爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

初恋の人

2020年07月25日 | 日記
昭和15年、小学校2年生の時、近くに転居してきた4人姉妹の三女で同級生のN子さん、可愛らしい子だった。着物にモンペ姿の女の子の中で洋服姿のN子さん、男の子達から注目されていた。

昭和10年代の田舎で、男の子と女の子が二人だけで歩く姿は見ることは無かった。下校時に、彼女と並んでお喋りしながら帰って来たこともあったが、人に会うと自然に離れて歩いた。

男の子と女の子が一緒に遊ぶことは無かったご時世だったので、男の子達にとっては、二人の姿が羨ましかったのか、やきもちだったのか、冷やかされたり虐められたりもした。

思春期の頃には、どんな姿の女性になったろうかと、時々思い出して想像していた。初恋の多くは、幼小時代に異性を好きになると言うから、一年足らずの出会いだったが爺の初恋の人だったのかも。

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もったいない

2020年07月20日 | 日記
シルバー川柳の入選作品「もったいない気づけば我が家はゴミ屋敷」は、昭和一桁生まれの老夫婦の生活そのもの。二階にある品々は、捨てられる日を待っているものが大半である。

デパートの包み紙や紙袋、お菓子の空き箱や空き缶、段ボール等々、何かに使えるからと捨てずにとっておく。あとで利用するのは稀で、たまに利用しながら増えるばかり。

食べ物も、衣類も不足の時代を体験した世代である。形あるものを捨てることが、粗末にするという罪悪感さえ覚え、勿体ないという固定観念に凝り固まっている。

結婚63年目の老夫婦ともなれば、着ることのない衣類、読むことのない本、使うことのない瀬戸物で埋まっている。処分する気持ちになれないまま、息子たちに引き継ぐことになる。

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高齢の仲間たち

2020年07月15日 | 日記
昭和28年、最初の勤務地には昭和8年生まれの独身が5人いた。男性は爺一人、4人の女性のうち、一人は家内、A子さんはご主人に先立たれ独り暮らし、T子さんはご主人の介護中、S子さんは他界されている。
 
今の時期は、北限(村上市)の新茶を手土産に各地に居る同年代の知人や友人を訪れていたが、コロナ騒ぎで不要不急の外出の自粛と寄る年波で体調不良者も多くなり、訪問は控えたところ。
 
一昨日、久しぶりに昭和34年当時の職場仲間のH氏と昼食を共にしながらの四方山ばなし。84歳になるH氏、今も地域の老人会の役員として活躍中とあって、元気だし、食べるし、良く喋る。

数種類の薬と共存しながらも、夫婦そろって体が自由に動いて、3度の食事が美味しだけで満足している日々である。今の願いは一つ、「早く来い来い、みんなの素顔が見られる日」だけ。

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庭の草取り(2)

2020年07月10日 | 日記
若者4人に除草してもらった庭に、毎日のように若い草同士が競争しているかのように顔を出してくる。近所の奥さんから紹介された軽いステンレス製の鍬で、珍しさもあって、自ら草を取っている。

今では、草を見ると気になり、髭剃りのように、草取りの習慣がつき始めたようで、鍬の使い方も上手になってきた。時々、今度生まれてくる時は「美しい花になって来いよ」と独り言を呟いたり。

草取りと言うと、故人となった近所のA婆ちゃんを思い出す。広い庭には、一年を通して色々な花を育て、周りは何時見ても草一つ見当たらない。よその庭の草でも、目に入ると取る人だった。

かがみながらの草取りと違って、老体になった腰への負担も少なく、楽に出来る一本の鍬のお陰で爺の心境に大きな変化があった。何時まで続くだろうか、涼しそうな庭を見るのが楽しくなった。

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爺の母親たち

2020年07月05日 | 日記
家電製品は無かった爺の子供の頃の母親たちの一日は、炊事と洗濯に追われていたと思う。お天気の日は、何処の家でも台所の入り口などで、タライで洗濯をしているお母さんの姿があった。

子供達も、お母さんのお手伝いを当たり前のように行われていた。玄関の掃除、庭の草取り、簡単な買い物は子供の役割として定着していた。爺も風呂の水くみをしたのを覚えている。

炊事は全て手作り、燃料は薪か炭なので目配り気配りを欠かせない。買い物は魚、野菜、乾物、肉屋など専門店を歩いて回り口で注文する。目方計りや包装に手間もかかっていた。

3度の食事は、全てお母さんが作ってくれたおふくろの味である。爺にとって、戦後の食糧難時代のおふくろの味は、サツマイモ、ジャガイモ、トウモロコシを加工した代用食である。

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