サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

晩年は・・・/関本忠弘(元NEC社長)/80歳

2007年11月15日 | 毎日がメメント・モリ
元NEC社長・元経団連副会長の関本忠弘氏が死去


 NECの元社長で経済団体連合会(現日本経済団体連合会)副会長を務めた関本忠弘(せきもと・ただひろ)氏が11日午前8時20分、脳梗塞(こうそく)のため東京都内の病院で死去した。80歳だった。連絡先はNEC総務部秘書グループ。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は次男、澄人氏。

 1948年、NECに入社。デジタル衛星通信技術の開発に携わり、74年に取締役、80年には53歳で社長に就任した。NECを国内最大のパソコンメーカーに育てるとともに、半導体事業も世界有数の規模に拡大。IT(情報技術)企業としての土台を作った。92年からは経団連副会長も務めた。

 94年にはNEC会長に就任。防衛庁を舞台にした背任事件の責任を取って98年10月に取締役相談役に退いた。その後リストラ戦略を巡って、当時の経営陣と対立、2002年12月に相談役を解任された。


NECの「中興の祖」とも言われた。
工学博士出身で、NECのC&C路線を牽引した。
けれども、NECも、派閥めいた争いの絶えないところでもある。
防衛庁の守屋問題での、国会喚問が喧しいが、1998年の防衛庁の不正入札問題で、NECの関与の責任を問われるカタチで、辞任した。
そのあとは、経済界のいくつかの役割を引き受けたが、息子の不祥事問題なども重なり、晩年は、心ならずもということも多かっただろうと推測される。
もう、ご高齢ではあるが、知人のアジアがらみのあるプロジェクトで日本の企業群の牽引役として、関本さんに座長を引き受けていただくことが決まっており、ご本人も、「最後の日本のためのお仕事」として、とても張り切っておられたそうだ。無念であったろう。・・・合掌!


 




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