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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

法浄寺 (中国)

2016年10月10日 | 史跡探訪-中国編

【中国・浙江省・杭州市】もとは隋代開皇十七年(597)、天竺の禅師宝掌が杭州天竺山の稽留峰という場所に建てた道場で、唐代に興隆した。 五代十国呉越時代の呉越王・銭弘俶が976年にこの地に寺を建て「崇寿天聖寺」と命名した。
清代乾隆三十年(1765)、第六代皇帝・乾隆帝(高宗)より中天竺寺」額を賜わって「法浄寺」に改名された。 乾隆帝命名の「天竺三寺」の中天竺寺と呼ばれる杭州の名刹の一つ。堂宇は何度も改築が繰り替えされたが、現在のものは清代の建築。
法浄寺で有機栽培されている龍井茶は”禅茶龍井”と呼ばれ、一般的な龍井茶よりも多く抽出できるが、茶園の規模が小さく生産量も少ないことから自寺で消費され、殆ど流通していないそうだ。
山門をくぐって直ぐの建物は天王殿と思うが、中央に鎮座する弥勒尊像(と思うが撮影を失念)の背面が韋駄天像ではなく観音菩薩なのには驚いた。 その後方には大雄宝殿ではなく圓通殿が建ち、千手観音菩薩立像が安置されているが、頂上にいただく面が2段になっていて十一面以上あるようで興味深い。

牌坊のような山門..入口に「中天竺 法浄禅寺」とある
 
山門をくぐって直ぐの御堂は四天王像があるので天王殿と思う..ただ、中央に鎮座するのは弥勒尊像ではなく何故か観音像のようだ!

入母屋造瓦葺で裳腰を設けた圓通殿..圓通は圓通大士(圓満融通の菩薩)の略で観世音菩薩の異称

趣きがある圓通殿の入り口に「清浄荘厳」の大きな額が掲げられている
 
圓通殿前に置かれた重厚な仏塔形常香炉/御堂の柱は大きな礎盤上に立つ..壁で覆われた御堂側面
 
千手観音菩薩像..面数を失念したが11面以上あるようだ、腕は40臂に合掌する2臂を加えて42臂と思う/高さ10数mある大きな千手観音菩薩像

改築中の宝形造瓦葺の御堂..僅かに見える額から「選仏場」かな
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法喜寺 (中国)

2016年10月07日 | 史跡探訪-中国編

【中国・浙江省・杭州市】五代十国呉越時代の後晋天福四年(939)、呉越王の銭元灌により杭州天竺山に創建された古寺。 五代十国に続く統一王朝である北宋時代、天竺の観音が霊験だと伝わり、以後、各代の皇帝や役人が天竺寺の観音を参拝するようになった。
清代には第六代皇帝・乾隆帝(高宗)も数度参拝して親筆「法喜寺」を書し、また「天竺三寺」を命名し、法喜寺は上天竺寺と呼ばれた。 霊隠寺西側の山中に位置する「天竺三寺」の中天竺寺は法浄寺、下天竺寺は法鏡寺である。
三門から堂宇境内への白壁に沿った参道の脇に「国東塔」を思い起こさせる宝塔が並ぶ。 丸形の塔身軸部に龕を設けて仏像を安置し、八角の基礎に輪郭を巻いて彫刻が施された日本では見られない形の宝塔だと思う。 大雄宝殿には金色に輝く3体の釈迦如来坐像が法界常印を結んで鎮座。

大きな獅子の狛犬が鎮座する三門..「上天竺 法喜講寺」の扁額が掛かる
 
三門の身舎は入母屋造瓦葺で軒が大きく反りあがっている/「佛法常興」とある棟木の両側に龍、中央に火焔宝珠がある

境内参道脇の放生池(と思う)に架かる高欄を設けた石橋..奥に亭

三門から堂宇境内への参道に並ぶ石造宝塔(国東塔を思い起こさせる姿形)..塔身軸部に龕を設けて仏像を安置
 
堂宇境内前の参道..奥に「入三摩地」の額が掛かる堂宇境内への門(牌坊)、塀に「晋代古刹」とある

入母屋造瓦葺の天王殿..大棟に龍と水煙宝珠が乗っている
 
天王殿に鎮座する金色の弥勒尊像         弥勒尊像の後方で守護する韋駄天像
 
天王殿の護法神・四天王の内の北方多門天王と西方広目天像/天王殿
 
放生池に架かる石橋の先に建つ観音殿 入母屋造瓦葺で大きな裳腰を設けた観音殿

観音殿前の巨大な二基の常香炉
 
三重塔形の常香炉/手前の台座に乗る黒い仏塔形の常香炉は使われていない
 
観音殿の須弥壇に祀られている小さな観音菩薩像      壁面に安置された観音菩薩像

「夢泉」の額が掛かる亭..清流が湧き出ていたのかな

身舎に裳腰を設けた入母屋造瓦葺の大雄宝殿

大雄宝殿の須弥壇に安置されている法界常印(禅常印)を結ぶ釈迦三世仏
 
壁一面に造られた岩山に鎮座する聖者の五百羅像/低い位置に吊り下げられた巨大な梵鐘..梵鐘の基底部が波打つ意匠は中国特有
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六和塔 (中国)

