サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09407「エレジー」★★★★★★★★☆☆

2009年10月16日 | 座布団シネマ:あ行

現代アメリカ文学の巨匠、フィリップ・ロスの短編小説「ダイング・アニマル」を映画化した大人の愛の物語。セックスから関係をスタートさせた男女が、真の愛に目覚めるまでをしっとりと描く。身勝手な大学教授役に『砂と霧の家』のベン・キングズレー。美ぼうのヒロインをスペインを代表する若手女優、ペネロペ・クルスが体当たりで演じている。男女の間に横たわる深くて暗い溝にため息をつきながらも、愛への希望を抱かせてくれる。[もっと詳しく]

老いの強迫観念と、乳房の切除と、そこで等価な愛の関係が成立する。

ベン・キングズレーはとても好きな役者だ。
『ガンジー』(82年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞したが、父親はインド人医師である。ハリウッドでも「ナイト」の称号が与えられ、その存在感も別格だ。
1943年生まれだから、66歳か。あの剃髪頭に漲るエネルギーは、ユル・ブリンナー以来かもしれない。
『エレジー』での役どころは、大学教授のデヴィッド・ケペシュ。
著書が『アメリカの快楽主義の原点』であり、TVで週1回の文学対話に出演し、ときどきはニューヨーカー誌に論評を執筆する、自他共に認める快楽主義者である。



本来、原住民などにはおおらかな「性」というものがあったが、アメリカはピューリタン革命で快楽を封印したのだ、と。そこから50年代、60年代にビート族やフラワーチルドレンなどのヒッピー革命の中で、回復の動きはあったのだが、と。
自分はその頃結婚生活をしてしまい、それはてひどい失敗であった、と。
結婚生活に終止符を打ち、15年にわたってかつての教え子であり現在は女性経営者のキャロライン(パトリシア・クラーイソン)とセックスだけの割り切った関係を続けている。
ひとり息子で医者をしているケニー・ケペシュ(ピーター・サースガード)には、いまだに恨みを持たれているようだが、ピューリッツア賞も受賞した友人の詩人ジョージ・オハーン(デニス・ホッパー)と親しく交流しながら、ある意味で優雅な独身生活を謳歌している様にも見える。



そんなケペシュは生徒であるコンスエラ・カスティーリョ(ペネロペ・クルス)に胸をときめかす。
コンスエラはキューバの裕福な亡命一家の娘だが、「優雅であり厳格さ」を持っているところに惹かれたのだ。
弁護士事務所で秘書の経験もあるコンスエラだが、女子学生として登場したときのペネロペ・クルスがこれまた清楚で愛らしい。
これがあの『赤いアモーレ』(04年)でゆきずりの男に蹂躙された不幸な女を演じたペネロペ?『ボルベール<帰郷>』(06年)で肝っ玉が太いラテンのおっかさんを演じたペネロペ?と、驚く。
ノーベル賞にもっとも近い現代アメリカ作家といわれるフィリップ・ロスの原作短編「ダイニング・アニマル」を渡されてから5年間逡巡したのちに、この役にOKを出したと言われるペネロペだが、このスペインの油が乗り切った旬の女優が、この役柄ではどこかオードリー・ヘップバーンを思わせるような知的で清楚でコケティッシュでという雰囲気で登場するのだから、女優は恐ろしい。



物語は当然のように、30歳も年齢が離れたこのふたりの「愛」が焦点となる。
パーティー会場でコンスエラに声を掛け、手練手管を駆使して自宅に誘い、ピアノを弾いたり、画集をみて薀蓄をたれたり、写真の暗室に招いたり・・・これはインテリで快楽主義者を自称するケペシュのすけべさ全開のパフォーマンスである。
当然のように二人は肉体関係を持つが、いつものように関係は征服してそれで終わりと言うものではなかった。
コンスエラの裸身は、「芸術」のように、美しすぎたからかもしれない。
あるいはどこかで老いが忍び寄っていることを自覚しているケベシュの、もうこんな出逢いはないかもしれないという年齢から来る執着であったかもしれない。



