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北アルプス 初山行 (4)

2007年09月11日 | 山歩 - 東海・北陸
4日目 : 【 双六池~抜戸岳~笠ケ岳 】

この日も好天気です。しかし、友人が体調がイマイチだといいます。もともと天候不順などで予定が消化できなかった場合は、ここから鏡平経由で下りてしまおうと考えていましたので、どうしようか検討しました。少し迷ったのですが、友人も下りてしまう程でもないというので、結局私が友人に代わってテントも背負うことにし、笠ケ岳に向かうことにしました。

まずは弓折岳への登りです。



その登りから振り返った双六池。

池は陰になってハッキリ見えていません。奥は鷲羽岳です。

双六池からしばらくは登山者が多かったですが、鏡平の分岐を過ぎると少し静かになりました。



弓折岳の稜線から焼岳・乗鞍岳の眺め。



同じく弓折岳の稜線からこれから登っていく抜戸岳。

今日も気持ちのいい道が続きます。途中、秩父平の花の中でのんびりしました。

秩父平からの登りは見た目よりきつく感じられました。

それまで、あまり差がつかなかった友人との間隔が、この登りで大きくついてしまいました。私は抜戸岳の下辺りで待っていたのですが、なかなかやってきませんでした。

歩行速度が異なる友人との間では互いに自分のペースで歩くということにしています。その結果、先に行く私が適当な場所で待つことになります。ですから、足の速い私の方が休息時間が長くなります。私が友人のペースに合わす事は可能ですが、それは互いにストレスの原因になります。友人も無理に合わせてもらうとかえって余計な気をつかってしまうといいます。それに、自分のペースで歩くのが一番疲れないはずです。ただ、誤解しないで下さい。友人を置き去りにして先にどんどん行ってしまうということはしませんし、友人自身も地図読みはもちろん一人で歩けるだけの経験があります。それから分岐では先に行かずに必ず待っています。これは私とこの友人との間でのことで、全てのパーティに対していえることではありません。それぞれのパーティにそれぞれの事情に応じた歩き方があるはずです。ですから、経験のあまりない別の友人と歩く時はまた違った距離間隔で歩きます。

そして、この辺りからガスが出始めて遠望がきかなくなってしまいました。

明日下る笠新道の分岐を過ぎ、播隆平を左下に見て進み、笠ケ岳のテント場に着きました。



稜線から眺めた播隆平。

途中いつものように少し遅れましたが、友人も問題なく着くことができました。

前の三ケ所は当時でも水場・トイレ共にあったのですが、このテント場は水場・トイレ共にありませんでした。水は近くの雪渓から取りました。

着いた時はガスで遠望が全くきかない状況でしたので、あえて笠ケ岳山頂へ向かわなかったのですが、明日どうなるかわからないので、夕刻になってから山頂に向かいました。

もちろん、何も見えませんし、誰もいませんでした。おとなしくテントに戻りました。
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北アルプス 初山行 (3)

2007年09月10日 | 山歩 - 東海・北陸
3日目 : 【 五郎平~三俣蓮華岳~双六岳~双六池 】

この日はキャンプ指定地の関係で、双六池までの短いコースです。

前日に続いての快晴です。前日だけでかなり日焼けしてしまいましたが、この日も再び日焼けし、三俣蓮華岳の山頂で撮った写真でも黒くなっているのがわかるくらいでした。

五郎平からは直ぐに三俣蓮華岳への登りが始まります。私と友人はもともと歩行速度があわず、どうしても私が先に行ってしまうことが多いです。適当な場所で待っているのですが、前日はさほど差がつかなかったのですが、三俣蓮華岳への登りでは差がついてしまいました。

黒部五郎岳が見える場所でのんびり待ちます。しばらくして友人もやってきましたが、そこで黒部五郎岳を眺めながらしばし休息です。この日は行程が短いのでのんびりできます。