2016年10月04日 | 史跡探訪-中国編

【中国・浙江省・杭州市】北宋代の開宝三年(970)、呉越王銭俶が銭搪江の氾濫を鎮めるためと灯台の役目をさせるために月輪山の上に建立したとされる。 
当初は八角九層の塔だったが焼失し、南宋代の紹興二十三年(1153)に八角七層で再建され、その後、清代末期の1900年に外観を十三層の木造外層に増築され現在に至る。 外観は十三層に見えるが七層の塔で高さは約60m、内側が煉瓦で外側が木造りの構造の塔でいま残っているのは中国では六和塔だけ。
銭塘江の北側にある月輪山は六和文化公園として整備されていて、シンボルである六和塔は公園の中心にどっしりと聳え立つ。 六和塔の最上階からは雄大な銭塘江の景色が楽しめる。 六和塔の名前の由来には諸説あるが、その一つは、北宋代に塔後方に六和寺という寺があったことからの命名。 また、「六和」は仏教の教えである六つの戒め(戒律)に由来するとされる。
杭州市の南を流れ杭州湾に注いでいる銭塘江は、「海嘯」と言われる海からの激しい逆流が起こる川として有名だ。

銭搪江に沿って走る之江路から眺めた六和塔..月輪山の六和文化公園の中心に建つ
 
六和塔は八角七層(外見は十三層)..高さ約60mで、眼下に銭搪江の雄大な流れを一望できる

北宋代開宝三年(970)建立の六和塔..呉越王銭俶が銭搪江の高潮を鎮めるためと灯台の役目をさせるために建立
 
南宋代紹興二十三年(1153)に八角七層で再建(当初は九層)、清代末期の1900年に十三層の木造外層に補修された
 
内側が煉瓦(南層代)で外側が木(清代)で築造..八角の軒下全てに風鐸が下がる

六和塔内に螺旋階段(226段)があり、最上階まで登れる
 
階段天井の装飾..壁に埋め込まれているが日本に伝わった貫や斗の原型を見るようだ
 
六和塔の中心に設けられている心柱
 
各階の天井の組物(斗栱)と装飾..中央に龍や鳳凰が描かれている

六和塔の最上部から眺めた銭塘江と銭塘江大橋
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琉球墓園 (中国)

2016年07月20日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・福州市】福建師範大学の裏の高台に位置し、福州で客死した琉球人を葬った墓所。 中国と琉球との交流は明代に始まったとされ、明代洪武五年(1372)に福州が琉球人の上陸地に指定されたため、多くの琉球人が福州を訪問した。 近年、福建師範大学構内で首里王府の役人・源河親雲上(1717年に進貢船の才庫官として福建に渡り、翌年、現地で病死)の墓碑が確認され、子孫の要請で琉球墓園に移設された。

訪問時、煉瓦色の塀に囲まれた墓園の門扉が施錠されていて入れなかった。
門扉から中を覗くと、木立の中に大きな亭らしき建物が建ち、その前の両側にユーモラスな姿の狛犬らしき霊獣像が2体ずつ鎮座している。
門からは塀際に並ぶ3基の亀甲墓がみえる。 琉球園と刻まれた真ん中の墓碑には、乾隆六十年の元号が確認できる。 乾隆帝は清代の第6代皇帝で在位1735~1795年なので、この墓は1795年の造立。 また、右手の墓碑の中央に「才庫官源河〇〇上…」と刻されており、福建師範大学構内から移設された源河親雲上の墓のようだ。 元号は判読できないが、源河親雲上は1718年没だから、康熙五十七年の造立になる。 ちなみに、康熙帝は清代の第4代皇帝で、在位は1661~1722年。

煉瓦色の塀に囲まれ緑が生い茂る琉球墓園..左が正面の門

正面の門..鉄製門扉が施錠されていて入れない
 
正面の門                         右側の門から眺めた境内..塀の奥は正面の門

門から覗くと大きな亭のような建物とその前(左側)に鎮座する狛犬?が見える

一風変わった霊獣の狛犬(左側)..左右に2体ずつ鎮座している

右側の門から眺めると、亭に向かって右側に鎮座する2体の狛犬

塀際に並ぶ3基の亀甲墓..右が首里王府の役人・源河親雲上(1718年没)の墓
 
緑に覆われた墓園に琉球人が眠る                右側にある門
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金山寺 (中国)

2016年07月17日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・福州市】福州市内を流れる閩江南港に浮かぶ水上寺で、宋代年間(907~1276年)に創建された古刹。 現在の堂宇は1934年に再建されたもので、狭い境内の中央に高さ約7mの八角七層の花崗岩製の石塔が鎮座し、塔前に観音閣、塔後に本堂の大悲楼が建つ。 石塔は宋代後期(700~800年前)の造立のようで、「金山塔」あるいは「千年宝塔」と呼ばれる。

閩江南港に浮かぶ金山寺を訪問するのは十数年振りで2度目だ。 バスを降りて船着き場に向かったが、開発が進んだ洪塘村には村を横切る道路が造られている最中だったので、道路を横断する所が見つからず難儀した。
洪塘渡口に着く....閩江南港に浮かぶ金山寺はまるで水上要塞のような光景だ。 金山寺に向かう船外エンジン付き渡し舟に乗ったが、船頭さんはエンジンを駆動せず、渡口と寺院との間に張られたロープを手繰り寄せながら船を動かした。 増水時や川の流れが速い時に船外エンジンを駆動させるようだ。
寺院に上陸し、拝観料を払って南面する観音閣に入る....がらんとした閣内だが、正面の「天后宮」の額の下に媽祖像が鎮座している。 媽祖像後方の外壁に大きな「佛」の字.....その前の堂宇に囲まれた狭い空間の真ん中に「金山塔」あるいは「千年宝塔」と呼ばれる多層石塔が聳え立つ。 大きな基壇上に基礎を据えた上に造立された八角七層の石塔は保存状態がよく、日本の鎌倉時代頃の造立で歴史を感じさせる。 石塔の直ぐ後方に本堂である大悲楼があり、須弥檀のガラスケースの中に阿弥陀三尊像が鎮座しているが、歴史ある古刹にしては意外に小さな仏像だ。
水面に浮かぶ珍しい寺院だが、都心からは少し遠く、またバスを降りてからの道もよくないためか訪問者は少ないようだ。

