サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 11515「インセプション」★★★★★★★★★☆

2011年01月08日 | 座布団シネマ:あ行

『ダークナイト』の気鋭の映像作家、クリストファー・ノーラン監督がオリジナル脚本で挑む、想像を超えた次世代アクション・エンターテインメント大作。人の夢の世界にまで入り込み、他人のアイデアを盗むという高度な技術を持つ企業スパイが、最後の危険なミッションに臨む姿を描く。主役を務めるのは『シャッター アイランド』のレオナルド・ディカプリオ。物語のキーマンとなる重要な役どころを『ラスト サムライ』の渡辺謙が好演する。斬新なストーリー展開と、ノーラン監督特有のスタイリッシュな映像世界に引き込まれる。[もっと詳しく]

誰にでもある「夢」体験を上手に連想させて、お話にリアリティを与えている。

クリストファー・ノーラン監督は1970年生まれだから、まだ40歳ぐらいである。
しかし、映画監督としてはここ10年ぐらいの間に、とてもいいポジションを獲得しているように思える。
僕が最初にこの監督に出会ったのは『メメント』(00年)だ。前向性健忘症の男が記憶を保持するためにポラロイドにメモを残したり体にタトゥーを刻み付けているさまに、とても興味を持った。
そして『インソムニア』(02年)では早くもアル・パチーノ、ロビン・ウィリアムズ、ヒラリー・クワンクという大物役者を使いこなし、ここでも「不眠症の刑事」という設定がユニークであった。
そしてマジックによって運命を狂わせる幻想的ミステリーである『プレステージ』(06年)や、作家志望の男が好奇心から尾行や覗きがやめられずいつしか事件に巻き込まれていくといった心理サスペンス『フォロウィング』(08年)まで、一筋縄では捉えられない心身のずれのようなものを彼はいつもテーマにしてきたように思える。
登場人物たちは、どこかで自分の妄想に自分で幻惑されるような按配で、起承転結も曖昧になっていくような映画空間を作り上げている。
そんなノーマンは本来はインディペンダントな映像作家であるのだが、超大作の『バッドマンビギンズ』(05年)や『バットマン/ダークナイト』(08年)にも起用され、アメコミが持つダークファンタジーの性格を、ヒーローや敵役の異常な心理特性を強調することによって、大人の鑑賞に耐えるようなヒーローあるいはアンチ・ヒーロー作品まで紡ぎだしてきたのだ。



『インセプション』はノーマンにとって十年ほど温めてきた構想であった。
そして『バットマンシリーズ』を成功させたノーマンは、この作品に対しても160億円近い制作費を準備することが出来、興行成績も800億以上をたたき出している。
ワーナーブラザーズは巨額の宣伝広告費もつぎ込んだ。
ちなみに『メメント』の制作費は10億未満、興行収入は25億超であった。
たしかに記憶の階層を巡るこの『インセプション』という大作は、階層ごとにアーキテクトされた世界に入り込んだプロフェッショナルたちが、その仮想現実の迷路でアクション活劇をしながら、その階層から帰還する=対象階層が崩壊するさまを、セット実写や特殊撮影や精緻なCGを組み合わせるといった気の遠くなるような作業の連続であり莫大な制作費が必要とされた。
ともあれ、ノーマンの脚本の組み立て段階では、おそらく『メメント』の場合と同じように突出した着想がなによりも大切にされたはずだ。
『メメント』でいえば10分間しか記憶が保てない主人公の特異な世界を提示するために、時系列をさかさまに映し出していくことにこだわり、『インセプション』でいえば記憶の階層を映像化し、その階層相互の干渉や歪みや関係付けを、トポロジー的に映像化するという着想にこだわった。



対象の潜在意識に入り込んでアイデアを盗むことを生業としているドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、大実業家であるサイトー(渡辺謙)からライバル会社の後継者を操作して会社が解体するように仕向けて欲しいという依頼を受ける。
成功すれば、コブの犯罪歴は抹消され、愛する子どもたちに再会することが可能となる。
コブは、いつもの相棒のアーサーの他に、階層世界をアーキテクトする設計士のアリアドーネ、アイデアを植え付けるための偽装師のイームズ、深い催眠状態を保持するための薬の調合師であるユスフらを引き連れ、サイトーとともに後継者ロバートを拉致し、記憶の階層の世界に下っていくことになるのだが・・・。
ここでは誰もが持つ「夢」の世界の不可思議な体験を上手に使いながら、一見すると滑稽なSF譚になりそうなお話に、奇妙なリアリティを与えることに成功している。
最新脳科学ではどのように説明がつくのかどうかは別としても、そのリアリティの在り処を自分の経験に即してみれば、おおよそ次のような「体験」を僕は呼び起こしたりしていた。



