【神奈川・横須賀市】北条氏の弾圧から逃れるため時の住持六世頓乗は本尊を裏山の岩窟に隠し、長浦の長願寺に逃れて5年間身を隠した。 この間、光明寺の僧が寺号を宝立寺に改めて住持したことを悲観した頓乗は、天正十六年(1588)、京都伏見に草堂を建てて住んだ。
北条氏滅亡の後の天正十八年(1590)、元の西来寺に帰住し、江戸時代慶長七年(1602)の東西本願寺分派の際、東本願寺に帰属して現在に至る。 近年二度の火災に遭い、古い文献を焼失した。
★山門からさらに石段を上がると砂利敷の境内が大きく開け、本堂と鐘楼が建つ。 本堂の裏山に頂上に向かって墓碑が立ち並ぶ墓所が見える。 堂々たる構えの本堂だが、正面はほぼ全面が現代風のガラス入り腰高格子戸と格子窓で光が反射し外の様子が映り込んでいて、歴史あるお寺にしては風情を損なっていて残念だ。 とはいえ、向拝や組物に目を見張るものがある。 向拝柱は几帳面の面取角柱で、下部四方に獅子を浮き出させた装飾の根巻金具を施している。 また、初めて見る身舎の組物も気になった。 柱上に組物があるが、よく見ると柱が丸桁を直接支える構造なので、組物はどうみても飾りだろう。
△石段を上りつめると開けた砂利敷の境内に本堂と鐘楼が建つ....本堂の裏山に墓所があり、山頂に向かって墓碑が立ち並ぶ
△入母屋造本瓦葺の本堂
△正面は十間に見えるが七間(と思う)で、中央間はガラス入りの4枚引き違い腰高格子戸、両脇間は狭い一間が片開き桟唐戸、二間は腰高引き違い戸と格子窓(いずれもガラス入り)
△向拝水引虹梁の獏の木鼻....木鼻は頭貫(虹梁)が柱を貫いた側のみで正面に無し/木鼻は短い鼻、牙が生えている、,毛がカールしている特徴から獏と思う....目はまるで玉眼を嵌め込んだような感じがする
△長押の上は全て白壁の小壁....柱が直接丸桁を支える構造のように見えるが柱頂部に組物がある
△柱が直接丸桁を支える構造なので組物は装飾性が高い....柱の左右から肘木を乗せた小斗を出し、正面に梁から突き出た木鼻を配す
△礎盤に立つ向拝柱は几帳面の面取角柱で、足元四方に獅子像を浮き出させた装飾を配した根巻金具が施されている
★向拝前の天水桶の直ぐ傍に石組井戸があるが、こんなところにと感じるくらい珍しい。 本堂の軒廻りは繁垂木なのだが、なんと正面は二軒なのだが側面は一軒だ。 入母屋屋根の拝は三ツ花懸魚の変形のような意匠、また、妻飾は混成複合式で興味を引く。
本堂境内の南西側に平成二年再建の宝形造りの鐘楼が建つが、吊り下がっている梵鐘は約330年前の元禄九年の鋳造で市内に残る最古のものだという。 鐘楼の墓所寄りに、基部の壁一面に墓碑の石仏を埋め込んだ玉垣の中に、阿弥陀の誓願を表す「諸上善人俱会一處」と彫られた合葬墓が石仏に囲まれてたつ....合掌。
△向拝軒先に箱状樋が下がり、左三つ巴の紋が浮き彫りされた天水桶が置かれている/本堂前にある石組井戸....坪庭に石燈籠が佇む
△側面は十間に見えるが七間(と思う)で、軒廻りは正面が二軒繁垂木なのに対し側面は一軒繁垂木....正面と側面前三間に擬宝珠高欄付廻縁を設けている
△本堂の大棟端に獅子口、拝は三ツ花懸魚の変形のよう、妻飾は混成複合式
△鐘楼越しに眺めた本堂
△基壇上に建つ露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の鐘楼....現鐘楼は平成二年(1990)の再建
△鐘楼に下がる梵鐘は元禄九年(1696)の鋳造で、市内に残る最古のもの
△本堂に向かって右側に鉄筋コンクリートと造りの白壁の庫裡が建つ....昭和五十四年(1979)の竣工で、まるで白亜の館のようだ
△庫裡の屋根は入母屋造りと思う....周囲に裳腰を設け、切妻屋根の玄関など少々複雑な造りのようだ
△昭和八年(1933)建立の墓碑(合葬墓)....阿弥陀経にある「諸上善人俱会一處」が彫られている/墓碑の足元だけでなく玉垣の基部の壁一面に石仏が埋め込まれている....まさに阿弥陀の浄土に往生して上善人と倶に一処に会同してる様子だ
△本堂境内から桜を通して見下ろした山門
△本堂境内から見下ろした山門
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