閩江南港に浮かぶ水上寺院の金山寺..後方の閩江南港に架かる橋は「洪塘大橋」
 
渡し舟の洪塘村の岸から眺めた金山寺..まるで川に浮かぶ要塞のような寺院
 
ズームして眺めた堂宇の甍と金山塔..金山塔の屋根に乗るのは相輪だと思うがごつい形状だ

まるで水上に浮かぶ要塞のような寺院

観音閣..屋根の大棟に2棟の龍と玉が乗る
 
側面軒下に「媽祖廳」の額が掲げられている/観音閣に祀られた媽祖像..「天后宮」とある

観音閣の後方の壁の「佛」の字..屋根上で2頭の龍が観音閣を守護している

堂宇に囲まれた中心に聳える金山塔の「千年宝塔」
 
大きな基壇上に基礎を据えて立つ「千年宝塔」は花崗岩製で7層八角..700~800年前の造立

軒角を窄めて反り上げ、軒下の角部に梁の端部のような出っ張りがある、各塔身に4つのアーチ型の窓を設けている

千年宝塔の後方に建つ本堂の大慈楼

大慈楼の須弥檀に鎮座する阿弥陀三尊像..脇侍は向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩
 
須弥檀の右手に鎮座する地蔵王菩薩像/須弥檀の左手に鎮座する目犍連導者

1870年に撮影された金山寺(境内掲示写真拝借)..西側対岸から撮られたもの

美しくライトアップされた金山寺(境内掲示写真拝借)
 
大慈殿に向かって右手にある恰恰堂(斎)      恰恰堂内に鎮座する三一教主像
 
大慈殿に向かって左手にある恰恰堂(斎)      堂内に鎮座する伽藍菩薩

龍鳳亭と境内に聳える大樟樹(市指定古樹名木2級)
 
金山寺への渡し舟が出る「洪塘渡口」/渡し舟は船外エンジン付きだが張られた綱を手で引いて動かす
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開化寺-(2) (中国)

2016年07月15日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・福州市】禅寺特有の天王殿、大雄宝殿、禅堂が一直線上に配置されているが、廻廊がないので開放的な雰囲気の境内だ。 榕樹の巨木の傍を通って大雄宝殿後方に進むと、周りに太湖石を敷いた小さな放生池の庭園があり、池に架かる橋の先に禅堂、尊客堂そして宛在堂が横一列に連なって建つ。 禅堂の中は小さな須弥壇が置かれているだけでガラ~ンとしている。 須弥壇には頂上に十一面をいただく真っ黒い千手観音菩薩像が蓮華座に鎮座している。 右隣に尊客堂、宛在堂が並んでいるが、宛在堂は明代の傅汝舟という人が建てた別荘だった建物で、塀の外の宛在堂の傍に真っ白い傅汝舟像(と思う)が南面して立つ。
寺院境内を拝観後、最初に見た楕円形の仕切り門がある盆景園を見て回った....盆栽の見方を知らない素人の感想だが、なかなか見応えのある盆栽があるように感じた。

大雄宝殿右後方の放生池に橋が架かる庭園..右奥に尊客堂(左)と宛在堂(右)が建つ
 
放生池の周りに太湖石を敷いた庭園の左奥(大雄宝殿の後方)に禅堂が建つ/庭園脇に佇む石燈籠..標準的な造りだが中台に薄く輪郭を巻いて模様を浮き彫り

庭園から眺めた禅堂

寄棟造瓦葺の禅堂
 
禅堂の入口..堂内はがらんとしていて正面に小さな須弥壇が置かれ、真っ黒い千手観音菩薩像が鎮座しているだけだ

頂上に十一面をいただく千手観音菩薩像..正面2手は合掌印と禅定印を結ぶ
 
大きな光背を背負って蓮華座に立つ千手観音菩薩像
 
禅堂脇から眺めた尊客堂      切妻造瓦葺の尊客堂

尊客堂の右手に建つ宛在堂

入母屋造瓦葺の宛在堂..明代正徳年間(1506~1521)創建で以後再建を繰返す

仕切り門の外からみた宛在堂..現在の建物は1997年に再建されたもの

塀の外の宛在堂脇に立つ、宛在堂を建てた傅汝舟像(と思う)が佇む

盆景園の入口の楕円形の仕切り門..開化寺の南と東側に盆景園が設けられている

仕切り門から見える榕軒と境内への仕切り門

仕切り門から眺めた南側の盆景園..正面の寺院境内への円形の仕切り門の右は榕軒、左の塀の向うは鐘楼
 
境内への仕切り門から眺めた開化寺の常香炉と鐘楼

禅堂後方の小さな庭園

禅堂左横の仕切り門から眺めた盆景園

禅堂左後方の回廊から眺めた盆景園

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開化寺-(1) (中国)