その休息した場所からの眺め。クリックで拡大。山名付きはここから。

前日に歩いてきたコースを見渡せます。個人的には、カールを全開した形のこの方向からの黒部五郎岳は本当にカッコいいと思います。

三俣蓮華岳の山頂は、昨日歩いた黒部五郎岳などと違い、多勢の人でした。

三俣蓮華岳からの眺めは素晴らしかったです。ただ、人が多かったのでのんびり休むというわけにいきませんでした。



三俣蓮華岳から雲ノ平方面の眺め。クリックで拡大。山名付きはここから。



三俣蓮華岳から槍ケ岳・双六岳方面の眺め。クリックで拡大。山名付きはここから。

右端に見えている笠ケ岳が今回の最終目的地です。初の北アルプスなら双六池から笠ケ岳でなく槍ケ岳に向かうのが普通かもしれません。でも、私が選択したのは笠ケ岳でした。

三俣蓮華岳から双六池へは、双六岳を経由する稜線の道と東側を巻いて行く道があります。快晴の下ですから、展望のいい稜線の道を行きました。

双六岳まであまり登り下りのないこの道は気分爽快でした。展望も素晴らしいですが、あちこちに花が咲いています。

そして、途中で初めて雷鳥を目にしました。それにしても、前日と違って多くの人とすれ違いました。



双六岳への道から鷲羽岳。



双六岳への道から槍ケ岳。

双六岳からは槍ケ岳の眺めが見事でした。後は双六池に下りるだけですので、岩の上で大休息しました。

いい加減に腰を上げて、双六池に下りました。コースが短いせいもあって早い時刻に到着したので、双六池のテント場には数張りのテントしかありませんでした。池に一番近い場所に張ることにしました。その後、時間と共にテントの数は増えていき、最後はテント場はいっぱいになってしまいました。

テントを張った後は、双六池の周辺を散策したり、雪田の上で遊んだりして、楽しくのんびり過ごしました。
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北アルプス 初山行 (2)

2007年09月09日 | 山歩 - 東海・北陸
2日目 : 【 薬師峠~太郎兵衛平~北ノ俣岳~黒部五郎岳~五郎平 】

薄暗い中、目をさますと他のテントでは出発の準備が始まっています。さっそく、我々も朝食の準備です。食事当番は全て私の担当です。

この時に限らず、食事当番はいつでも私が担当していました。理由は単純です。仲間内では料理の「腕」が一番いいからです。そして、私も料理が嫌いではないからです。

この日は、雲一つない快晴で明けました。実は前日に梅雨が明けていたのです。梅雨は我々の山行にあわせたように明けてくれたのです。

太郎兵衛平まで戻って、そのまま北ノ俣岳に向かいます。



太郎兵衛平より、これから越えて行く北ノ俣岳(右)と黒部五郎岳(左)。クリックで拡大。

太郎兵衛平から北ノ俣岳を越えて黒部五郎岳に向かう道は、楽しかったです。

展望は文句無しで、花もあちこちに咲いています。そして、特にきつい登り下りもなく、もし荷物が軽ければ口笛を吹きながらスキップでもして歩きたい、と思うような道でした。



赤木岳付近から黒部五郎岳。手前の花はハクサンイチゲ。



同じくハクサンイチゲが広がる赤木岳付近から薬師岳・赤牛岳~水晶岳/雲ノ平。クリックで拡大。山名付きはここから。



途中の雪田にて。背景は薬師岳です。

何故こんなポーズで写っているのかはわかりません。



黒部五郎岳への登りから北ノ俣岳。

黒部五郎岳への登りはさすがにスキップ気分でというわけにはいきませんでした。

カールの道を行くのは最初から決まっていましたから、その分岐にザックを置いて、山頂に向かいました。



黒部五郎岳山頂にて。奥は槍ケ岳。

山頂は貸切だったと記憶しているので、自動シャッターで撮ったはずなのですが、今になってカメラを置く場所があったのだろうかと思っています。



黒部五郎岳から槍ケ岳。手前の稜線は双六岳。



黒部五郎岳から立山。



先程の分岐まで戻って、カールへ下って行きます。奥は穂高岳。



カールへの下りから鷲羽岳。

カール内は楽しかったです。



岩あり、雪あり、・・・



・・・清冽な流れあり、花ありで、その上カール内では誰とも会いませんでした。

そもそも、この日はほとんど人に会いませんでした。会ったのは数パーティに過ぎなかったと思います。ですから、どこでも貸切の状態でのんびりすることができました。

カールの道では清冽な流れと雪渓を何本か横切りましたが、時々その傍らで休んでいきました。

本当にこの道は楽しかったです。初の北アルプスに黒部五郎岳を選んだのは、今でも正解だったと思っています。

この日のコースは、岩壁や岩が累々とした場所が好きな人には面白くないといわれるかもしれません。しかし、たおやかな山容の高原風の雰囲気が好きな人には喜ばれると思います。



カールを見納めて、五郎平に向かいます。



五郎平。この日はここにテントを張りました。

奥に見えるのは薬師岳。赤屋根の建物は当時の黒部五郎小舎。



五郎平から抜戸岳と今回の最終目的地の笠ケ岳(右)。

1日目は折立から太郎兵衛平まで上がってくるだけでしたから、実質的にはこの日が北アルプス初歩きの日といっていいと思いますが、本当に楽しく歩けました。
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北アルプス 初山行 (1)