第一に、「夢」には階層があり、より深い階層に下ることによって、その上位の階層に影響をもたらすことができるということ。
このことは僕の中では、「夢」から覚醒したと思ったらまだそれは夢の続きであり、どこかで無限ループしていることの恐怖に似た体験との相似に行き着く。
あるいは「夢」の続きを見ることが得意な僕は、繰り返しその直前のシーンにジャンプすることによってパラレルワールドを疑似体験しているような感覚に陥ることがあるが、そういう感覚に近いものかもしれない。



第二に、アリアドーネという有名な女神の名前を冠された設計士の存在。
数学が不得意で位相幾何学などまったくトンチンカンな僕であるが、夢の中では脳がどういう働きを無意識にしているのかわからないが、なにやらとても精密な高等数学を操りながら、その世界の隅々までアーキテクトしていることがある。
あらゆるものを鳥瞰し、その隅々まで意識がくまなくいきわたっている状態とでもいおうか。
もうひとつ、これは多くの人間にある前思春期の能力のひとつなのだが、一瞬見ただけで目にしたものを記憶してしまうことができ、それを網膜に再現することができるという体験だ。
ある時期の僕は、たとえば歴史の教科書の一族の血統図やすべての引用図版・写真の小さな活字のキャプションまで、そのまま数十頁もそらで書き写すことができたことがある。



第三に、夢の時間の経過の説明。
『インセプション』では夢の時間は、現実世界の時間経過のおよそ20倍で進行していると説明される。
そしてさらに下の階層に入り込むごとにその時間は20倍となるのだ、と。
この作品では結局、4階層まで下っていくことになるのだが、それだと20の3乗となり、つまりは現実世界の1時間に相当する時間の経過が、8000倍だから1年近い時間の経過ということになる。
映画の中で、コブが妻と第4階層(虚無)の世界で50年引きこもったことになっているが、それも現実世界ではたったの2日程度に過ぎないことになる。
これなども目覚まし時計が鳴り始めてから意地汚くいくつもの長編の夢を楽しむ癖を持っている僕にとっては、目覚ましの繰り返しが3分間隔だとしても、その間で第1階層だとすれば1時間の物語世界に漂っていることになり、とても実感に近いものだ。
第四に、夢からの意識的な覚醒に対して、「キック」という方法を使うことである。
「金縛り」歴10年の僕にとって、お馴染みのアクションではある。
「金縛り」から脱出するために僕が学んだのは、大きく息を吸い込んでから全身に力を入れて、ウワッと叫ぶようにして、反動的に一気に体を起こそうとする動作だった。



第五に、「落下」しながら階層を行き来すること。
これも、とんでもないスピードでの果てがないような墜落夢を繰り返し見ることが多かった僕にとっては、親しい感覚である。
高速落下の感覚や無重力のような感覚は、『インセプション』という作品でいうと、第2階層のホテル空間で繰り広げられる無重力状態とエレベーターの落下に近い感覚である。
最後にもうひとつ。
この映画では「無意識」を防御する訓練を施された後継者が、階層世界では敵兵士であったり道路を驀進する機関車であったりという造形で、襲ってくること、あるいは主人公の妻モルの記憶が、障害要因として立ち現れることである。
この暗喩は、ほとんどウィルス細胞などの「異質」の侵入に際して、さまざまな守護的な細胞機能が連携して、阻止し防御するという身体モデルに近いものがある。
僕の場合は、夢の中で墜落現象が始まったりすると、暗闇の中に光を見つけながら永遠とも思える(本当は一瞬なのだろうが)墜落していく自分の身体を脱出させる出口を見つけようとするのだが、その時決まって障害物が現れ、行く手を阻むように邪魔をする体験などが思い浮かぶことになる。



逆に『インセプション』という作品の中で、なかなか想像しにくい現象ということでいえば、他人の夢に入り込む、あるいは複数の人間がひとつの夢の中で行動を共にするということだ。
ここではユングのいう集合夢ということとも少しは連関しているのかもしれないし、集団催眠みたいな状態を想定すれば、お互いの潜在意識が入れ子状態に重層するということも想定することはできるのだが。