2016年07月12日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・福州市】福州市内にある西湖公園に浮かぶ3つの島の一つ開化島に鎮座する寺院で、唐代の建立らしいが詳細は分からず。
西湖公園は約1700年の歴史がある公園で、春秋時代初期の晋朝太康三年(282年)に郡守・厳高により農業潅漑用として造成された。 五代の時代、閩越王・王審知から王位を継承した次男の王延鈞が、島や湖辺に亭や台、楼閣を建てて御花園とし、宋代には遊覧の地となった。

西湖公園は何度も散策したことがある大きな公園で、湖に浮かぶ島に鎮座する開化寺へも3回ほど訪問した。 西湖公園の入り口の牌坊をくぐり、眺めの良い島までの参道を進むと、盆景園への楕円形の仕切り門が見えてくる。 盆景園の仕切り門の奥に開化寺境内への円形の仕切り門があるが、開化寺は西向きなので、左手に回って正面の天王殿に向かう。 飛虹橋と天王殿の間に池があり、真ん中にたくさんの動物の彫り物を付けた岩が置かれ、池の周りに薄紫色の花が咲き誇っていた。
天王殿の中央には金ピカの弥勒尊像が鎮座し、和やかなお顔で迎えてくれる。 また、鮮やかな彩色が施された韋駄天像と四天王像が弥勒尊と寺院を仏敵から守っている。 天王殿後方に三間一戸の大雄宝殿が建つが、身舎の高さに比べて屋根がかなり小さい造りになっている。 大雄宝殿には3躰の如来像(いずれも釈迦像と思う..)が蓮華座に鎮座、左は禅定印を結んだ釈迦如来像だが、真ん中と右の如来像の印相は調べたが....。 大雄宝殿の右には盆景園の仕切り門から一部が見えた榕軒が建ち、直ぐ奥に榕樹の巨木が聳え、周りに大きな日陰をつくっていた。

周りに薄紫色の花が咲く池越しに眺めた天王殿

重厚な石の欄干を設けた石段の上に建つ落ち着いた雰囲気の天王殿
 
天王殿..中央に鎮座する金ピカの弥勒尊像が笑顔で迎えてくれる

弥勒尊像と左手に鎮座する2躰の武神像(四天王)
 
弥勒尊像と背中合わせに立つ韋駄天像/弥勒尊像の右側に鎮座する2躰の武神像(四天王)

寺院境内..中央は天王殿、左は鐘楼、右は鼓楼

天王殿の後方に建つ大雄宝殿

入母屋造瓦葺の大雄宝殿..身舎が高い割りには屋根が小さい造りだ

常香炉越しに眺めた大雄宝殿
 
装飾性に優れた重量感のある常香炉/撮影中、偶然にも日除けカーテンが開けられ須弥壇に鎮座する如来像が現れた
 
蓮華座に結跏趺坐で鎮座する如来坐像(左は禅定印を結ぶ釈迦如来..他の2躰も釈迦像と思うが)
 
入母屋造瓦葺で二層建ての鼓楼..下層は八角で上層は四角/鼓楼と同じ造りで右手に建つ鐘楼
 
鐘楼の回廊奥に佇む小さな2基の仏塔/伽藍殿(中央)..右は大雄宝殿、左は鼓楼
 
伽藍殿と伽藍殿に鎮座する3体の伽藍神(偉人?)像

鐘楼の奥に建つ榕軒
 
榕軒..右手は盆景園への仕切り門                榕軒の左奥に榕樹の巨木が聳え立つ
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涌泉寺-(2) (中国)

2016年07月09日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・福州市】清代末期の福州五大禅寺のひとつで、全盛期には千人以上の僧侶が修行していた。 天王殿、大雄宝殿、法堂、鐘楼、鼓楼、自雲堂、明月楼、蔵経殿などは清代と中華民国時代に再建された堂宇といわれている。
蔵経殿には明代と清代の経典とその版木を1万ほど、また、苦行僧が自分の血で書いた経典本657冊を含め、歴代仏教著作が3万冊ほど秘蔵されている。

天王殿から廻廊で囲まれた後方の境内を眺める。 真ん中に人工の放生池に、約930年前の宋代に造立された整った形の石巻橋が架かり、正面の一段高い位置に、軒が大きく反り上がった大雄宝殿が鎮座している。 涌泉寺は山の傾斜地に建てられているので、一直線上に並ぶ主な堂宇の天王殿、大雄宝殿、法堂は雛壇のように建てられ、全て廻廊で繋がっている。 大雄宝殿の須弥壇には巨大な金ピカの3躰の如来像が鎮座....中尊は禅定印を結ぶ釈迦如来像と分かるが他の2躰は? 3躰とも釈迦如来像か三世仏のいずれかと思うが....。
大雄宝殿後方のさらに一段高い位置に法堂が建ち、堂内に白い千手観音菩薩像が鎮座....正面の2手の一つは胸前で合掌、もう一つは禅定印を結んだ手で多層宝塔を持つ。 廻廊には禅寺特有の魚鼓と雲版が下がっている。 法堂後方に神晏祖師塔が立つらしいが拝観を失念した。
参道右手の塀の中に大きな池があり、池の中央に大雄宝殿に向かって観世音菩薩像が佇む。 蓮弁の上に立つ観世音菩薩像の水瓶の浄水を池に注いでいる姿に癒される。

