何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

高山寺-(3) (田辺)

2019年03月14日 | 寺社巡り-和歌山

【和歌山・田辺市】戦国時代、豊臣秀吉の紀州征伐で焼き討ちに遭ったが、高野山の高僧・空増が入山し、焼失した堂宇を再興した。 空増は高山寺の中興開山第一世法院空増とされているので、この頃に寺号が高山寺に改称されたのであろう。 多宝塔は江戸後期の文化十三年(1816)の建立で、「上宮閣」の扁額が掲げられ、大日如来像ではなく聖徳太子像を安置している。

香堂後方に大師堂の拝殿(礼堂?)があり、その直ぐ先の一段高いところの玉垣と木立に囲まれて大師堂が建っている。 香堂と大師堂の東側、本堂の北側には大きな池泉の回遊式庭園が広がり、池の中の基壇上に西面で薬師堂が建っている。 紅葉と枯れた蓮が残る池の周りは静寂に包まれ、古びた薬師堂がひっそりと建っている様は古刹の趣を漂わせている。 池の東側には石組が、また、奥の水際は州浜のように小玉石が敷かれていて味わいがある。
池の東側に新薬師堂が建ち、堂前には不動堂前のものと同じやさしい形の石燈籠が佇んでいる。
境内全域から縄文時代早期から弥生時代に至る遺跡(高山寺貝塚・五反田古墳など)が発見されて国指定史跡になっているが、不動堂の後方には、移設された六世紀後半(推)造営の「横穴石室の小さな円墳」があって興味深い。
それにしても、本堂・香堂・大師堂・新薬師堂が南を向いて建っているのに、多宝塔と薬師堂が西向き、観音堂が東向きと、堂塔の向きがバラバラで面白い。

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の大師堂(遍照金剛殿)....弘法大師空海を安置している

礼堂(と思う)越しに眺めた大師堂....入口に「遍照金剛殿」の扁額がある

三間四方で軒廻りは二軒繁垂木、組物は出組で中備は蟇股....中央間は飾り菱狭間を入れた桟唐戸、脇間は連子窓
 
周囲に擬宝珠高欄付き切目縁を巡らす/大師堂境内前に四国八十八所霊場の巡拝塔が佇む

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の薬師堂

三間四方の薬師堂の正面は菱狭間入り桟唐戸、脇間に連子窓....正面と側面に擬宝珠高欄付き切目縁

宝形造りの新旧薬師堂....池の奥の本堂を向いて建つ新薬師堂

池の中の基壇の上に香堂を向いて建つ薬師堂....左奥は大師堂

本堂の北側に造営された回遊式池泉庭園

薬師堂の側面に板張りの脇障子、側面は中央間に格子戸、脇間は羽目板

薬師堂の後方は窓がなく横羽目板

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の新薬師堂....三面四方で正面は中央間に板唐戸、脇間は連子窓
 
軒廻りは二軒繁垂木、組物は出三斗で中備は長い束の舟肘木....側面は中央間に板唐戸、脇間は正面側が連子窓、後側は羽目板/新薬師堂前の石燈籠は不動堂前のものと同じ形

回遊式池泉庭園の奥から眺めた堂宇....左から本堂、観音堂、薬師堂そして薬師堂の先は香堂

池泉庭園の水面に映る薬師堂...池泉の奥の水際は州浜のように小玉石が敷かれている
 
池泉庭園の奥の岩陰に鎮座する子安地蔵尊像

「国指定史跡 高山寺貝塚」(南側・第1号貝塚)....境内全域から縄文時代早期から弥生時代に至る遺跡(貝層、土器、石器、獣骨等)が発見された

六世紀後半の造営と推定される五反田古墳....蘇生山西南の丘陵の裾に築かれた横穴石室の小さな円墳をここに移築したもので、石室は長さ約2.5m、幅約1.5m
  
不動堂後方に立つ平成四年造立の筆塚/合気道の開創の「植芝盛平翁」の墓碑/「南方熊楠先生」の墓碑....南方熊楠は慶応三年(1867)生まれの生物学者・民俗学者

墓所側から眺めた多宝塔
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