナリスト)であるんだろうな、と推察できる。
想像でしかないが、「シカゴ・トリビューン」のコラムニストであったボブ・グリーンや、東海岸では「ニューヨーク・ポスト」の常連であったピート・ハミルなどは、翻訳本をほとんど読んでいるが、彼らのような人間や街への独特のスケッチが得意な人ではないのかなと思っている。



ナサニエル・エマーズは世界からトップレベルの音楽家が集うジュリアード音楽院を2年で、中退している。
この頃から、幻聴をともなった統合失調症が発現したのが理由らしい。
統合失調症は(以前は日本では精神分裂症と呼ばれていた)世界で2400万人、日本でも7万数千人が症例として認められている。
発症率としては、おおむね0,8%、120人にひとりにあたる。
脳の器質障害なのかどうか、まだはっきりとわかっていないところもある。
昔は電気痙攣療法などが主流で、いろんな問題点が指摘され、現在は薬物療法が中心になっているが、その効果に疑問をさしはさむ向きもある。
近い将来には、分子レベルでの解明ができるのではないかと、期待されてもいる。
症例はいくつかに分類されるが、一般的に「スムーズに話せない」=他人に思考にわりこまれると混乱するとか、「的外れの応答」=他人の問いかけに対して憂鬱になったり的外れの応答をする、などが特徴ともされる。
僕たちが誤解しやすいのは、かりに脳に器質障害が認められたとしても、脳の水準が劣っているわけではないことだ。発達障害ということではない。
たとえば、日本でもコンテンポラリー・アートの第一人者とされ、積極的な表現活動で世界に注目されている草間彌生氏も、統合失調症だといわれている。



『路上のソリスト』で、ロペスの問いかけに対し、早口でずれたような対応を繰り返す(ようにみえる)エマーズの思考回路にも、そういう特徴がすぐに見て取ることが出来る。
ロペスはエマーズの芸術的資質を尊敬するがゆえに、そして偶然なのか必然なのか自分がかかわってしまったがために、善意で一時期施設に入院させて、薬物治療を受けさせようとする。
室内での居住さえも拒み、ガラクタ(生活用品)を山と積み込んだショッピングカートを引きながら、路上生活をよしとするエマーズは激しく抵抗する。
そのことに、ロペスは無力感に苛まれ、戸惑い、怒りも覚えたりする。
このことはとてもよくわかるし、僕も似たような体験をしたことがある。
世界でもっとも路上生活者が多い都市といわれるロスアンゼルス、その象徴とも言えるスキッド・ロウ地区。
ディズニー・ホールの近くのダウンタウンだから、だいだいその場所は僕にも分かる。
略奪者がいる、麻薬の売人がいる、酔っ払いが倒れこんでいる。ゴミ箱をあさっている浮浪者も多いし、あちこちで、諍いと喧嘩が絶えず、安全が脅かされることもある。



そこにあるキリスト教系だろうか、支援センターがあり、ロペスは「チェロ」をプレゼントすることをきっかけにして、エマーズを支援センターに、強引に連れてくる。
そこのさまざまな路上生活者の「病い」に、長く観察しつきあってきた黒人のカウンセラーは、ロペスに諭すように語り掛ける。
「診断なんて役に立たない。必要ないのは、彼を病人扱いする人間だ」
最初は、そのカウンセラーの長い経験からの発言を、ロペスはそれほど理解していないように見える。
多くの心身の病を持った人間たちが、支援センターに集っている。
そこで、エマーズはチェロをひとりで演奏する。
普通であれば「病人扱い」される弱々しげな人たちが、その音にたちまちのように惹かれ、深く癒されているようにみえる。
ロペスがはじめてロスアンゼルス公園で、2弦しかないヴァイオリンを弾くエマーズに思わず引き込まれたように・・・。
あるいは、彼のコラムに感動した老音楽家からエマーズのためにチェロを寄贈され、そのチェロを高速道路の脇で5分間だけ弾いてもいいよ!と渡したら、ベートーヴェンの交響曲三番「英雄」の旋律が響き出し、ロペスが思わず深い癒しを感じたのと、なにも変わらない「病人」たちの反応だった。



