
【和歌山・岩出市】覚鑁一門は高野山を下り、大伝法院の荘園の一つである弘田荘内にあった豊福寺に拠点を移した。 弘田荘園内に新たに円明寺を建て、豊福寺と円明寺を中心として堂宇が整えられ、一山総称としての根来寺が形成された。
覚鑁は3年後の康治二年(1143)、円明寺で49歳の生涯を閉じた。 覚鑁上人入滅後、大伝法院は高野山で発展し十三堂塔が建立されたが、仁治三年(1242)に焼失した。 その後の正応元年(1288)、伝法院の学頭の頼瑜僧正が大伝法院の僧侶の教学の拠点を根来に移し、根来が大伝法院の本拠地となった。
鐘楼門からの光明殿までの切石敷参道の両側に、木造と石造の据燈籠が整然と並んでいる。 参道の左手に聖天池があり、光明殿に連なって左手に役行者を祀る行者堂そして池辺に懸造りの聖天堂が建つ。 聖天堂は聖天池に突き出るように建ち、古色蒼然たる佇まいの姿を池に映していて風情がある。
光明殿の右手に続く本坊・寺務所の大きな唐破風の玄関から建物内に入る。 渡り廊下を進んで光明殿の外陣を通り、左手の行者堂に....真ん中に護摩壇があり、真っ黒に煤けた役行者像が内陣に鎮座している。 更に渡り廊下を進むと聖天池に浮かぶ聖天堂で、池側と脇障子側に擬宝珠高欄付き切目縁を設けている。 聖天池に向いて設けられた聖天尊(歓喜天)像を安置する厨子を納めた朱塗りの壇は、室町時代から伝わる根来塗でつとに有名とのこと。
渡り廊下と光明殿を通って戻り、江戸時代造営の庭園がある名草御殿に進む。 名草御殿の縁側から、ガラス越しに池泉を中心に自然の滝と石組を配した庭園を眺める。 規模はさほど大きくないが、流石に国指定の名勝庭園らしく風情を感じさせる。
唐破風の玄関をでて、中島に弁天堂が鎮座する聖天池の縁の参道を進んで九社明神に向かう。 土塀に囲まれた中に同じ造りの3棟の流造りのお社が建ち、祀られている明神や権現など九神が、根来寺前身の豊福寺の時代から鎮守社としてお寺を見守ってきた。

光明殿前庭に幾つかの石造物や木造家型燈篭が並ぶ....光明殿の左に連なる建物は行者堂



光明殿の前庭に佇む宝篋印塔....造立年不明だが、隅飾突起が大きく反り返り開いているので江戸後期の作と推....塔身四面の月輪に梵字が刻/延享二年(1745)造立の石燈籠....火袋の円窓が大きくてかわいい/光明殿前の宝形造覆屋に置かれた常香炉

寄棟造本瓦葺の行者堂....江戸時代の建立で、修験道の始祖役行者を祀り、仏法興隆の行場

三間四方の行者堂の軒廻りは一軒疎垂木、組物は舟肘木、窓上長押の上は小壁

正面三間はいずれも蔀戸、正面と側面に高欄のない切目縁を設けている


行者堂に鎮座する役行者像....護摩の煙で見事に真っ黒に煤けている/行者堂中央に設けられた護摩壇

露盤宝珠を乗せた宝形造檜皮葺の聖天堂(雨宝堂)....享保二十一年(1736)建立

行者堂に連なって建つ聖天堂は懸造りで、聖天尊(歓喜天像)を安置している


聖天池に浮かぶ擬宝珠高欄付き切目縁を設けた聖天堂....三間四方で正面は連子入桟唐戸、円窓を設けた脇障子がある


行者堂から聖天堂への渡り廊下から眺めた聖天堂(雨宝堂)の入口/正面の唐破風の厨子を納めた朱塗りの壇は室町時代から伝わる根来塗として有名らしい


光明殿から行者堂・聖天堂に向かう廊下の脇にある阿加井/窓際に鎮座する宝冠を頂く半跏坐の弥勒菩薩像

本坊から光明殿への渡り廊下から眺めた枯山水庭園と名草御殿の縁に続く飛び石

本坊の奥御殿(三棟で構成)の一つの紀州徳川家から拝領した名草御殿と奥の山裾に庭園

名草御殿に面した江戸時代造営の庭園....池泉を中心に自然の滝と石組を配し、日本庭園として国から名勝庭園に指定されている

本坊・寺務所の大きな唐破風の玄関....ここから堂宇内に入る

根来寺創建時からある聖天池越しに眺めた右から光明殿、行者堂そして聖天堂

聖天池の畔に鎮座する3基の石塔....真ん中は板碑型十三仏塔か?


聖天池の中島に祀られている弁戝天 流造銅板葺の弁天堂

切妻造桟瓦葺の門と瓦屋根土塀で囲まれた中に鎮座する九社明神.....参道脇の石燈籠は宝暦六年(1756)の造立

九社明神は根来寺の前身である豊福寺当時からの鎮守社

同じ造りの3棟の社はいずれも流造銅板葺で、大棟に外削ぎの千木と4本の堅魚木を乗せている

丹生・高野・伊太祁曽・御船三所・金折六所の5大明神、熊野三所と白山妙理の2権現、金峯山金剛蔵王、牛頭天王八王子の9神を祀る

3社いずれも同じ流造りで、向拝の柱は面取方柱、柱上に連三斗、虹梁上の龍や木鼻の獅子と像の彫刻は精緻だ

少し複雑な桟瓦屋根に千鳥破風や煙出しを乗せた庫裏....大棟に錣風の造りも見えるが....

庫裡越しに眺めた大塔(多宝塔)