爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

小さなうっかり

2008年04月25日 | ブログ

「うっかり」とは、ぼんやりして注意が行き届かないさま、日常生活の中で老若男女を問わず、ちょっとした「うっかり」は誰しもが体験ずみ。

よそ様のうっかりした様を見て、お知らせすべきか否かの判断に手間取る例として、法事などで読経の間、正座をしている前列の方の靴下の穴や、スーツを着込んだ紳士のズボンのチャックの閉め忘れに気づいた時などがあるが、旅行に行く時、わざわざ、穴の開きそうな靴下を履き、旅先で捨てて来るという変った御仁もいたけど、最近の安靴下は徐々に破れず、突然、大きな穴が開くことがあり要注意。

昭和36年頃の同僚S子さん、出勤途中に赤ちゃんを預け、娘気分で事務室の席に座るも、背中には赤ちゃんの「よだれ掛け」をつけたまま、気づいた周りの者たち、直ぐに知らせもせず、微笑んでいる雰囲気も和やかで。

スーパーの駐車場では、買い物を終えて、戻ってくる奥さんを待つご主人の姿を見るが、間違いなくご主人の所へ戻って来るのに、爺が世帯主と呼んでいる家内、車の色だけを見て、爺の顔を見ることなく、よそ様の車に乗り込もうとする行動が時々あり。

一度は、よそ様の車に荷物を持ったまま乗り込んでしまった実績の持ち主、お互いに、見飽きた顔でも、時には見る必要もある。


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お散歩いろいろ

2008年04月19日 | ブログ

高齢により、弱った足腰を甦らせるための手軽な運動として、お散歩も有効だと良く言われている。

散歩の理由もスタイルも、人それぞれ千差万別だが、皆さん自分なりの健康維持に努めている姿を見る。

近くのTさんご夫婦、この地に住んで20年になるが、毎日欠かすことなく

お決まりコースを1時間程度の散歩と聞いている。

のんびりと、周りを眺めながら、時に立ち止まりながら歩く人、振り向きもせず、左右に目を配ることもなく,ひたすら、前方を見据えたまま早足で歩く人、愛犬の散歩も兼ねて歩く人、などなど。

郊外の公園内でも男女を問わず、高齢者達による本格的なウオーキングの姿を見かけるが、軽く会釈を交わす余裕のある方、息を弾ませ厳しいお顔の方と様々。

爺も30分程度の散歩を何日か試みたこともあるが、雨の日、暑い日、寒い日など天候次第で休む日が多く、止めたまま、それっきり。

日常生活での工夫で、多少なりとも、老化を遅らせる運動はあるもの、「2階トイレの使用」、「布団の上げ下ろし」、「風呂掃除」、「大型店での買い物」などは

長続きしている。


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下宿のおばあちゃん

2008年04月13日 | ブログ

昭和46年から2年間、N市への単身赴任で世話になった下宿のおばあちゃん

若い頃から, 旧T市の豪雪地で、長年、教員の食事の世話を続け、部屋には、教育委員会などからの感謝状が掲げてある。

N市に転居後も2階に7室の部屋を用意、学生や転勤族の食事の世話を続けており、台所には、いつも、お母さんを助けで働く二人の孫娘(高校生と中学生)の姿がある。

時々、おばあちゃんの部屋でお茶を飲みながら、自身が子供の頃、赤子をぶって登校、勉強が嫌になると、赤子の足をつねり泣かせることで、帰宅できた様子など当時の学校生活を語ってくれたのを思い出す。

一度、おにぎりを用意してもらったことがあり、なんと、ご飯茶碗二膳分のおにぎり2個とゆで卵2個を渡され、「若いもんは、これくらいは食べなさい」と言われたものの、当時38歳の爺には無理。

広い屋敷内での野菜作りは、おばあちゃんの仕事、もともと、農家の出身で何でも上手に作る、肥料は、しもごえ(人の糞尿)を有効利用。

家族7人と下宿人7人が利用するトイレ、肥料には事欠かない。

年頃の孫娘からの苦情に気配りしてか、早朝、皆さん寝静まっている時間帯に作業を終わらせるが、時に強烈な香りに、酔いしびれながら目を醒ます。


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中学時代、唯一枚の写真

2008年04月07日 | ブログ

鉄道官舎で近所だった同級のN君 I君、爺の3人とN君のお母さんが並んでいる昭和20年、旧制中学入学時の写真、中学時代、唯一枚の写真との出会い。

N君 頭が大きく、額の広い、賢そうな顔立ち、1年後、お父さんの転勤で別れて以来、消息不明のまま。

I君 色白で一人っ子のお坊ちゃま、女学生から、注目の的、爺は、もっぱら引立て役、昭和29年の暮れに会ったのが最後。

爺 小柄で純真無垢な幼顔、今は、風雨にさらされ変形した顔に「しわ、と しみ」頭は、しらがに覆われた熟年顔。 

3人一緒の汽車通勤、S駅まで徒歩10分、乗車時間20分、M駅から学校まで徒歩20分の二列縦隊での集団登校。

駅での集合場所、乗車する車両、通学道路は、男女別に指定され、通学途上の行動は、厳しく規制、この年8月の終戦まで続く。

鉄道員を父に持つ仲間達、交友期間は短く、交通手段も、通信手段も豊かでない時代、離れてしまえば、殆どは、音信不通になるが、当時の仲間たち、思い出す名前は,たくさんいる。


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4月のT駅ホーム

2008年04月01日 | ブログ

昭和30年代~40年代、4月初めのT駅のホームは、官民を問わず新任地に赴任する同僚や家族を電車が見えなくなるまで手を振りながら見送る人たちでお賑やか。

今は、新幹線ホームで新婚旅行に出発するカップルを見送る風景を見かける程度だが、毎年同じ風景が繰り返された時代。

この時期、駅員の粋な計らいであろう、ホームに流れるメロデー「蛍の光」で

女性たちの目に涙するひと時でもある。

爺も一度、見送りを受ける、あの時の感動、忘れることはない。

裏話だが、赴任者の都合に合わせて、何回も駅までのご足労は大変なので、見送り日を調整する担当者の苦労というか、笑い話もある。

可能な限り、同じ電車に同乗してもらうための、担当者と個人の打ち合わせ

やむを得ない時は、取り敢えず指定の電車に乗ってもらい、次の駅で戻って来るという滑稽だか実際に毎回あった話、内緒で戻ってから、隠れて用を足すのも一苦労だと聞く。


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