爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

家庭訪問

2010年03月26日 | ブログ

昭和20年代~30年代、黒いカバンを持ち、派手な化粧もせず、地味な服装の職業婦人と言えば、思い浮かぶのが家庭訪問している助産婦、保健婦、学校の先生。

後に、助産婦は利用する人が少なくなり、役割が産婦人科医へ移ってしまったので、姿を見かけることはないが、最近になって婦人科医不足で助産婦の役割が見直される話もチラホラ。

保健婦の家庭訪問は地区ごとに赤ん坊から老人まで全てを対象に保健指導にあたったものだが、市町村合併で大規模化したこともあり、該当者だけを呼び出しての指導に変わり、先生の家庭訪問も居間や勉強部屋で行われたものが今は殆んど玄関先だと聞いている。

以前は、保健婦や先生方の家庭訪問は感謝されながら迎えてくれ、指導や助言を素直に受け止めてくれたし、繰り返す訪問で地域や各家庭の実態が正確に把握されていたと言う、最近は人権や個人情報等々で、個々の家庭への立ち入りは難しいのが実態とか。


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スナックT

2010年03月20日 | ブログ

昭和604月~633月、M市での在勤中に利用した「スナックT」、カウンターに椅子が数個と10人程が座られるボックス席、ママさんはボックス席で、ご主人はカウンター内での接客、小ぢんまりとした店で利用料金も格安だったこともあり、多くの若者たちで繁盛していたようだったが。

東京でホステスをしていたと言うママさん、バーテンだったご主人の故郷M市内で始めたTスナックも、現在はM市郊外で食堂を経営している、久しぶりに家内と食事方々立ち寄りお喋り、スナックを利用した常連も、たまには顔を見せるそうだが。

当時、飲み会後の2次会、3次会の定例会場として最後は必ず利用する店であり、若い部下達が、爺のボトルを勝手に利用したり追加するのも容認済み、利用日の数日後には間違いなく請求書が届き支払い方々また飲みに。

ママさん、キップのいい姉御肌で若者達を安心してお任せ、爺にとってお金には換え難い精神的に支えてくれたご仁であり、食事しながら爺が50代初め、ママさん40代初めだった頃の話題は尽きない。


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夢で会話

2010年03月14日 | ブログ

08.11.1に紹介したYさん(80歳)、昨年2月最愛の奥様に先立たれ、今は1人暮らし、家内とご機嫌伺い方々お訪ねし、御仏壇の前でのお喋り、無口なYさんも、うれしい、嬉しいと繰り返しながら喋り続けること。

もともと仲の良いご夫婦だが、今も夢の中で奥様と会話している、就寝時は枕もとに置く携帯電話、時々赤ランプが点滅して奥様が会いに来るんだそうで、声は聞こえないが、携帯電話を取って話しかけるとランプが消えるという、一度、たまには夢に出て来いよと声をかけた夜、奥様が無言で白菜を漬けていたという夢の話を真剣に語ってくれる。

お昼には、何時もより早く起きたそうで、自身の手料理でご馳走してくれ、保健婦だった奥様と母親から得た知識であろう、厚生省基準に沿ったバランス食と、こだわりの味に感心しながら頂戴。

最後は、毎年、枝豆作りに精を出し、身内、知人に配っているYさん、今年も収穫の10月には出かけてくるよう勧められ、帰宅の途に。


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年齢を頂く

2010年03月08日 | ブログ

今日で77歳達年、大勢の皆様から支えられて今年も健康に大きなトラブルもなく、年齢を頂戴したことを素直に感謝申し上げながら、残りの人生は、いくつ頂けるか、最後は神様からお決めいただくだけ。

消極的に勉強した学校からの解放後、最初の1周目が厳しかった地方公共団体、2周目は戸惑い続けた民間団体、3周目の現在は気楽なボランティア団体と今日まで大きく三つの節目があったと思う。

一言で、1周目、2週目は、心身を消耗させるストレスとの戦いで勝ったり負けたりしながら持ち堪え、3周目に入って負けるほどのストレスもなくなり、体全体の免疫力がアップしたことで、食べ物は入口から出口まで順調に流れるし、口数も滑らかになるし、良く眠られるし、ご機嫌斜めな日も少なく穏やかになるし。

市民検診をお休みしてから3年、あちこちに老化現象はあるが、今のところ特に目立った自覚症状はない、健康管理に努めながら症状が現れ次第,好きではないが、お医者様やお薬とお付き合いすることに。


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二人の未婚男

2010年03月02日 | ブログ

昭和55年4月~57年3月、爺のもとで働いたM氏、当時30歳代の独身、豪雪地の農家の長男で典型的な嫁に行きたくない、嫁がせたくない環境、日頃は温厚、無口、小柄で色黒、決して男前とは言い難いが、嫁を選ぶこと無く自ら死を選んでしまったとは勿体ない話。

一度、彼女へのプレゼンの品であろうハンドバック、職場の先輩女性から品定めをしてもらっているところを見れば、女性に関心がなかったわけでもない、東京へ出張の折り一緒に寄席見物、終始、声を出して笑いながら楽しむ普段は見たことのない彼の姿が思い浮かぶ。

もう一人、昭和57年4月~60年3月、同じく爺のもとで働いた30代の独身Y氏、一昨年春に定年退職の挨拶状が、今も丁寧な年賀状には、一人旅と,囲碁を楽しむ人生だというが、当時周りの「おせっかいやき達」が、カタログ持参で勧めても、その気にならず、今風でいえば草食系か、同僚と争いうことも無く、何を言われても、にこにこ顔、仕事一筋のご仁。


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