
【和歌山・紀の川市】鐘楼の右奥に正面がすべて蔀戸の薬師堂が建ち、平安後期造立とされる薬師如来坐像を安置。 薬師堂の境内には、紀州藩ゆかりの夫人らの法華塔が三基佇み、その傍らに、約450年前造立の地蔵石仏が法華塔を見守るように鎮座している。
本堂に向かって左手に千手堂が建ち、本尊の千手観世音菩薩の他、歴代の紀州藩主とその縁の人々の位牌を祀っている。 本堂と千手堂の間の奥の急峻な階の上に朱塗りの大きな明神鳥居を構えた鎮守社の粉河産土神社が鎮座、階下の左手に行者堂への参道がある。
植栽の間に続く参道を上っていくと、山腹の樹林の中の石段の上に小棟造りの行者堂が見えてくる。 石段を上りつめると、左右に元禄造立の石燈籠がひっそりと佇むが、笠がかなり傷んでいるので少々気になった。
行者堂から中門まで一気に戻り、境内の脇を流れる長屋川に架かる橋を渡って、本堂の南側に位置する秋葉山に向かう。 秋葉山は本堂の南側にあるので「前山」と呼ばれ、山頂に戦国時代末期に粉河寺の僧兵が築いた山城の跡があり、近くに、江戸期に遠江国から勧請した火伏の神・秋葉大権現を祀る社殿が建っている。 社殿の直ぐ傍に見晴らし台があり、粉河町を遠望できる。

鐘楼の右奥に建つ小棟造りの薬師堂

寄棟造本瓦葺の薬師堂....平安後期造立とされる本尊薬師如来坐像(秘仏)を安置

薬師堂は三面四方で、正面はいずれも蔀戸だが、中央は吊り上げ式ではないようだ

軒廻りは二軒繁垂木、組物は平三斗で中備は脚間に彫刻を配した本蟇股

薬師堂の側面は蔀戸、舞良戸そして羽目板....正面と側面に切目縁を巡らす

薬師堂境内に佇む地蔵石仏と三基の法華塔


上部の月輪に地蔵菩薩の種子(カ)が刻まれた舟光背型地蔵石仏....永禄七年(1564)の造立で、高さ210cm/紀州藩ゆかりの夫人らの法華塔....中央は水戸少将治紀卿正室方姫、右は紀州八代藩主重倫卿側室於八百、左は重倫卿付老女初島の各宝塔

本堂の左側に建つ千手堂.....中央奥の階の上は鎮守社の粉河産土神社

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の千手堂(国重文)....宝暦十年(1760)の建立で、本尊千手観世音菩薩の他歴代の紀州藩主とその縁者の位牌を安置

千手堂は三間四方、中央間は桟唐戸で内側に腰高格子戸、脇間は舞良戸風の蔀戸


井桁紋を配した連子を入れた桟唐戸は両折両開....向拝の手挟は精緻な菊の彫刻/上部に粽を設けた向拝柱の上に実肘木を乗せた蓮三ツ斗、水引虹梁の中央上に龍(?)の彫刻を配した本蟇股

軒廻りは二軒繁垂木、組物は出組で中備は本蟇股

千手堂の後方から眺めた本堂


本堂の北西の樹林の中に鎮座する小棟造りの行者堂/木々に囲まれた中に建つ行者堂....堂前の左右の石燈籠は元禄十二年(1699)の造立

寄棟造本瓦葺の行者堂

正面三間は腰高格子戸。前面のみに切目縁を設けている


中央間の右にずらして掲げられた「神變大菩薩」の扁額/軒廻りは一軒疎垂木、組物は舟肘木で中備なし

側面は二間で羽目板で窓なし


本堂の南側にあり前山と呼ばれる秋葉山の山頂にある猿岡城址....山城は戦国末期の天正元年(1573)、寺防衛のため粉河寺僧兵達により築城....天正十三年(1585)粉河寺一山ことごとく焼亡/明和元年(1764)、遠江国から火伏の神秋葉大権現を勧請して祀ったので以後秋葉山と呼ばれた

入母屋造桟瓦葺の秋葉大権現社....明和元年(1764)、火伏の神秋葉三尺大権現を勧請し、粉河寺本堂南側の秋葉山に創建、粉河寺に帰属している

秋葉大権現社の拝殿....拝殿の腰高格子戸の奥に本殿を鎮座する覆屋


覆屋の腰高格子戸を通して本殿のお社が薄っすら見える/社殿傍に立つ「正一位 枇杷竹大明神」の碑

社殿は入母屋造桟瓦葺の本殿(白壁の築地塀内の覆屋)と拝殿とをT字に組み合わせたような構造

秋葉大権現社傍の見晴らし台から遠望した粉河町