何気ない風景とひとり言

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佐原義連の墓 (横須賀)

2018年03月03日 | 史跡探訪-日本編

【神奈川・横須賀市】十二世紀末頃、佐原十郎義連を開基として創建された臨済宗満願寺の裏山に、三浦一族の一人である佐原義連の墓と伝える五輪塔がある。
佐原義連は三浦義明の末子(十男)で、平家追討では寿永三年(1184)に源義経に従って一ノ谷戦に加わり、鵯越の難所を先駆けして勇猛な武者ぶりを発揮、勝利を導いた武将として「平家物語」に登場する。 源頼朝の信頼厚く、重用され、幕府内の重臣として活躍した。 紀伊・和泉両国守護職と遠江笠原庄の地頭を兼任し、惣領に並ぶ権勢を誇っていた。

苔生した狭い石段を上ると竹林を背にして観音堂が建ち、その右隣の瓦塀で囲まれた廟所に義連の墓とされる五輪塔が鎮座している。 五輪塔は全体にどっしりしていて格調の高さが感じられ、また趣きがある。 鮮やかに苔生した笠石(火輪)は少し摩滅しているが、軒反りがなく四隅を垂直に切った形なのが分かる。 なお、空輪、風輪そして地輪は後補らしい。
瓦塀の直ぐ脇に家臣の墓碑とみられる10基ほどの小さな五輪塔と宝篋印塔が義連の墓を見守る様に並んでいるが、殆んど一部が欠損している....合掌。
 
苔生した狭い石段の上に竹林を背にして観音堂が建つ/観音堂右手にある瓦塀に囲まれた佐原義連の廟所..墓域は昭和五十九年(1984)に改修された

佐原義連の廟所..中央の格調の高い五輪塔が義連の墓と伝わる..空輪、風輪、地輪は後補らしい
 
五輪塔の苔生した火輪はかなり摩滅しているが、軒反りがなく、四隅を垂直に切っている..石燈籠の笠と中台に三浦氏の家紋が刻まれ、全体に薄っすらと苔生している/義連の墓の右に佇む地輪を欠落した五輪塔

瓦塀の傍に整然と並ぶ一部が欠落した小さな五輪塔や宝篋印塔群
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