一段高い所に建つ入母屋造瓦葺で大きな裳腰を設けた大雄宝殿

大雄宝殿の軒先が大きく反り上がっている..正面は5間3戸で脇間に丸窓がある

大雄宝殿前の長方形の放生池に1082年頃の造立の「石巻橋」が架かる..奥の3層建物は鼓楼
 
放生池越しに眺めた大雄宝殿/大雄宝殿前の壁下にある多宝塔をイメージさせる常香炉..炉足部に「鼓山涌泉寺」とある

荘厳な大雄宝殿..大棟の両端に龍が乗る
 
大雄宝殿前に置かれた常香炉(3台)と燭台(数台あり)/大雄宝殿の入り口の上に大きな「海天佛地」の額が掛かる

大雄宝殿の須弥壇に鎮座する3体の如来坐像..中尊は禅定印を結ぶ釈迦如来像
 
大きな蓮華座に鎮座する3体の如来像..3体いずれも釈迦如来像か三世仏と思うが..

大雄宝殿の後方の一段高い位置に建つ法堂
 
法堂の入り口                            法堂須弥壇に鎮座する白い千手観音菩薩像

法堂から眺めた諸殿堂の屋根群..まさに甍の波の如く美しい光景だ

大雄宝殿の左手の廻廊..廻廊には上客殿、祖師殿、寿昌堂、学戒堂、鼓楼が並ぶ

大雄宝殿から眺めた境内..右側廻廊に雲板が下がる
 
右側廻廊に下がる魚鼓                       地蔵宝殿に鎮座する地蔵尊像

大雄宝殿前廻廊の右手に位置する3層建ての鐘楼..鼓楼も軒先の飾りと大きな反りが美しい

鐘楼に対面して建つ鼓楼(左側廻廊)

大きな池の中央に立つ観世音菩薩像と拝礼所の観音亭
 
大雄宝殿に向かって蓮弁の上に、水瓶をもって鎮座する観世音菩薩像..水瓶の淨水を池に注いでいる
 
観音亭前の常香炉..多宝塔のような造りで、各部に装飾が施されている

池の辺に建つ涌泉寺素薬華館
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涌泉寺-(1) (中国)

2016年07月07日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・福州市】五代後梁の開平二年(908)、閩越王の王審知により鼓山中腹の自雲峰の麓に建立し、閩越王から興聖国師の称号を賜っていた名僧・神晏を招いたことから「国師館」と称された。 北宋の第3皇帝真宗より額を下賜され「涌泉禅院」と命名されたが、明代の永楽五年(1407)に涌泉寺に改称された。 明代の1542年、火災に遭って大部分の堂宇を消失したが、明代末期の1627年に再建された。 天王殿入口に掲げられている金縁の額の「涌泉寺」は、清代康熙三十八年(1699)に第4代皇帝・康熙筆により賜った。
天王殿前両側に立つ二基の八角九層の千仏陶塔は、北宋代の元豊五年(1082)に造立された陶製の宝塔で、国内では他にみられない貴重なもの。 1972年に福州南郊の龍瑞寺から移転された。

総門をくぐって茶色の築地塀に囲まれた参道を進むと、両側に日本では見られない形の宝塔が20基ほど佇む。 塔身の前後に舟形光背が彫り窪めてあり、総門側に仏像が浮き彫りされ、反対側には「佛」と刻まれている。
山門をくぐって堂宇境内に入ると、正面の一段高いところに荘厳な瓦葺屋根の天王殿が建ち、その前庭には中国でここにしかない珍しい陶製の千仏陶塔が立つ。 約930年前の宋代の造立で、高さ7メートルで八角九層の仏塔だが、塔身の8面全てに仏像が浮き彫りされ、その周囲にびっしりと1078体の仏像彫塑が並んでいる。 また、基礎に台座の周りには蓮花、塔を支える姿の金剛力士像、格狭間の中に獅子像等が浮き彫りされている。
天王殿の中央には、中国禅宗寺院でおなじみの金ぴかで太鼓腹の弥勒尊像、背中合わせに韋駄天像、そして左右には弥勒尊像を守る四天王像が鎮座している。

入母屋造瓦葺で軒反りが大きい総門..四方に浮き彫りされた台座に霊獣の狛犬が鎮座
 
竹毬を足を乗せる霊獣の狛犬越しに眺めた総門/「無尽石門」の額が掲げられ、左右の床に門当が置かれている

境内参道から見た屋根が苔むしている総門
 
総門をくぐって直ぐ正面立つに六字名号石標と丸い仕切り門/覆屋に立つ石標に「南無阿弥陀仏」の刻

総門から中門までの塀に囲まれた参道両側に佇む見事な宝塔群..塔身に舟形光背を彫り窪めた中に「佛」の刻

宝塔は石燈籠のような笠が乗り、その上に相輪..塔身の総門側には「佛」ではなく舟形光背を彫り窪めた中に仏像が浮き彫りされている

宝塔の3段基礎の2つに輪郭を巻いて花らしきものを浮き彫りしているが、日本の宝塔とは大いに異なる..参道途中に獅子の狛犬が守る牌坊のような中門が立つ

中門側参道から眺めた中門と同じ造りの簡素な山門

霊獣の狛犬が鎮座する堂宇境内への山門
 
牌坊のような山門の正面に「海天砥柱」、堂宇側に「仏聖門庭」の表記/羅漢泉

屋根の造りが珍しい瓦葺の荘厳な天王殿..1908年に再建された

天王殿前に立つ2基の千仏陶塔..宋代元豊五年(1082)造立
 
高さ約7mで八角九層の陶塔..西側(左側)を「賢劫千仏陶塔」、東側(右側)を「庄厳劫千仏陶塔」と呼ぶ/8面の塔身すべてに仏像が浮き彫りされ、その周囲の壁に1078体の仏像彫塑がある
 
