けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

駄々をこねずに署名活動をしろ!

2012-01-20 22:50:59 | 政治
おととい、東日本大震災後に運転を停止していた原発の再稼働の可否を判断するストレステストの耐性評価結果について、専門家の意見聴取会が行われた。

しかしこの意見聴取会に原発反対派が乱入し、会議が3時間半遅れることになった映像がニュースで流れた。またまた某俳優のパフォーマンスを見ることになって残念である。会議の開催にはルールがあり、傍聴者は不規則発言で会議を妨害してはいけないのは当たり前のことである。前回の意見聴取会で不規則発言があり、会議が妨害されたことに対する対策として、別室でのモニターによる傍聴と決めた。話し合われるテーマが何かを横に置けば、極めて真っ当な対応である。自分たちが行った行為がもたらした結果に対しては、素直に認める潔さがなければ誰もその人の意見など取り合おうとはしない。民主主義のルールは守るべきである。

結局、3時間半遅れて開始された会議は、出席予定の8人の委員のうち、安全評価に批判的な2委員が「傍聴させないなら出席しない」と参加を拒否し、1人は別の予定があり欠席、さらにもう1人も途中退席した。最後まで議論に加わった委員は4人だったことになる。

原発反対派の言い分は、「こんな会議など開かなくて良い。とにかく邪魔をして、原発の再稼動を阻止できれば良い。」というところだろう。しかし考えて欲しい。本当にそれで原発再稼動を阻止できると思っているのであろうか?民主主義を無視した野蛮なやり方で、その行動を支持してくれる国民が増えるとでも思っているのであろうか?結果的に、安全な方向に向かうと思っているのであろうか?私の答えは全てに「No!」である。つまり彼らは、自らの主張を本当に実現させることに対する責任感などないのである。お祭りの様に騒いで目立てば良いのである。地方の成人式に酒を飲んで乱入する暴走族などと同レベルだと言いたい。

本当に安全性を高めるのであれば、正当な方法で安全監視のルールを変えるのが正しいアプローチである。例えば、欧州でのストレステストでは、必ず国外の公平な機関による評価を必要としている。日本のストレステストは、所謂「原子力村」に毒された人々に閉じた評価であり、決して十分だとはいえない。だから、このルールを欧州並みに変えるような働きかけを行うことが第一歩だと言える。私は異なる意見を持つが、早急な脱原発を議論したいのであれば、その第一歩を踏み出した後で遅くはない。「今すぐ地震がきたらどうする!」と言いたいのであろうが、どうせ無法者的なアプローチをしても、野田政権のもとでは決して変わりはしないだろう。

誰もが認めるところだが、現在、未来永劫、原発を続けようと思っている人は非常に少数派になった。多分、新規の原発開発は認められないだろうから、現行の原発が順番に耐久年数を全うして廃炉になることで緩やかにフェードアウトするソフトランディング型の脱原発派と、ラディカルな急激な脱原発派が大きな潮流である。前者の長期的な脱原発派の人の大部分も、適切なストレステストによる評価は望むところであるから、正攻法で攻めて行けば必ず大多数の国民の賛成を得るであろう。国会議員の間でも、多分、余裕で2/3以上の票を取れるほどの賛同が得られるはずだ。

だとすれば、テレビで目立つために意見聴取会に乱入する暇があったら、「欧州並みの、IAEAなどの国外の検査機関による公平な評価制度の導入を求む!」と題した署名活動を全国規模で行なうべきである。少なくともこの活動が認められれば、最悪の事態を2度も繰り返すような危険は相当下げれるはずだ。実利を取るなら、短絡的な反原発よりもよっぽど効果は大きい。

それでも彼らがテレビに映って暴れようとするのは、そんな実利よりも、結果的に原発が今後数年に亘り稼動し続けることを生理的に受け入れられないからである。しかし、彼らのそんな生理的な「好き」「嫌い」のために、議論を進められるのが阻害され、うやむやにしたまま目を瞑って突っ走ろうとする政府に口実を与えてしまう。

東京湾に原発を作るという議論から始めると・・・」でも書いたが、お互いが議論の場に向かい合わなければ、結局、困るのは自分たちなのである。問われるのは結果責任である。自分たちの行動の結果に対して責任感を持って望んで欲しい。彼らには猛烈な反省をうながしたい。

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