2007年09月08日 | 山歩 - 東海・北陸
北アルプス初山行といっても、26年も前のことです。詳細な記録は残っていませんが、アルバムに写真が残っています。それらをスキャナーで取り込んで記録として残しておこうかなと考えました。写真は色褪せてしまっていますが、私の記憶はまだそれほど色褪せていません。しかし、当時の様子を正確に記す事はできません。私の記憶の中に残っている思い出を記したものと考えて下さい。

私が山歩きを始めたのは会社勤めをしてからですし、仕事柄なかなか休みが取れませんでしたから、遠地へ出かける機会はなかなかありませんでした。また、当時は遠地へは夜行列車で行くというのが一番一般的で、現在のように夜間・早朝に車ですっ飛んで行くなどということはできませんでした。ですから、当時遠地だと思われていた場所も、今では遠地とは思われていない場合が多いかもしれません。

それでもチャンスは訪れるもので、1981年の7月末に初めて北アルプスに出かけることになりました。私が最初に目的とした山は黒部五郎岳でした。友人を誘って、4泊5日テント泊でのコースを設定しました。

1日目 : 折立~太郎兵衛平~薬師峠
2日目 : ~太郎兵衛平~北ノ俣岳~黒部五郎岳~五郎平
3日目 : ~三俣蓮華岳~双六岳~双六池
4日目 : ~抜戸岳~笠ケ岳
5日目 : ~杓子平~新穂高温泉

テントは友人が背負い、食料は主に私が背負って行くことになりました。食料といっても当時はレトルト食品などさほど出回っていませんから、かなりの「生もの」を背負っていきました。米も生米を持っていって、コッヘルで炊いていました。最初は私のザックの方が重かったのですが、食べる度にザックは軽くなっていきました。



双六岳への道から槍ケ岳


尚、なにしろ写真が古いですから変色してしまっています。それに、写真によって変色の度合いがマチマチです。一部見難い写真もあるかと思いますが、ご容赦の程を。また、色合いも変色のため実体と異なってしまっていますので、皆さんの目で補正をして見て下さい。それでも、私が感じた何かを感じ取っていただけるのではないかと思います。



出発の日、仕事が終わると急いで帰宅し、準備してあった重いザックを背負い家を出ました。そして、当時の夜行急行「越前」で富山に向かいました。古い木製の普通座席の客車は満席で、通路に寝転んでいる人もいました。そのような状態ですから、十分に眠るなどというのはできませんが、長野駅を過ぎてからの記憶がありませんでしたので、それなりに眠っていたのかもしれません。

1日目 :

早朝の富山駅で富山電鉄に乗り換え、有峰口駅で降りました。駅前には折立行きのバスが止まっていて、さっそく秤でザックの重量検査です。ある重さ(何kgかは忘れました)以上のザックは有料となります。運転手の判断ではなく、きちんと秤で計るので明確でいいです。私と友人は4泊5日テント泊の装備ですから、当然有料でした。

折立への道は途中から舗装が切れ、狭い道を埃をあげながら進んで行きました。バスは満員で、座席を確保できない人もいました。我慢強くずーっと立っている人もいれば、床に腰を下ろしている人もいました。私と友人はなんとか座れました。

終点の折立で降りたのですが、この時の折立の様子は全くといっていい程記憶に残っていません。後に薬師岳から折立に下りた時の様子は明確に記憶しているのですが、どうも昔の記憶はその時の記憶に置き換わってしまったようです。あるいは記憶に残るようなものがなかったのかもしれません。

前日の時点では、まだ梅雨が明けていませんでした。この日も天候は曇りでした。それでも、高度を上げていくにつれて時々雲が切れ、薄日が射しこむこともありました。



途中、有峰湖が見えました。

黄色の花はキンコウカだと思います。この頃はまだ花に強い興味をもっていませんでした。花に興味をもって、真面目に憶える努力をしだすのは、この数年後のことです。それでも、時々は図鑑に目をやっていましたから、幾つかの有名な花ぐらいは認識できました。

太郎兵衛小屋のある太郎兵衛平に着きましたが、ここにはテントを張れません。指定地の薬師峠まで下りなければなりません。

薬師峠のキャンプ指定地には幾つかのテントが張られていましたが、いい具合に隅の静かな場所が空いていたので、そこに張りました。テントを張ってしまえば、夕食の準備以外特にすることがありません。

夕方になって、西の空が少し赤らんできました。夕焼けになるかなと、薬師峠から太郎兵衛平側に上がって見ると、結構綺麗な夕焼けになりそうです。カメラを持ってこなかったので、あわててテントまで取りに戻りました。この時は登山靴ではなく、テント場用のぞうりに履き替えていましたから、急いでの往復は結構しんどかったです。