基礎台座に蓮花、金剛力士像、獅子像等が浮き彫りされている/八角の笠の全ての軒上に72体の仏像、また軒から陶製の宝鐸(風鐸)が下がっている
 
左側は2匹の子供と戯れる霊獣の狛犬

羅漢泉の上の「知恩報恩」の壁刻位置から眺めた天王殿..珍しいアーチ形の窓がある

狛犬越しに眺めた天王殿..入口に大きな門当が置かれている

天王殿入口上の金縁額の「涌泉寺」は清代皇帝康熙筆のもの
 
天王殿の正面に鎮座する弥勒菩薩尊像/天王殿前吹き放し縁の天井の鮮やかな色彩の装飾

巨大なガラスケース内に鎮座する弥勒菩薩尊像と左側に2体の四天王像
 
右側に鎮座する2体の四天王像/弥勒菩薩尊像の背面側に立つ韋駄天像
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恰園 (中国)

2015年11月28日 | 史跡探訪-中国編

【中国・江蘇省・蘇州市】明代に造園された高官の屋敷を、蘇州の名士顧文彬が清代光緒年間(1875~1905年)に所有し改築したもの。 園内は東西に分かれていて回廊で結ばれ、東側には楼閣が建ち、王義之などによる書の石刻が見られ、西側は狭いながらも曲橋を配した池を中心に太湖石で造成された築山に亭などが佇む。
恰園は、蘇州庭園の特徴を凝縮した形で造成された庭園で、優美さが感じられる。 訪問時は観光客が少なく静かに散策を楽しめたが、夜間は入園料が3倍になるものの民族音楽の演奏や中国茶が楽しめるようだ。 【大門⇒玉延亭⇒四時瀟酒亭⇒坡仙琴館⇒拜石軒⇒曲橋⇒金栗亭⇒藕香〇(木偏に射)⇒碧梧栖鳳⇒面壁亭⇒画舫斎⇒湛露堂⇒螺髻亭⇒小滄浪】

大門と呼ばれる恰園の入り口

東側回廊に設けられた玉延亭

大棟がない屋根の造りの四時瀟酒亭
 
庭園への丸い仕切り門..上に「迎風」とある

坡仙琴館(石听琴室)
 
坡仙琴館(石听琴室)の内景                    坡仙琴館近くに佇む巨大な太湖石

拜石軒(歳寒草廬)

拜石軒(歳寒草廬)から眺めた庭園
  
〇(草冠に偶)香〇(木偏に射)側から眺めた曲橋(奥は金栗亭)/宝珠のような飾りを乗せた金栗亭/反りかえった軒

入母屋造瓦葺の〇(草冠に偶)香〇(木偏に射)(鋤月軒)
 
曲橋と奥は〇(草冠に偶)香〇(木偏に射)/〇(草冠に偶)香〇(木偏に射)から庭園全体をほぼ見渡せる

〇(草冠に偶)香〇(木偏に射)の内景

碧梧栖鳳

大きく湾曲した棟と大きく反り返った軒が美しい面壁亭
 
池に迫り出して建つ画舫斎(称松籟閣)              画舫斎(後方は湛露堂)

回廊から眺めた画舫斎と奥の湛露堂

太湖石の築山に建つ螺髻亭
  
螺髻亭                 画舫斎から眺めた螺髻亭      螺髻亭

小滄浪

小滄浪の窓から眺めた庭園の太湖石

石刻のある太湖石の石屏風(小滄浪近くにある)
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芸圃 (中国)

2015年11月26日 | 史跡探訪-中国編

【中国・江蘇省・蘇州市】もとは明代の学者・文震孟が造園した薬園で、後に改修され、多くの文人が住まいとした歴史がある。 典型的な明代江南庭園で、狭い敷地内に池を中心に楼閣や回廊がバランスよく配置された質朴で洗練された造り。 敷地内は南北ふたつのエリアで構成されていて、北側が住居、南側が庭園になっていて、眺める場所によって異なる景観が楽しめる。
芸圃は、古い民家が立ち並ぶ狭い路地を入って行くと、民家に紛れ込むように存している。 【文衙弄⇒思嗜軒⇒乳魚亭⇒小橋⇒朝爽亭⇒南斎⇒浴鴎庭院⇒響月廊⇒延光閣⇒博雅堂⇒東菜草堂⇒世綸堂】
 
芸圃入口の文衙弄..「芸圃」の額が掛る/文衙弄から園内への仕切り門
 
園入口の思嗜軒                           思嗜軒の内景

露盤宝珠を乗せた宝形造瓦葺の乳魚亭
  
乳魚亭                 築山から眺めた乳魚亭       乳魚亭..手前は小橋と呼ばれる

乳魚亭天井の明代彩絵

六角瓦葺屋根の朝爽亭
  
乳魚亭から朝爽亭への築山参道/太湖石で造成された築山の上に建つ朝爽亭

壁で仕切られた南斎..前に小さな庭園がある
 
南斎への仕切り門          コの字型造りの南斎

南斎の内景

浴鴎庭院への太湖石が配された仕切り門
  
浴鴎への仕切り門          仕切り門から眺めた浴鴎庭院のエリア

浴鴎庭院
 
乳魚亭から池の対面(池の西側)に位置する響月廊..「響月廊」の額が掛る

延光閣..池の北側に建つ茶館

延光閣で池、乳魚亭、朝爽亭を眺めながらお茶を楽しむ訪問者

博雅堂

博雅堂の内景
 
東菜草堂                               東菜草堂の内景

世綸堂
 
この仕切り門を出ると池に..../池の北側から眺めた乳魚亭と築山の朝爽亭

池の東側から眺めた響月廊と浴鴎庭院
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耦園 (中国)

