敵性語とは、対米英戦争に向かう中で英語は使わないようにと言う風潮が高まる中で、一般民間人や民間団体による自己規制として、自然発生的に生まれたものらしい。
法律はなかったので、海軍兵学校や 旧制中・高校・大学でも英語の授業は 行なっていたそうだし、昭和20年旧制中学一年生だった爺も、はじめて英語の授業を受けた。
小学生(昭和14年~20年)高学年の頃に、ラジオから放送されるアナウンサーことを「放送員」と呼び、ニュースのことを「報道」と言ってたのをおぼろげに覚えてる。
アメリカ生まれの野球用語は日本語でしか使えず、例えばストライクは「よし」、ボールは「だめ」、アウトは「それまで」と言ったそうだが、小学生たちは英語で野球を楽しんでいた。