爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

爺のこの頃

2019年01月25日 | 日記

昨年の8月23日に心筋梗塞の手術をしてから5か月が経過した、仲間からも元気づけられ、体調に異常はなく心身とも手術前の生活に戻った、朝食後に8種類の薬を飲む習慣も身に付いた。

この頃の生活リズムは、概ね3時半起床、6時朝食、11時半昼食、16時半夕食、18時半就寝、全て早め早めであるが、ぐっすり眠られるし、朝起きた時の気分も爽やか、3度の食事も美味い

年に2~3回は風邪を引いていたのに、ここ1年ほど風邪薬の世話にならずに過ごしている、日頃の生活習慣とウイルスだらけの病院、医院、スーパーなどから帰宅後の丁寧なうがいと手洗いの効果だろう。

関東地方の青空が羨ましいこの時期は、年を重ねるにつれ段々と長く感じるが、パソコン、タブレット相手に頭の体操、爺の役割の家事で体を動かしながら、辛抱強く芽生えの季節を待つ日々。


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小学校の統廃合

2019年01月20日 | 日記

人口減少の現実と題して新潟日報で3回にわたり取り上げていた、爺のふる里である村上市では複式学級を解消するため、現在20校ある小学校を統廃合して13校にする案が検討されているようだ。

母校の保内小学校の総生徒数は現在340人とあった、廃校の心配はないが随分と少なくなったもの、爺が在籍した昭和14年~20年当時は1学年3学級150人ほどで、全校生徒数は900人はいたのに。

学校長の方針だったのであろうか、卒業写真はもとより写真というものが全くない珍しい学校だったので、学校行事やクラスメートを偲ぶ材料がないが、今も思い浮かぶ顔が何人かいる。

これからも人口減少が進んで行くと推測されている、少子化対策として行政がいくらお膳立てしても、価値観の問題であり若者の結婚観が変わらない限りは永遠の課題だと結ばれていた。


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寒がりやの爺

2019年01月15日 | 日記

幼い頃から周りから寒がりやと言われていた爺、年を取って益々寒さに弱くなり、いっぱい着込んでいる、家内はお寺で育ったせいか寒さにはめっぽう強い、着てる数が、上が2枚、下が一枚違う。

小学生だった昭和10年代の部屋の暖房と言えば、炬燵か火鉢しかない、起きるとそのまま炬燵に潜り込んでしまうか、火鉢にへばりつくか、母親から毎日のように早く着替えなさいと怒鳴られていた。

この頃は、頭髪が少なくなって頭も寒いので、家内が髪の代わりにとモヘア毛糸で編んだナイトキャップをかぶり、同じく首には、ネックウオーマーを着用して寒さ予防している。

寝床は、薄手の毛布と羽毛布団を掛け、その上に厚手の毛布を掛けていたが、羽根布団の下に毛布を掛けるのは間違い、むしろ敷いたほうが暖かいと、布団屋さんの言に従って、さっそく実施しているが。


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布団の上げ下ろし

2019年01月10日 | 日記

子供の頃から狭い貸家か官舎住まいは、寝室も居間も遊び場も一緒だった、何時頃からか覚えていないが、起きると布団は自分で畳んで部屋の片隅に片づけていたのを覚えている。

この頃では生活が洋風化して、専用の寝室にベッドの生活が増えたようだ、我が家は今も和室で布団の上げ下ろしをする生活で、昭和的風景だと言う人も居られるほど珍しくなってきた。

立ち座りが不自由になったら、便利で合理的なベッド生活になる日も来るであろう、85歳の老夫婦ながらまだベッド生活には至っていない、布団が重く感じてきたが爺の役割として続けている。

独身だった5年間の下宿生活時代は、週に一度程度の部屋の掃除をするとき以外は布団は敷きっぱなしだった、不精の代表格とも言われる万年床の情景が、今に思えば懐かしく思い出される。


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年賀状仲間

2019年01月05日 | 日記

新天皇即位で元号が変わるのに合わせて、長年続けてきた年賀状のやりとりをやめる年賀状じまいする高齢者が増えたらしいが、終活で人との付き合いもスリムにしたいようである。

抱負や近況やお礼など、一言でも自筆の添え書きのある年賀状は嬉しいものである、爺と県庁同期のO氏の年賀状に「少々長生きし過ぎたようだ」と小さな添え書きが気になり、電話してみた。

爺と同じ夫婦だけの生活で、奥さんとドライブしながら県内外の温泉巡りをしていたが、肺がんを患い、脳梗塞の後遺症で左手がやや弱いとのこと,お互い数年ぶりの会話で長電話してしまった。

儀礼的な年賀状は、そろそろお終いにしようかと思いながらも、今日まで踏ん切りがつかないでいる、一方で添え書きのある親しい仲間には人生最後まで書き続けたい気持ちでいる。


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