2015年11月25日 | 史跡探訪-中国編

【中国・江蘇省・蘇州市】清代の雍正年間(1722~1735)に造園された「渉園」が前身で、光緒年間(1875~1908)、蔵書家・沈乗成夫妻が隠居所としてこの庭を手に入れ増改築した。
世界遺産の蘇州古典園林の中の一つで、比較的新しい典型的な水郷式私家庭園。 園内は「東花園」と「西花園」の2つのエリアに分かれており、「東花園」は黄石の重々しい築山と小さな池の周りに楼閣と回廊を設けた自然の景観を演出し、来客を接待した。 西花園は太湖石の築山の中に邸宅や書斎がある静寂の空間で、落ち着いた雰囲気を醸し出している。 「東花園」と「西花園」がみせる対照的な庭園美を感じながら、迷路のような回廊をたどって点在する楼閣を巡れた。
タイトル「耦園」の「耦」は、偶数の「偶」の字と同じ由来があり、東花園と西花園の「二つ(対)」を意味し、建築の命名はみな“耦”に関連している。 【轎斤⇒載酒堂⇒枕波双隠⇒黄石假山⇒城曲草堂⇒双照楼⇒望月亭⇒吾愛亭⇒山水間⇒听櫓楼⇒織簾老屋⇒蔵書楼】

切妻造瓦葺の轎斤
 
轎斤の内景..天井は化粧屋根裏天井              園内の仕切り門..「平泉小隠」とある

切妻造瓦葺の載酒堂(西花園)....轎斤と同じ造り

載酒堂の内景....轎斤と同じ化粧屋根裏天井

美しい屋根の枕波双隠

枕浪双隠

枕浪双隠の飾り格子窓から眺めた黄石假山から城曲草堂への仕切り門

黄石假山
 
黄石假山からの仕切り門から眺めた城曲草堂と連なる奥の建物は双照楼
 
城曲草堂に連なって建つ双照楼(左)と望月亭         望月亭

望月亭から東側回廊越しに眺めた山水間(右)と吾愛亭(左)
 
入母屋造瓦葺の吾愛亭                     九曲橋の奥に建つ吾愛亭

入母屋造瓦葺の山水間..降棟が目立ち、大きく反りだした軒が美しい(左は吾愛亭)
 
山水間..静寂が漂う池と庭園をゆったりと眺められる亭
 
入母屋造瓦葺で二重楼のような造りの听櫓楼/東花園の隅の壁に接して建つ

西花園に建つ織簾老屋だったか?..精緻な彫刻が施された仕切り門で「詩酒聯歓」とある
 
落ち着いた雰囲気の西花園に建つ蔵書楼
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地蔵寺 (中国) 

2015年10月13日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・寧徳市・霞浦県】牌坊「空海坊」の近くに建つお寺で、「空海大師紀念堂」から戻る際に建ち寄った。 調べたが創建や由緒などは不詳。

山門が無く、寺号も分からないまま境内に入ったが、空海に関する表記などはないので、空海とは縁がない寺院のようだ。 また、伽藍のある場所や堂宇配置、そして近代的な造りの堂宇から中国仏教寺院のイメージは感じられず、歴史の浅い寺院だと推察された。
訪問時はちょうど大雄宝殿が建築中であったが、五階建て構造の巨大な堂宇だ。 大雄宝殿前に弥勒尊像などが鎮座する天王殿はなく、牌坊のような建物の傍に弥勒尊像、韋駄天像、四天王像が風雨に晒されるように鎮座している。
堂宇の前庭にコの字状に放生池が造られ、その中央には蓮の花に4仏が乗る大きな仏塔(?)があり、4仏の一つの地蔵尊像が大雄宝殿に向かって瞑想している。 他の3仏は三蔵法師のような姿形だが、宝冠を載せた地蔵尊像だろうか?
 
山門が無く寺号が刻まれた唯一のもの..法輪か?/正面から見た寺院全景..全ての堂宇が新しいようだ

大雄宝殿の前に鎮座する弥勒尊像..「兜率内院」の額が掛かるが牌坊?(天王殿の代わりかな)
 
弥勒尊像の左右に仏法と帰依した人を守護する忿怒武装形の四天王像/弥勒尊像の後を守る韋駄天像

四天王(右は宝塔をもつ多聞天か)越しに眺めた大雄宝殿

改築中の大雄宝殿..階段の上が三層で下が二層、完成後は勇壮な姿になるだろう

蓮の花の上に四仏が鎮座する仏塔かな?(台座には4頭のライオン像)
 
放生池の中に整然と並ぶ宝塔群/大雄宝殿に向かって右手に建つ客堂..手前は祖師殿で最上部は鐘楼か?
  
