爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

健康に感謝

2018年05月25日 | 日記

食事、排泄、着替え、洗面、掃除、洗濯、買い物、入浴など、毎日の平凡な生活動作を、80半ばの老夫婦が、今も人様の世話にならずにできる幸運に喜びと感謝をしながら余生を楽しんでいる。

家内が手抜きすることなく丁寧に作ってくれる昔ながらの醤油とみそ味でのバランス食を美味しく食べられて、老廃物は渋滞することなく排泄される快便の爽快感は、この上ない健康の証である。

昨年55年ぶりに再会したH氏と久しぶりに昼食を共にした彼が曰く、80を超えたら財布が受診券で重い、ワラをもつかむ思いで、サプリメントを色々と利用しているが健康にならないとぼやく。

健康の基について、知人から良く何を食べていますかと問われたものだが、最近は何を飲んでいますかと尋ねられることがある、サプリメント依存の生活習慣が定着したのだろうか。


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ワンちゃん仲間

2018年05月20日 | 日記

久しぶりにワンちゃんの散歩仲間のHさんと出会う、我が家のワンちゃんと仲良しだったカルちゃんが亡くなったと聞いていたので、早速お見舞いを言いながら立ちばなし。

Hさんが言う、ペットロスになってしまい、うつ状態が続き眠れなくなり、つい晩酌の量も多くなり太ってしまった、散歩しているが一向に体重が減らない等々、hさんの口説き話の聞き役になった。

我が家のワンちゃんも間もなく18歳、今は食欲に変わりないが、ゆっくりと家の中を歩き回ったり、寝ているか、おしっこも足を上げることが出来ず、吠えなくなった姿は、とても寂しい。

夜は爺の枕元か、家内の枕元で、寄り添って寝ている、別れの日は遠くない、いずれはHさんと同じ思いをすることになるが、最後の日は、一言「長い間ありがとう」とお礼を言いたい。


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和洋レストラン

2018年05月15日 | 日記

信越線古津駅の近くに赤い屋根の和洋レストラン「さんとらっぷ」がある、10年以上前に初めて訪れた時は、二人の若い女性が経営する女性客を対象にした喫茶と和洋の食事処だった。

何回か利用したが、何時も女性のグループが多かった、量的にも多くないし、一般食堂では味わえない素材や味に趣向を凝らしたレディス定食は、男の爺もお気に入りで好んで食べた。

ゴールデンウイークも終わって静かになった11日、久しぶりに訪れた、二人のオーナーが、何時も「美味しかったよ」と料理を褒めたり、励ましてくれる家内に寄り添いながら嬉しそうに迎えてくれた。

今では、子供から年寄りまで利用できる豊富なメニューが用意され、家族連れやパーティーなどで繁盛しているようだ、当日は人気メニューのパスタを食べ、天然酵母を使った自家製パンも忘れずに買ってきた。


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頸動脈エコー検査

2018年05月10日 | 日記

尿酸値が極端に下がったので専門医からの診断を仰ぎ、服用中の薬を変更してから一か月後の5月7日、血液検査数値は5.1と正常範囲内で上昇、薬を変更した効果があったところ。

当日は動脈硬化の有無を調べるために、頸動脈エコー検査を初めて体験した、首にゼリーを塗られて、パソコンのマウスのようなもので首周りを撫でながらの検査は数分で終了した。

3層ある血管壁で内側から1層と2層の厚さを図り、1mmを超えると動脈硬化が示唆されるそうだが、結果は全て0.7mm以下であり、脳梗塞になる心配はないと医師の診断にやれやれ。

 風邪や腹痛なら、どこの内科でも同じような処置がなされるが、現代の内科医師は殆どが症状別の専門医であり、症状に合わせて専門医の受診をすることの大切さと難しさを痛感した。


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短命の弟たち

2018年05月05日 | 日記

お位牌と並んでお供えしてある過去帳には、余りにも短命だった3人の弟の名前が両親よりも先に記載されている、写真がないので顔に覚えはないが、子供心に悲しかった思いは忘れてはいない。

次男は疫痢で4歳、3男はシフテリアで3歳,5男は未熟児で生後22日で亡くなる、「兄ちゃんのように長生きしたかったよ」と、85歳になった爺を羨ましく思っているかも。

昭和13年、爺と年子だった次男は一緒に疫痢になった、爺の枕元には鉄砲が、弟の枕元には戦車が、買ったばかりの玩具を覚えている、戦車で遊ぶことが叶わなかった次男はお墓の中へ持って行った。

昭和20年、3男は汽車で20分ほどの専門医の居る町まで母におんぶして行く途中で亡くなり、未熟児の5男は、昭和21年当時は助からないと諦めていた、今だったら3人とも助かっていたのにと。


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