【東京・豊島区】江戸時代初期、雑司ヶ谷鬼子母神の参詣が流行している寛永五年(1628)に実蔵院日相上人が現在の地に三宝諸尊を祀ったことに始まる。 慶安三年(1650)に正式な寺院となった。 本堂には三光天像(日天子、月天子、明星天子)が祀られている。 日蓮宗で、本尊は一塔両尊四士像及び日蓮像。
墓所に旧大名の井上家(浜松井上家)の墓塔の宝篋印塔が七基あるが、慶長九年(1604)造立の一基は徳川二代将軍秀忠に仕えた井上家初代正就の父のもので、同型の墓塔としては関東最古といわれる。
4本の筋が入った筋塀に囲まれた本納寺は、石畳の鬼子母神大門欅並木通りから外れた人通りが少ない道に面している。 門前の「九老僧安置」と刻まれた標石を見ながら境内へ....正面に石燈籠1基が立つ宝形造りで脇間の白壁に花頭窓がある本堂が建つ。 前庭に3基の句碑が佇み、その中の「月花塚」という句碑が有名らしいが....。
本堂裏手の墓所で、井上家の古い宝篋印塔の他に珍しい造形の石造物を2つ見つけた。 ひとつは石燈籠型の墓標とみられるもので、脚部に見猿聞か猿言わ猿の三猿が薄肉彫りされ、その上に石燈籠の中台から上の部分が乗っている形だ。 もうひとつは、笠から上が不思議な形をした小さな石燈籠。 いずれも初めて見る石造物なので、その極めて珍しい造形に驚いた。
門前に立つ宝暦三年(1753)造立の石碑..題目の「南無妙法蓮華経」と「九老僧安置」が刻
門柱から眺めた境内..4本の筋が入った筋塀が新しい
狭い境内の正面に本堂、左手に庫裡が建つ
露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の本堂..本堂正面に1基の石燈籠を置くのは室町時代中期までの配置
庫裡前に佇む石燈籠 本堂前に佇む石燈籠
質素な造りの向拝..黒地に青で書された扁額が掲げられているが読めず/三光天像を安置する本堂..脇間の白壁と花頭窓がいい
本堂前庭に佇む左から法界萬霊塔、笠付墓石、シンプルな石灯籠..法界萬霊は天明七年(1787)造立の供養塔
本堂前庭に佇む句碑..左から「月花塚」、「乙字」、もう一つ「錦風居士」があるが失念/雪見燈籠のような笠のシンプルな石燈籠..脚部が後付のようだ
墓所に入り口に立つ悲母観音立像..昭和五十四年(1979)造立/丸彫りの如意輪観音像..多分幾つかの台座を集めて積み重ねた上に鎮座/墓所の本堂裏の塀傍に佇む屋根形笠のかわいい石燈籠
火袋部があるので石燈籠型墓標と思う..笠に相輪を乗せ、竿にあたる脚部に三猿が半肉彫りされた極めて珍しい造形
台座の正面と左右に各1猿(見ざる、聞かざる、言わざる)が彫られている
江戸時代造立の旧大名井上家(浜松井上家)の宝篋印塔群..右端は正保五年(1648)、右から2基目は寛永五年(1628)、左端は元和二年(1616)の造立..関東最古といわれる慶長九年(1604)造立の一基は井上家初代正就の父のものらしいが確認できず
火袋部があるので石燈籠と思うが、極めて珍しい形で初めてみる
本堂に向かって左手に建つ庫裡
庫裡前に置かれた手水鉢..石を加工して造られた珍しい形だ
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