
【京都・北区】寺伝では鎌倉時代の建保五年(1217)、上賀茂神社の神主・加茂能久が「霊光の照らした地に一宇を建立せよ」との神託を受け、大和国から僧・慶円を招いて創建、由緒にちなんで「神光院」と命名した。 真言宗系単立の寺院で、本尊は弘法大師(空海)像。
以後、密教の道場として栄えたが、江戸時代末天保年間(1830~1843)に火災に遭って堂宇を焼失。
明治初期の廃仏毀釈によって廃寺となったが、明治十一年(1878)、和田月心によって再興され、書院等が整備されて現在に至っている。
本尊の弘法大師像は42歳の時の自刻の像と伝えられ、「厄除大師」として信仰を集めている。
真言宗弘法大師が創建した霊場であり、東寺、仁和寺と共に「京都三大弘法」の一つとして有名。
西加茂の住宅街にひっそりと建つ神光院....門前に「厄除弘法大師道」の石標が立つ。
玄関前に四角に刈られた植木があるが、中国禅寺で見かける「照壁」の代りだろうか?
庭園や池の周りはあまり手入れが行き届いてないが、四季折々の花が咲くので楽しめるとのことだ。
空海が修行したお寺ということで、聖地らしい雰囲気を感じながら境内を巡った。

門前に「厄除弘法大師道」の石標が立つ

切妻造本瓦葺の山門..薬医門だったか

山門を通して眺めた玄関

玄関..入母屋造桟瓦葺で平入り


太田垣蓮月尼の歌碑 手水舎..切妻造桟瓦葺

大聖不動明王像を祀る不動明王堂


不動明王像と修験道の開祖・役行者像を祀る 不動明王像(右)と役行者像(左)


池の中の島に鎮座する鎮守社 切妻造本瓦葺で妻入りの庫裡

不動明王堂から眺めた本堂

池に架かる石橋の奥に佇む本堂


入母屋造柿葺の本堂/本堂近くに立つ宝篋印塔..元文三年の年号が刻(1738年作)


本堂の扁額「歓喜天、弘法大師、愛染明王」 質素だが大きな本堂の向拝


本堂前は「放生池」か? 本堂前の池のほとりに立つ宝篋印塔

本堂の後方に建つ中興堂


中興堂の向拝は大きな唐破風


中興堂..回廊は本殿に繋がる 中興堂の側面..趣がある花頭窓

中興堂..宝形造桟瓦葺屋根に大きな入母屋破風(千鳥破風)を乗せている



弘法大師像..空海42歳時に神光院訪問/きゅうり塚..きゅうりに病魔を封じ込め、五智不動尊に病間魔平癒を祈願した/経蔵だったか?

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