ノーランはルイス・ボルヘスの『伝奇集』や、「ロジャー・ベンヤーズの階段」と呼ばれるお馴染みの無限ループや、それを図像化したマウリッツ・エッシャーの「騙し絵」などにヒントを得ながら、まことに不思議なリアリティのある映像空間を成立させている。
「夢」から覚醒する時の「キック」の合図が、「音楽」であるということもなかなか興味深い。
この作品ではエディット・ピアフの「水に流して(Non、Je ne regrette rien)」という有名な曲をトリガーとしており、その題名もなにやら意味深に思えてもくるというものだ。
また記憶の世界と現実世界の判別に使うトーテムも、独楽が永久運動をするか現実物理の法則にしたがって動きをいずれ停止するかというところに置いていたりするのも、なかなかクールだ。



主人公であるコブは、虚無の世界から死にダイブすることによって、「現実」世界に遡行することになる。
そしてようやくのように、子どもたちを強く抱きしめることが出来る。
しかしながら、それもまたコブが見ている夢ではないと、誰が言い切ることが出来るだろうか。
どこまでが夢で、どこまでが現実なのか。
「胡蝶の夢」のあわいの世界は、いつまでもついてまわることになる。
机の上で回る独楽は、その動きをほんとうに止めたのかどうか・・・ノーマンはその解釈を観客の側に委ねている。







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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おけましておめでとうございます (sakurai)
2011-01-10 09:21:58
今年もいろいろとご教授願います!
kimionさんに気に入ってもらえたようで、わが意を得たり!といった感じです。
実は、いま亭主が隣でこのDVDを見てます。

自分と重なるような思いは見ているときは感じなかったのですが、言われてみると、浮遊感や、底知れない落下の思いなど、いつも体験しているように思えます。
底知れない恐怖と期待みたいなもんでしょうかね。

なぜかはまりにはまって映画館で4度見てしまいました。これはやはりスクリーンだったと思います。
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Unknown (リバー)
2011-01-10 12:07:17
TB ありがとうございます

この設定の面白さ
映像的にも 凄くて ストーリーも複雑ながらも引きつける

去年 見た映画の中でも 上位の作品でした
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sakuraiさん (kimion20002000)
2011-01-10 13:53:19
あけましておめでとうございます。

ご亭主はどんな感想をもたれるでしょうか(笑)

そうですね、この作品はやっぱり劇場で見るべきですね。
でも4度も見るって、幸せなことですよ。ずっと記憶に残る作品とめぐり合えたということですからね。
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リバーさん (kimion20002000)
2011-01-10 13:57:29
こんにちは。

ディカプリオもすごい役者になってきました。
「シャッターアイランド」とちょっと似ているところもありましたね。

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今年も宜しくお願い申し上げます。 (小米花)
2011-01-10 15:36:48
遅くなりましたが、新年おめでとうございます。
いつもTBを送りっぱなしで失礼しておりますが、
今年も宜しくお願い致します。

いつもながらしっかりと深い記事ですね。
いろいろ参考にさせて頂いてます。

「メメント」がダメだった私は、ノーマン監督作品、ちょっと理解が難しいのです。
でも、この映画はとても感激しました。

「フォロウィング」未見なので、今度見てみようかと思いました。
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小米花さん (kimion20002000)
2011-01-11 02:08:42
新年おめでとう。
今年もよろしく。

メメントはなんか神経が病んでくるような映画でしたね(笑)

でもこの監督はまだ40歳ですよ。
本人は「007シリーズ」の大ファンらしくて、だからエンタテイメントもしっかり押さえることができるんですかね。
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ふたたび (sakurai)
2011-01-11 10:09:34
亭主は、気に入ったようです。
かなりのボリュームで見ていたようで、苦情が繰るんじゃないかとはらはらでしたが。

ああだ、こうだと考えるのもいいですが、引きずり込まれていきそうな感覚にさせられたのもまた味わいでした。

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sakuraiさん (kimion20002000)
2011-01-11 23:32:35
「ご亭主」も気に入られてよかったですね。
結構、いっしょにも映画館に行かれるのかしら?
こちらはいつもテレビの前に寝転んでいるので、相方には邪魔者扱いされてますけど(笑)
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Unknown (de-nory)
2011-01-12 12:36:21
こんにちは。
いつもありがとうございます。
そして、今年もよろしくお願いします。

楽しめた映画でした。
パラレルワールドやタイムパラドクス系かな。
近い感覚がありますね。
こういった話好きなので、お気に入りです。
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de-noryさん (kimion20002000)
2011-01-12 13:02:03
本年もよろしく。
パラレルワールドは現代の最新宇宙物理学のモデルからもなんとなくわかるような気がするんですけどね、こちらは記憶の世界。
意識と物質の話になりますからね、唯幻論の世界に近いのかもしれませんね。
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