爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

ラーメンとの出会い

2008年10月25日 | ブログ

全国各地には有名な「ご当地ラーメン」と称するものや限られた常連客だけが利用する名もないラーメンなど、数多く出回っている。

爺、ラーメンとの出会いは、昭和26年、S駅前通りにあった屋台店、18歳の若さもあって,2杯食べた覚えがあるが、食糧事情が良くない時代とはいえ、この屋台店のラーメンの味に出合うことは今もない。

郊外に、ご夫婦で居酒屋を経営するS店、昼ラーメンと称して1130分から1時半までの2時間に限り営業している店があるが、客は常連だけで、平成3年に仲間に誘われ利用してから17年、爺好みの素朴な味、今も変わらない。

ラーメンを好まない家内も、S店のラーメンを食べてから、ラーメン好きになったほど、カウンターには椅子が10個、小上がりに4人用のテーブルが2個、決して、きれいな店構えとは言えないが。

いつも満員、時には、カウンター席の後ろに立って待つことも、この店の変わったところは、お客は親父さんから注文を求められるまで黙って待っているだけでよい、ラーメン作りがひと段落したところで順番を間違えることなく、先着順に注文を聞く仕組み。


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頼もしいお年寄り(5)

2008年10月19日 | ブログ

義母の法要、33回忌ともなれば、遠方からの出席者は、ぼちぼち、近隣在住の子供、孫,ひ孫、甥が中心の総勢35人での賑やかな集いである。

出席者の最長老、85歳のAさん、長いお付き合いだが、40代の頃から60代の顔つきで地味なお顔、今も60代の顔つきなので、年よりも元気で若く見える。

元々が専業農家の長男、百姓魂の旺盛な方で、村会議員も一期務め、現在は、息子に全権委任し隠居の身とは言え、口は、ますます達者。

最近、息子に伝えるために自身の葬儀の段取り等を作成し始めた様子を酔いが回ったところで語り出し、お知らせ先名簿,  御斎(おとき)の出席者、お布施のことまで、細かく準備をしているもよう。

寺の総代でもあるAさんの口癖と言えば、「長生きの年寄りは嫌われるので、そろそろ、彼の地へ行きたいが、帰ってくる者がなく、満席で、なかなか行けない」と言うが、総代会議終了後、いつも住職から家まで送ってもらうAさん「人は家から寺に来るが自分は寺から家に帰されるので長生きする」とも言う。


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床屋さん

2008年10月13日 | ブログ

赤、青、白 3色のサインポールが派手にくるくる回っている床屋さん、1575円(洗髪は300円増し) 25分程度で調髪してくれるし、10回利用して1回分が無料となるシステム、こだわりがなければ金額的にはお得で爺も無料分と合わせて11回の利用体験するも満足感はいまいち、今は一般の床屋さんを利用しているが。

子供のころ、旧H村には,2軒あった床屋さん、広くもない畳の待合室は、いつも満員、農村の若者たちには、憩いの場として利用された一面もあって、活気に満ちている、待ち時間は、おしゃべりやトランプ、花がるたなどを楽しみながら、お昼になれば、どこかで昼食後、再度訪れるという、のんびりと、くつろぎながら順番を待っている。

当時の農家は、年中、農作業に追われている日々、定期的に床屋を利用する習慣はなかったし、できなかったようで、お正月、お祭り、お盆の外、農作業の合間に仲間同士が床屋へ集合して休養も兼ねて利用していたように思える。

2軒の床屋さんの近くの広場には時々、地方回りの芝居や大相撲やサーカス等の興業が開かれ、若者に限らず、人の流れが多い通りでもあった。


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新幹線トラブル

2008年10月07日 | ブログ

9月28日午前、関東からの帰路「新幹線のシステム障害」という名のトラブルに巻き込まれ、復旧までの4時間、思案に暮れている様々な姿を垣間見る。

以前にも何回か発生した同じようなトラブル、復旧には長時間を要するであろうと覚悟、紅葉マークの愛用年齢ともなれば、先ずは待合室にて「しばし情報待ち」と冷静なる対応。

JRの案内放送も、ないままの待合室は、爺と家内、一人旅の女性、親子3人連れの女性の計6人、おなじ新潟へ向かう客ばかりとなり、爺の利用したK駅は、すべての電車の停車駅ではないと気付き、復旧時に備え、隣のT駅まで在来線で移動、結果として正解だったよう。

T駅までの乗車時間40分、T駅待合室での2時間、一人旅の女性(50代の教師だという)と家内が意気投合、電車の遅れなど忘れた雰囲気でおしゃべり、更に食事まで一緒、爺は、ひたすら駅員からの情報収集のため、あくせく動き回ることに専念。

午後1時30分、4時間遅れの電車が平常心で入場、午後4時前には、我が家に辿り着いたという話だが、家内にとっては、旅の道連れと楽しいひと時だったかも。


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五つ玉ソロバン

2008年10月01日 | ブログ

昭和10年文部省の教科書改定で小学校での「ソロバン」が必修となり,この時に五つ玉から四つ玉に、五つ目の玉はあってもなくても意味がないので、不要な玉として取り除かれたのである。

昭和17年、国民学校4年生の時、四つ玉ソロバンを持っていない生徒に対して学校で一括斡旋、名前は記憶にないが、個人で習っていたのであろう、全然レベルの違う生徒が一人いたことを覚えている。

爺の両親、四つ玉になった本来の意味が分かっていなかったのだろう、「戦時中だから、玉を一個節約したので、いずれ五つ玉に戻るから」と、四つ玉ソロバンは買ってもらえず、親父が使用していた五つ玉ソロバンを使用させられる。

当然のこと、五つ玉に戻ることなく社会人になって、ソロバンと計算機と共にする毎日、同年代の者は、すべて四つ玉、爺の五つ玉ソロバンを見た者は必ず質問、その都度、経過説明をしなければならない煩わしさと少々の恥ずかしさを味わうことになるとは。

茶箪笥の引き出しには、利用することもない五つ玉ソロバン、今も電卓と一緒に健在。


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