爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

次男が羨ましかつた

2016年07月25日 | 日記

男4人兄弟の3男坊だった後輩のT氏が折に触れ言ってた、長男と次男は親から厳しいしつけ、末っ子の4男は可愛い可愛いと、俺は親も子育てに慣れ、気楽に育てられたようだと。

長男の爺には羨ましい限りだった、同じく長男で従兄のNちゃん(故人)、酒を飲むたびに爺に口説いていたが、長男とは周囲の親族から批判や苦情に悩まされる損な立場だと。

複数の姉がいる末っ子の長男は優しい性格が多く苦労するのは嫁、小姑から嫁を守ってくれる賢い姑もいるが、多くは身近で世話してる嫁よりも、たまに会う嫁いだ娘たちを可愛いがる。

6人兄弟の爺、次男.3男.5男は幼くして病死、3歳違いの妹(74歳で病死)と13歳違い弟は居るが、大きな相談事になると、兄ちゃんが居たらなーと思ったことも,しばしば。


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話しの面白い人

2016年07月20日 | 日記

話しの面白い人は知識も豊か、ユーモアがあって周囲を楽しませたり、和ませるムードメーカー、間のとり方、身振り、手振り、顔の表情など、天性のものかも、素人には真似できない。

田中元総理の演説はユーモアがあって何度聞いてもて面白かったが、長州出身の安倍現総理も白虎隊の会津若松で遊説の際、その節は先祖が大変ご迷惑をおかけしましたと先ずはお詫びから。

爺も思い出した、全国会議後の宴席で口達者な長野と山梨の二人が新潟の爺に、越後の上杉謙信から何度もイジメにあったと、話が戦国時代に遡り、即座に「その節はどうも」とお詫びして大笑い。

日頃から大げさな表現で周囲を笑わせる昭和38年~39年に上司だったI氏も面白い人だった、風呂桶のような茶碗とか、牛の目玉のような大きな文字とか、敷布で作ったような力士のパンツとか。


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夏の風景

2016年07月15日 | 日記

近頃では見られない懐かしい風景の一つ、暑い日の午後から夕方にかけて雷を伴って突然降り出すどしゃぶりの雨、短時間で止んだ後の涼しさ、お日様の光に合わせて鳴き始める蝉の声。

子供の頃、夜は暑くて早々に寝床に入ることはできないので、大人は玄関先で長椅子に座り夕涼み、ご近所同士で世間話が弾んだり、子供たちは蛍をとったり線香花火で遊んだり。

人はみんな、寒いときは耐えている、暑いときは怒りっぽくなる、涼しい時は機嫌よくなる、暑さで汗びっしょりの時、一瞬さわやかな風が通り抜ける「極楽のあまり風」の心地よいこと。

我が家の夏、日中は外から涼しい風が飛び込んでくる間は、窓を全部開けっ放して暑さを凌ぐ昔と変わらない生活、必要によりエアコン、扇風機.うちわを有効活用しながら静かに。


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暑気払い

2016年07月10日 | 日記

パソコン仲間でのお花見、暑気払い、紅葉狩り、忘年会など、四季折々の親睦行事も定着しそう、7月5日は暑気払いで、60歳以上は972円のバイキングレストランで昼食とお喋りで2時間。

会場は開店して間もないレストラン、値段から察し期待もしていなかったが、和洋中を揃えて品数が多いので、お味は個々のお好み次第として、賢く選べばバランスの良い食事ができる。

当日は、何時も家で食べている和食を中心に12品目ほどの食材を選んで試食、食べなれた家庭の味と違うのは当たり前、不味いと思ったのもあったが、まあまあと言ったところか。

サツマ芋のつるまで食べた戦後の食糧難時代を体験した爺も、あれから70年以上も経った今では口も贅沢になって、美味いとか、不味いとか、品定めをするようになってしまった。


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散歩中の短い会話

2016年07月05日 | 日記

日曜日の早朝は、数人で歩いてる若者たちと良く会う、女性にモテないチョンガ族だろうか、麻雀か飲み会の帰り道のようだし、お休みなさいと声を掛けると、笑いながらお休みなさいと答える。

就活時期でもないのに、正装した3人の女子大生に声を掛けたら、ニコニコしながら今日は小学校で教育実習だとか、色々な年代の人達との会話体験も実習しなさいと、学生達に言う爺の決まり文句を。

40代のフィリピン女性、爺と会う度に「お父さん」と声をかけて来る、日本人男性と離婚して一人暮らしとか、建設業で働きながら、フィリピンに住む親兄弟に仕送りしているんだと。

戦時中は満州開拓団だったと言う97歳の小柄な爺ちゃん、家内は30年前に亡くなり、軽い農作業や屋敷の草取りの日々だとか、もう5年も医者にかかっていないと自慢気味に良く喋る。


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