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東條英機の次男・輝雄氏死去…YS―11を設計
読売新聞 11月13日(火)23時27分配信
東條英機元首相の次男で、旧日本海軍の戦闘機「零戦」や国産旅客機「YS―11」の設計に携わったことでも知られる三菱自動車の元社長、東條輝雄(とうじょう・てるお)氏が9日午後0時55分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。
98歳だった。告別式は近親者で済ませた。
東條氏は東京都出身。1937年、東京帝国大学(現東京大学)工学部航空学科を卒業後、三菱重工業に入社した。同社副社長などを経て、80年に三菱自動車副社長に転じ、81年6月、同社社長に就任した。社長在任時の82年には、大ヒットを収めた主力SUV(スポーツ用多目的車)「パジェロ」を発売した。
東條英機には3人の息子と、4人の娘がいて、孫は14人を数える。
個人的には、東條英機について書かれたいくつかの書物をみるにつけ、娘四人の戦後に関心が向く。
長女光枝が結婚した杉山茂は軍高級参謀であったが、公職追放ののち陸上幕僚長に上り詰め、陸・空自衛官の親睦団体である偕行社のトップもつとめている。
次女満喜枝は、宮城事件ので自刃した古賀秀正と結婚したが、後に社会学者と再婚している。
三女幸枝は映画監督で東映アクションもので鳴らした鷹森隆一監督と結婚。
四女君枝はアメリカの実業家と結婚している。
いずれも波乱の人生だ。
東條輝雄は、英樹が軍人にさせたくなくて、当時エンジニアのもっとも優秀な連中が集まっていた東大航空学科に入り、ゼロ戦の強度計算にかかわっている。
その後三菱重工に入り、出向先の日本航空機製造で名機とされたYS11の開発や自衛隊のC-1輸送機の設計に従事、三菱重工の副社長を経て、三菱自工でいまでもファンの多いパジェロを世に出している。
東條英機との親子関係を云々する向きもあるが、エンジニアとして一等の貢献をした人ではないかと僕は思う。
基本、親は親、子は子である・・・合掌!
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