まず、雲が少しずつ切れて、下界が見え始めました。やがて日本海も見え始め、海岸線をずーっとたどっていくと、能登半島も指呼できるようになりました。



やがて、空も赤く染まり、見事な夕焼けで北アルプス初日が終わりました。
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立山

2007年09月06日 | 山歩 - 東海・北陸
しばらく山に出かけていませんので、過去の山歩きを紹介したいと思います。1990年の9月に出かけた立山です。

この時は、山歩きを始めたばかりの会社の後輩が立山に行きたいというので、一緒に出かけました。そして、どうせ行くなら富山から大町にぬけたいという後輩の要望にこたえて、富山に向かいました。

昼過ぎに富山駅に着き、電車・ケーブル・バスを乗り継いで室堂に向かいました。下は薄日が射していましたが、室堂まで上がってくると、そこはガスが立ち込めていました。

一ノ越まで上がり、そこの山荘で宿泊手続きを済ませ、時間があったので浄土山を往復しました。浄土山ではトウヤクリンドウが咲いていたのを憶えています。山荘に戻ってもまだ周囲はガスでしたが、夕刻近くになり急に晴れてきました。やがてガスは完全に晴れ、夕日の中に飛騨山脈の山々が見事に姿を現しました。夕食の時刻になっても、宿泊客はこの展望に見とれていて、誰も食堂に向いません。山荘の人が出てきて大声で早く食事をして下さいと叫んでいましたが、本当に食事をするのがもったいない位の眺めでした。結果として、室堂に泊まらずに一ノ越まで上がってきたのが正解でした。しかし、何故か写真が一枚も残っていません。

尚、出かけたのは土曜・日曜でしたが、9月ということもあって一ノ越山荘はガラガラでした。我々にあてがわれた大部屋は全部で5人で、好きなだけの布団を好きな場所に好きな方向に敷いて、ゆったりと眠ることができました。

翌日も前日の夕刻の状態が続いて文句無しの快晴となりました。早々に雄山に向かいます。

この日は一日中好天に恵まれ、素晴らしい眺めの連続でした。



雄山から逆光に逆らって四阿山・浅間山方面。手前は鳴沢岳・赤沢岳の稜線。



雄山からの眺め。クリックで拡大。山名付きはここから。(薬師岳・五色ケ原の部分が変色しています)

《 注 》 山名付きにおいて「御岳岳」とあるのは「御岳山」の誤りです。

雄山から大汝山に向かいます。雄山まではそれなりに人がいましたが、雄山を過ぎると急に人もいなくなりました。



大汝山から針ノ木岳方面の眺め。下は黒部湖。



大汝山から別山。その先に剣岳。



大汝山から後立山の山並み。クリックで拡大。山名は別山からの眺めの写真を参照してください。

続いて別山です。硯ケ池には全く水はありませんでした。「砂原」が広がっているだけでした。

最初別山は貸切の状態だったのですが、そこへTVの旅番組のロケ隊がやってきました。「旅人」は有名なTSでした。何回かセリフを練習した後に、撮影していました。旅番組なのに、台本があるということです。私は見ませんでしたが、後でこのTV番組を見た後輩は「ウソばっかし」と感想を言っていました。



別山から針ノ木岳、を撮ったものではなく、中央奥にかすかに見える(ように感じられる)富士山を撮ったものです。元の写真では確認できるのですが、わからないという人はここから。それでもわからないという人は諦めて下さい。



別山から遠くに浅間山方面。手前は爺ケ岳・岩小屋沢岳の稜線。



別山から剣岳方面の眺め。クリックで拡大。山名付きはここから。



別山から後立山方面の眺め。クリックで拡大。山名付きはここから。



別山の下りからの剣岳。



別山の下りから雄山・浄土山方面の眺め。クリックで拡大。山名付きはここから。

室堂に下りて、みくりが池温泉に入ってサッパリしました。みくりが池温泉は山歩きをしない家族でもやってこれるので、一度家族で宿泊したこともあったりして、何回か入ったことがあります。単に温泉としてみてもなかなかだと思います。

後輩も絶好の天気に恵まれて十分に満足したようでした。最後はいささかバテ気味でしたが・・・。

後は扇沢まで順番待ちもなく展望を楽しみながら、バス・ロープウェイ・ケーブルを乗り継いでいきました。このルートは標高も高いですが、乗り物の運賃も「高い」です。

こうやって残っている写真を見ると、現在に比較して撮影枚数が少ないのは当然としても、稜線からの展望写真しかありません。みくりが池の写真さえありません。当時は、写真を撮るということに熱心とはいえませんでした。それでも、この日の分としてこれだけの写真が残っているというのは、絶好の天気のおかげだと思います。尚、撮影場所については一部記録が残っていないものがあるので、一部誤りがあるかもしれません。
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