何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

福山八幡宮-(2) (福山)

2021年04月11日 | 寺社巡り-広島

【広島・福山市】東御宮の延広八幡神社は鎌倉時代の承保年中(1074~1077)に宇佐八幡宮から勧請され、西御宮の野上八幡宮は、室町時代の永享年中(1429~1441)に鶴岡八幡宮からの勧請とされた。 古から「穴の海」と呼ばれていた波静かな内海に面し、後に福山城地となった深津島山に2つの八幡宮が別々に奉祀されていたと伝わる。
福山藩初代藩主水野勝成は、「大阪夏の陣」(元和元年(1615))の後の元和五年(1619)、大和国郡山藩主から備後に転封され、西国鎮衛として新たに福山城を築き、福山城下町を整備して領内を整えた際、両八幡宮は城下に祀られた。

◆東御宮から回廊で繋がっている中央拝殿に....。 中央拝殿は東御宮と西御宮の真ん中に鎮座していて合祭殿と呼ばれ、「福山八幡宮」の扁額が掲げられ、4つの鈴が下がっているので、参詣は主に中央拝殿で行われるようだ。 ちなみに、東西御宮の両拝殿に扁額がなく、神様を呼び出す役割の「鈴」も下がっていない。
大きな千鳥破風を乗せた合祭殿の拝殿は、屋根が意外に複雑な造りになっている。 また、東西御宮の両本殿はいずれも入母屋造檜皮葺だが、合祭殿の本殿は流造銅板葺だ。 合祭殿で参拝した後、東御宮と全く同じ造りの西御宮に進む。 連子窓付き透塀の連子の間からカメラを突っ込んで幣殿と本殿を撮ったが、東御宮の本殿とは違い、軒下や花頭窓の格子が鮮やかな朱色で彩られ、組物や蟇股には彫刻や鮮やかな極彩色が施されていて華やかだ。

△東御宮(右)と西御宮(左)の真ん中に回廊で繋がって鎮座する中央拝殿(「合祭殿」と称す)は、昭和五十九年(1980)の建設

△入母屋造銅板葺の合祭殿....NETに両御宮の間に福山藩初代藩主・水野勝成を祀る聡敏神社が鎮座しているとあったが、合祭殿建設時に遷座されたようだ

△大きな唐破風を乗せた広い三間の向拝を構えた合祭殿....向拝に4つの鈴の布が垂れさがっている

△屋根に乗る千鳥破風....金色の金飾りを施した破風板、拝は変形の猪目懸魚、妻飾は豕扠首

△正面の中央間は両折両開きの板唐戸、脇間は吹寄格子窓

△鳥衾付き鬼板が乗る唐破風、兎毛通は変形の猪目懸魚、真ん中の水引虹梁の上に脚間に鮮やかな彫刻を施した本蟇股

△中央拝殿(合祭殿)の向拝に掲げられた「福山八幡宮」の扁額が掲げられている/賽銭箱越しに眺めた拝殿奥の祭壇

△合祭殿の祭壇に立つ3本の金色の御幣

△複雑な造りの合祭殿拝殿の屋根

△後方から眺めた合祭殿後方に鎮座する本殿

△流造銅板葺の合祭殿本殿

△軒廻りは二軒繁垂木で組物は出組

△西御宮の拝殿、幣殿(両殿の間)、本殿....東御宮と同一形式、同一規模の造りで東御宮と同じ三柱の御祭神(八幡大神)を祀る

△西御宮の拝殿の四方は全面がガラス入り格子窓と羽目板

△入母屋造銅板葺の拝殿....鳥衾付き鬼板が乗る唐破風の向拝

△水引虹梁の上に鮮やかな彩色を施した本蟇股は脚間に虎のような彫刻....上の梁上には水野家の家紋の「丸に抱き沢瀉」を入れた板蟇股

△格子窓付き透塀から眺めた西御宮の菱格子窓を設けた幣殿と鮮やかに彩色が施された本殿

△正面に千鳥破風を乗せた方三間の入母屋造檜皮葺の西御宮本殿

△軒廻りは二軒繁垂木で軒支輪があり、組物は出組で中備は脚間に彫刻を配した本蟇股....組物や中備には全て鮮やかな彩色と彫刻が施されている

△本殿は正面に千鳥破風を乗せた方三間の入母屋造檜皮葺....大棟と千鳥破風に外削ぎの千木と計5本の堅魚木が乗る

△透塀を通して撮影したお社と思うが,社名分からず

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする