何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

英勝寺 (鎌倉)

2017年08月30日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・鎌倉市】江戸時代初期の寛永十三年(1636)、英勝院が徳川三大将軍家光から祖先太田道灌の屋敷跡をうけ、水戸家初代の息女・玉峯清因を開山に迎えて創建した。
英勝院は太田道灌から数えて四代目の康資の娘お勝の方で、徳川家康に仕え(側室)、家康の死後出家し英勝院と号した。 創建以来一度も火災などに遭っていないので、堂宇(仏殿・祠堂・唐門・鐘楼など)は創建当時のままの姿を今に伝えている。 現在鎌倉に残されているただひとつの尼寺。 宗派は浄土宗で、本尊は阿弥陀如来像。

訪問した約9年前はちょうど山門が復興工事中だった。
筋塀の築地塀に設けられた通用口から境内に入り、入山受付を済ませた後、仏殿に向かう。 仏殿は江戸初期の建立で、中備は詰組、身舎に裳腰を設けた五間四方に桟唐戸と花頭窓を配した禅宗様建築で、風格があり荘厳さが漂う。
仏殿前庭の直ぐ左に祠堂への唐門があり、軒下の牡丹の透かし彫りが見事だ。 唐門をくぐると覆屋が建ち、ガラス越しに中を覗くと、その中に極彩色に彩られた祠堂が鎮座している。 英勝院を祀るこの祠堂は、かの有名な水戸黄門が寄進したものとのことで感慨深いものを感じた。
仏殿前庭の先に山門の礎盤が残る基壇があり、ちょうど復興工事が始まって間もなくだった。 道路に面した惣門の傍に組高欄を巡らせた袴腰付き鐘楼があるが、この袴腰付き鐘楼は鎌倉で唯一のものだそうで意外だった。
境内に幾つかある石造物の中に葵巴の紋が刻まれた手水鉢があり、徳川家とゆかりのある寺であることを主張しているかのようだった。

総門が開くのは英勝院の命日のみで、通常は5本の筋が入った白い築地塀がある通用門を使う

小棟造りの寄棟造本瓦葺風銅板葺で裳腰を設けた本堂の仏殿..寛永十三年(1636)建立

屋根よりも傾斜が緩い裳腰部は五間四方で禅宗様式が見られる仏殿..側面と後面は一間の桟唐戸と脇間四間にそれぞれに花頭窓

仏殿の正面は三間が桟唐戸、脇間に花頭窓..中備は詰組で、組物傍に「寶珠殿」の扁額が掲げられられている
 
簡素な美しさを見せる仏殿の正面と側面..殿内に徳川家寄進の運慶作の阿弥陀如来三尊立像と法然大師像を安置

仏殿前の寛永二十一年(1644)造立の2基の石燈籠が立つ
  
鬼板と鳥衾、軒丸瓦に葵の紋が入っている/唐門側の石燈籠/仏殿前庭から眺めた唐門..側面に唐破風がある平唐門様式

切妻造本瓦葺の唐門(重文)..寛永二十年(1643)頃の建立..奥の覆屋に祠堂(御霊夜)がある
 
仏殿左手に立つ祠堂の唐門の両面に見事な牡丹の花の透かし彫りがある/祠堂境内の唐門傍に佇む石燈籠と球状の手水鉢
  
覆屋の中の祠堂に寛永十九年(1642)に没した英勝院を祀る/極彩色に彩られた祠堂は水戸黄門こと徳川光圀の寄進
 
祠堂裏に2基の笠付墓碑があり、岩壁のやぐらに2基の小さな墓碑と3体の石仏が鎮座
 
祠堂前から眺めた仏殿/12個の礎盤が残る山門の跡地(2008年当時は復興計画中)..徳川光圀の兄(讃岐高松藩主・松平頼重)による建立
 
切妻造本瓦葺風堂板葺の総門..英勝院の命日以外は閉門だが、山門復興作業中のため開けられている..中の建物に山門の古材が保管されている/総門の傍に建つ鐘楼
 
入母屋造本瓦風銅板葺の袴腰付鐘楼..袴腰付鐘楼は鎌倉で唯一のもの/和様の組高欄を巡らしている
 
境内奥にある竹林の入口の門..竹林は代々の姫君の姫御殿跡らしい/竹林には遊歩道が整備

入母屋造桟瓦葺の書院..左側に白藤の藤棚がある
 
境内に幾つかの石造物が点在..楕円の手水鉢に葵巴の紋が刻まれている/初層軸部の正面に仏像が掘られている五重層塔
  
側面を2区に分けて格狭間を設けた手水鉢/笠石(火輪)の四方に種子が刻まれた五輪塔/後補とみられる地輪以外に種子が刻まれた五輪塔

英勝寺前の道路脇に立てかけられた「山門復興事業」の看板..復元される山門は三間一戸の入母屋造本瓦風銅板葺の二重屋根門だと分かる
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