未完成のようだが祖師殿と思われる/簡素な堂内に杖を持ってにこやかなお顔で鎮座する祖師(?)像

大雄宝殿に連なる講堂

講堂回廊に下がる魚鼓と雲板..ちょうど僧が雲板を打ち鳴らしていた
 
大雄宝殿に向かって左手に建つ僧房..最上部は鼓楼か?/僧房前に置かれた双獅の植木鉢

仏塔?..大雄宝殿に向かって瞑想する地蔵菩薩像..右手に錫杖、左手に法輪
  
地蔵塔の中央は大きな火焔宝珠だろうか?/火焔宝珠を乗せた変わった形をした常香炉/放生池に浮かぶ宝塔..日本では見かけない造形だ
 
正面と側面のは宝冠を載せた地蔵尊像(と思う)..三蔵法師のような姿形/境内の入口に建立中のお堂..中に合掌する質素な仏像が鎮座
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建善寺-(2) (中国)

2015年10月10日 | 史跡探訪-中国編


【中国・福建省・寧徳市・霞浦県】事前の調べでは、境内には開山霊祐祖師を祀った祖師堂に対面して空海を祀ったお堂が建っているとのことだったが、2~3年前に両堂とも撤去されたとのこと。 空海が立ち寄ったことを感じさせる遺構らしきものは山門の後ろに佇む石碑のみだった。
翌日、知人から数年前に撮られた建善寺の写真をもらったが、確かに、大雄宝殿の前の直ぐ左右に霊祐祖師と空海を祀るお堂が対面して建っている。
尚、霊祐祖師を祀った祖師殿が、大雄宝殿(改築中)の後方の一段高い位置に再建されている。

大雄宝殿後方の一段高い右側に建つ地蔵菩薩殿
 
大雄宝殿後方の一段高い左側に、地蔵菩薩殿と向い合って建つ霊祐祖師殿

無心に教典を読誦する霊祐禅師像....左奥は霊祐祖師殿

大雄宝殿の後方上段に建つ観音閣
 
観音閣..三層八角構造の荘厳な御堂

観音閣に鎮座する左手に水瓶を持つ真っ白い観音菩薩像

大雄宝殿手前左のこの辺に空海大師像を祀ったお堂があったが撤去された

大雄宝殿右側に建つ客堂....大雄宝殿の前右に空海記念堂と対面して祖師堂が建っていたが撤去

空海大師がこの地に41日間滞在のことが記されているが空海大師像を祀ったお堂がなくなって残念
 
門前の気根が下がる榕樹は樹齢100年/門前の片隅に建つ..入口に「福徳正神」とあり、守護神が祀られているようだ

数年前に撮られた建善寺....大雄宝殿前の両側に対面してお堂が建つ

建善寺の隣に建つ文昌閣への牌坊(山門)

文昌帝を祀る文昌閣....仮設の覆屋で建物がよく見えない
 
脇侍を従えた文昌帝像....後方に「有求必應」の額..願いを直ぐに叶えてくれる神様かな?
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烏山歴史風貌景区-(9) (中国)

2015年07月26日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・福州市】烏塔とその周辺の史跡「石塔祖殿、碑亭、石塔寺」を巡った。
石塔寺はちょうど再建中で、堂内には数本の石柱が立ち並び、石柱と組合せるとみられる多くの木製柱が準備されていた。 普段なかなか見られない光景だ。
映塔池の近くに建つ〇(登におおざと)拓故居....いままで何度か訪問を試みたが、門はいつも閉じられていた。 今回初めて中を参観できた。
〇(登におおざと)拓故居から今回初めて訪問する高爺廟に向かう。 烏山の少し高い位置から高爺廟を眺めると、古代の建物を感じさせる屋根が連なり、先鋭した大棟の両端や軒先の装飾、そして瓦はまさに甍の波の如くで美しい。
高爺廟の内陣らしき場所には品がある神様像が祀られているが、神様についてよく分からない。 訪問時は、廟内に多くのご老人が集まっていて、詩吟のような歌や踊りに興じていた。 【烏塔・石塔祖殿・碑亭・石塔寺・拓故居・高爺廟の甍の波・高爺廟・呉清源圍棋会館】
  
烏塔と石塔祖殿           石塔祖殿前に鎮座する狛犬の獅子像/烏塔に彫られた像のひとつ

重厚な烏塔の下層部には多くの人物像が彫られている (左手が石塔寺)
 
烏塔近く(石塔寺脇)に鎮座する碑亭..亀跌に立つ石碑の碑身と魑首に古い刻がある

石塔寺..改築工事中、堂前に多くの木造柱が準備されている (右奥は石塔祖殿)
 
烏塔側の塀にある小さな入り口  堂内に立てられた石柱群

〇(登におおざと)拓故居..〇(登におおざと)拓の本名は〇(登におおざと)子健で、1944年の『毛沢東選集』の編集責任者

〇(登におおざと)拓故居..清代嘉慶に刻された石刻
 
〇(登におおざと)拓故居..建国後人民日報社の社長を務めたが文革で毛沢東に批判されて自殺

高爺廟の美しい甍の波

高爺廟
 
高爺廟への仕切り門                         高爺廟の入り口

高爺廟の内陣らしき場所に鎮座する神様像

神様像の目線で眺めた廟内

高爺廟内..本殿左右の2階建の建物は鼓鐘楼かな?

呉清源圍棋会館の入口
 
呉清源圍棋会館への仕切り門   呉清源圍棋会館
 
呉清源圍棋会館                           胡也頻故居
 
 
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