『プライドと偏見』(05年)でオースティン、『つぐない』(07年)でイアン・マキューアンという女流作家の原作を見事に文芸映画として発表した英国のジョー・ライト監督だが、『路上のソリスト』では、脚本にスザンナ・グラントを得て、見事なLAを舞台とした現代の「魂と友情の物語」を創り上げたな、と感心する。
ジョー・ライト監督が、引き受けるに際しての条件は、スキッド・ロウ地区の路上生活者や支援センターと協力し合って制作するということだった。
綿密なロケハンもそうだが、支援センターを中心に、彼らの日常の生活に支障をきたさないように、近くに2平方マイルの場所を借り受け、この地区を再現し、エキストラなどに路上生活者を積極的に雇用したのだ。
実在のロペスとエアーズはもちろん、有名なロスアンゼルス交響楽団が全面協力した。
関係者の、温かい配慮や気配りが伝わってくる。



ナサニエル・エマーズとほぼ同時期にジュリアード音楽院に在籍していたのが、チェロの世界的奏者ヨー・ヨー・マであった。
ヨー・ヨー・マは、エマーズと再会を喜び、そっと自分のチェロを置いて、席を離れたという。
エマーズがチェロを弾き出したのをじっと聞きながら、静かに後ろから近づいて、そっと肩に手を置いて、「僕と君とはいっしょの世界を見ているよ」と優しく声を掛けたらしい。
エマーズには「高貴」ななにかがある、とロペスは言う。
それは「恩寵よ、神の愛ね」と別れた妻は言う。
音楽へのピュアな愛。



「信じるものがたったひとつあれば、生きていける」とエマーズは言う。
たとえ、路上生活であろうが、2本の弦しかなくても、街から音が聴こえ、鳩がその羽ばたきで拍手をくれる、と言う。
エマーズが好んだ数々のベートーヴェンの作品。
彼だって、難聴なのに、音を感じて生きてきたのだ、と。
成功しているかどうかは別として、ジョー・ライト監督は、光と色が生命のように音楽の旋律とともに呼吸するような幻想的な映像を、エマーズの崇高な音楽の表現として、編み出してもいる。
ニール・ダイヤモンドの「ミスター・ボージャングル」のサウンドが心いい。
まことに音楽の世界は、少なくともその音楽が響いている間だけは、その音に耳を澄まそうとする者たちに、誰にも分け隔てすることなく、深い慰藉を与えてくれるものなのだ。

kimion20002000の関連レヴュー

毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレート
プライドと偏見
つぐない








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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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下手な (sakurai)
2009-10-26 20:05:28
感動作にするのではなく、結構現実の様相を、客観的に表していたようにも思えました。
そこは、アメリカ人の監督ではないあたりが出てるのかなと。

ロバート・ダウニー・Jrはいい役者になりましたね。
若い時のやんちゃぶりからは、こんなにいい役者になるとは思いもしませんでした。
返信する
sakuraiさん (kimion20002000)
2009-10-26 20:16:46
こんにちは。

「アイアンマン」は興行的には成功しましたが、僕は面白くなかったですけどね。
でも、この人の表情の、いいですねぇ。
しみじみしてしまいます。
返信する
Unknown (latifa)
2009-10-27 13:40:48
こんにちは~kimionさん。
いつも写真が一杯あって、内容もですが、とても充実した記事をアップしていらっしゃいますね~。

私の借りたDVDには、特典映像がついてなくて、ショック・・・。kimionさんはご購入されたのかな?
あ~あ、、私も実在の方の映像とか見たかったよぉ・・・。
返信する
latifaさん (kimion20002000)
2009-10-27 14:45:18
こんにちは。

へえ、そうなの?
普通の特典映像の中に入ってたんだけどな。
別にスペシャル版じゃなくて。

僕はDVDは原則として買いません。
そこまでは、きりがない(笑)

わかんないけど、本人たちはいまもそれぞれ活躍している人だろうから、画像検索でひっかかるんじゃないかな?


返信する
弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2010-05-06 01:01:49
>魂と友情の物語
僕は俯瞰撮影に惑わされて愚にもつかないことを書き散らしましたが、最終的なテーマはここですよね。
一応僕の結論もそういうことになっている。(笑)

日本のコラムと言えば、通常第一面の下の方にあるあれですが、アメリカ辺りのコラムはまた違うようですね?
まともに読んだことがないのでよく分らないのですが。
返信する
オカピーさん (kimion20002000)
2010-05-06 01:24:02
こんにちは。
僕も向こうにすんだことはありませんが、欧米はコラムで新聞の人気のかなりが決まるようなんですね。
日本でも、いろんな作家とかに書かせていますけれど、あれはまあ意見とかエッセイとかの依頼原稿ですよね。
本当のコラムというのはコラミニストがジャーナリストのように、取材し、テーマを追いかけ、発表するんですね。
まあ、雑誌ジャーナリズムに近いですが、発表する舞台が新聞なので、やはり大衆性も必要になってくるんですね。
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