【神奈川・横須賀市】平安時代末期の創建と見られる開達明岩正因を開山とする臨済宗の寺院で、本尊は釈迦如来像と阿弥陀如来像。
19歳で源平合戦に参加した三浦大介義明の末子・佐原十郎義連によって建立されたと伝わるが、そうであるなら、佐原十郎義連は建久二年(1191)にこの世を去っているので平安末期の創建といえる。
本堂裏山の竹薮に質素な観音堂と佐原十郎義連の廟所があり、廟所には義連の墓と伝えられている大きな五輪塔が立つ。 また、本堂前には、江戸幕府末期の幕末時に浦賀奉行所与力で俳人でもあった中島三郎助の筆による慶応二年(1866)建立の松尾芭蕉の句碑が佇む。 本堂右手の収蔵庫には、鎌倉時代作の観音菩薩像、地蔵菩薩像、毘沙門天像、不動明王像が奉られている。
岩戸山麓に広がる境内に入るとに緑に囲まれた簡素な本堂が建つ....本堂の柱に「秋の七草 第2番 撫子の寺」と書かれた看板が掛る。
本堂左手の苔生した石段を上り、竹藪の中に立つ観音堂に....正面の両側に大きな花頭窓のある観音堂がひっそりと建つ。 観音堂の右手には、瓦土塀に囲まれた三浦大介義明の子「佐原十郎義連」の小さな廟所があり、幾つかの五輪塔や宝篋印塔が....ひときわ大きい五輪塔が佐原十郎義連の墓といわれる。
高さ174cmの佐原十郎義連の五輪塔の水輪、火輪はもともとのもので、空輪、風輪、火輪はのちに加えられたもの。
寺門から眺めた深い緑に覆われた境内
参道を進むと本堂が見えてくる
境内の庭(雑草が多いが?)にひっそりと佇む石燈籠
入母屋造瓦葺の本堂..向拝がなく全面が硝子の格子戸に
本堂と庫裡は火災で焼失、戦後に再建された
本堂軒の柱に「秋の七草 第2番 撫子の寺」とある/慶応二年(1866)建立の芭蕉の句碑..幕末の浦賀奉行所与力で俳人の中島三郎助の筆
静かな佇まいの境内
観世音の石柱/天保二年の銘が刻まれた萬霊塔/境内に鎮座しているかわいいお地蔵さん
観音堂への石段の下に2基の石祠と六地蔵が鎮座している
石祠..稲荷神の使いのキツネが守護している/観音堂への苔生した石段
本堂裏山の竹藪の中にひっそりと佇む観音堂/観音堂..以前は寄木造りで鎌倉期の観音菩薩像と地蔵菩薩像を安置していた
簡素な観音堂の近景..花頭窓が印象的だ
三浦大介義明の子「佐原十郎義連」の廟所
鎌倉期の形式を持つ五輪塔(高さ174cm)が佐原十郎義連の墓といわれる
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