本当はケベシュが仕掛けた「快楽」遊戯なのだが、いつの間にか立場は逆転していく。
コンスエラの過去につき合った男とのセックスにこだわったり、彼女と若い男との肉欲を妄想するようになったり。
嫉妬と独占欲が、いつものケベシュの「快楽主義者」の原則を崩壊させていくことになる。
コンスエラは歳の差などは関係なく、自分のことを褒め称えてくれるインテリのケベシュに純粋に愛を深めていくのだが、ケベシュは「本気」のつきあい、ふたりの「未来」をどこかではぐらかそうとしている。
30歳の年齢差を理由に「きみのためだ」とケベシュはいうが、コンスエラには逃げとしか受け止められない。
そして、コンスエラの両親主宰の卒業パーティーにケベシュを招待するのだが、約束したにもかかわらず、ケベシュは逃げてしまう。
もちろんケベシュのような優雅な「快楽主義者」でもインテリでもないが(笑)、50歳も半ばになった僕には、ケベシュの欲望や焦慮や不安や自己嫌悪や強がりや・・・といった、愚かな初老の男の気持ちの揺れがとてもわかるような気もする。
肉体の衰えや(若い男との無意識の比較)、病の恐怖や(友人のジョージ・オハーンも倒れた)、死の観念(裏返しとしての欲望の過剰)が、「老い」というたぶん誰にとってみてもまことに憂鬱でけれど未経験の感情に苛まれる独特の時間を、複雑にしている。



ペドロ・アルモドバルの秘蔵っ子であるスペインの才女イサベル・コベシュ監督は、フィリップ・ロスを愛読しており、「男」というものに迫ってみたかったとコメントしている。
彼女に言わせれば、ケベシュも詩人のオハーンも息子のケニーも、「この3人の男は最低よ!」と笑って話すのだが、その愚かしさも含めて、男のプロトタイプを表現したかったのだろう。
『死ぬ前にしたい10のこと』(03年)にしても『あなたになら言える秘密のこと』(05年)にしても、イサベル・コベシュは完璧にどう撮りたいのかということを把握している。
そして「私からカメラを取り上げたらピカソから絵筆を奪うみたいなものよ」といいながら、自らファインダーを覗き続けるのである。
次回作は、日本を舞台にするらしいが、とても愉しみだ。



ところで、パーティーに出席しなかったケベシュとコンスエラの関係は途絶えるが、2年後大晦日に突然コンスエラから会いたいと電話が入る。
乳癌が発覚し、乳房を切り取る前に、かつてその身体を「芸術品だ」と褒めそやしたケベシュに美しい姿を記憶にとどめてもらいたかったのだ。
コンスエラはソファによりかかり乳房を顕わにする。
それはまるで、かつてケベシュがコンスエラのことをゴヤの「着衣のマハ」にそっくりだといったあのポーズであった。(ちなみに関係はないがペネロペ・クルスはかつて『裸のマハ』というゴヤの作品をモチーフにした映画に出演している)。
手術が終わり、病室で乳房をふたつとも切り取ったコンスエラに、ケベシュはずっと一緒にいるよ、と約束する。
ここではじめて、ケベシュの老い=死の観念と、コンスエラの欠損=死の観念とが等価となり、もう30歳の年齢さも、嫉妬も、独占欲も、つまりあらゆる余分な自意識が取り払われて、純化された「愛」がふたりに訪れたのである。
ふたりの余命はいかほどか、けれど、そんなことは年齢差を気にするのと同じぐらい、たぶんどうでもいいことなのだ。


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2 コメント

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弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2010-12-20 22:56:26
>等価な愛の関係
僕にはこんな洒落た表現ができませんでしたが、そういうことですね。
何とも大人の映画でした。

>ペネロペ
「ボルベール<帰郷>」は素敵な作品ですが、僕が観たいのは本作のような可憐なペネロペです。
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オカピーさん (kimion20002000)
2010-12-21 02:58:10
こんにちは。
ペネロペは魅力ありますね。
「裸のマヤ」のモデルに本当に見えてきました。
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