爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

半世紀ぶりの再会

2009年08月31日 | ブログ

ドライブでK市内を走行中、自宅前で用足し中の女性、昭和28年(20歳)に職場で一緒だったM子さんではと車窓から旧姓で声掛け、第一声は「どちらさまでしょうか」に対し「昭和28年に一緒だったHです」と答えた爺の顔を近くで見つめながら、フルネームで呼ぶ、お互い半世紀以上、風雨にさらされた風貌でも、昔の顔は戻ってくるもの。

玄関先での立ち話も、懐かしさと積もる話で家の中に案内されたが、80歳になるというM子さん,体調も万全ではない様子、改めて訪れることを誓い、30分ほどの四方山話でお別れしたが、昭和28年5月の職員旅行時、4人で残雪が散在する白樺林を散策したとき爺と一緒だった話から始まり、当時の仲間たちの近況など話は止まないまま。

職場の先輩Gさんに熱烈に愛されたM子さんだったがSさんとの結婚、しばらく荒れ模様の日が続いたGさんも、10年前に不慮の死、ご主人も25年前に難病で他界されたと聞き人生いろいろ。


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水戸の爺

2009年08月26日 | ブログ

昭和34年に我が家にテレビが居座ってから半世紀、永いこと見続けてきたもの、年を重ねるごとに見る時間も少なくなり、時々見てる悪代官と悪徳商人を懲らしめる水戸黄門、現代の政官業癒着の単純な作り話ながら気分痛快、ストレス解消にも。

テレビで水戸黄門が始まったのは昭和44年、松下電器会長から「世のため、人のためになる番組を提供せよ」との業務命令がきっかけだそうで、初代水戸黄門役の東野栄冶郎、続いて,西村晃、佐野浅夫、石坂浩二、現在の里見浩太郎と今なお安定した視聴率を維持しているという。

個々に好みは違うと思うが、悪役として活躍した東野栄冶郎、西村晃が世の悪をただす最も黄門様らしく感ずるのも不思議、また暇人の観察によれば、悪党屋敷で格闘が始まるのが8時40分過ぎ、「印籠出し」は8時45分過ぎ、越後のちりめん問屋の隠居が越後に来た時は,丹後のちりめん問屋に、最後に次の目的地へ出発する日は、何時も晴天だとか。


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ワンちゃんの近況

2009年08月19日 | ブログ

6月で9(人間の50歳代) になったワンちゃん、当初から、しつけ教育を怠り、自由の与え過ぎで、人間で言えば、道端の石にも嫌われる2歳児並みの教養の持ち主だが、元気に家中を犬小屋にして飛び回っているのが何より。

暑くもなく寒くもない時だけ、気晴らしに115分程度、フン処理用のビニール袋持参で散歩に連れて行く、時々、散歩中のワンちゃんとの出会いながら、飼い主同士の挨拶は簡略だが、ワンちゃん同士の挨拶は丁寧過ぎる。

ごみ袋を持てばごみ捨てに、はがきを持てばポストまで、いつも傍に寄ってくるワンちゃんも、シャンプーの準備をしている爺の様子を察知するや、耳を寝せながら逃げ回り、捕まえるのにひと汗、終わった後は爺もシャワー。

新聞配達、郵便配達、宅配便、回覧板など、外から家に持ち込む人、並びに出窓から見える買い物 通勤 通学中の人への丁重なご挨拶、近くに住む同種のワンちゃんも一緒に合唱する時も。


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自治会役員

2009年08月13日 | ブログ

大部分の方は進んで、やりたくない自治会の役員、立候補者は先ずないので適任者と思われる方に依願するか、順番に役を勤めるしかないのが現状、更に少子高齢化が進むにつれ、自治会の合併も、あるかも、或いは、ないかも。

わが自治会も同様、1年交代で6組の班から順番に6人の役員候補が集まり正副会長、会計監事の互選が行われるが、できれば、やりたくない者、中には奥様から厳しく引導を渡された者が集まって協議しても難航するのは当然、私見だが、前年度の役員若しくは有識者会(会長経験者)に調整役を委ねる仕組みなど如何なものかと。

爺も10年ほど前、副会長職を勤めたが、このときの6(男性4人女性2)中、男性の1人が最初から会計幹事を希望、残りの男性3人で 年頭のA氏を会長、爺とS氏が副会長、女性からは監査役に、運良く短時間で決まり、もっとも、会長職をA氏に決めたのは、爺とS氏が事前に談合、A氏も、二人の談合を承知済み。


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ラブロマンス

2009年08月07日 | ブログ

アメリカのユウチューブス社のサービス動画の中に、戦前戦後に一世を風靡した俳優たちの姿、歌手たちの歌声が、後期高齢者の仲間たちに青春を思い起こさせる。

日本中をお騒がせしたラブロマンスと言えば、昭和13年の「愛染かつら」医師と看護婦が、昭和28年の「君の名は」防空壕で出会った二人が、会えそうで会えない すれ違いを繰り返しながら、結ばれるという話、気短な者にとっては、もどかしいメロドラマ。

「愛染かつら」、映画が田舎で上映されるのは翌年以降だから、爺が67歳頃であろう、映画館前には入館を待つ若い男女の列、一日数回の上映だったので、次の上映時間まで根気よく順番待ちする様子を、映画館近くの母の実家で何回か見ている。

昭和28年に映画化された「君の名は」その後テレビでもドラマ化されると、放送時間帯には 銭湯の女湯が空になったという話、真実は映画会社宣伝部の作り話だったとも。

近年では、交通手段も豊富、携帯電話の利用、すれ違い等は考えられない話だが、連絡手段が無かった元若者達のラブロマンス。


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