けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

公平性の議論をしよう!

2012-01-11 22:27:06 | 政治
最近、様々な番組で年金や社会保障の逆進性の話を聞くようになった。以前の記事『「民主党をぶっ壊す」覚悟』でも書いたが、「現在の日本の社会保障は、富の無いところから富のあるところに富を再配分し、その結果、貧富の差が更に開くことになる世界でも珍しい制度になっている」という主張が聞かれる状況である。

もちろん、全ての高齢者が裕福でもないし、全ての若年層が貧困という訳でもない。個別の例を見れば、ちゃんと再配分が機能している例もあるし、逆に機能していない上述の現象も起きていると言える。ごく一部の例外を捉えて大騒ぎするのは厳に慎むべきではあるが、逆進性の問題はその様な一部の例外とはかけ離れた、真に差し迫った問題といえる。

この問題に手をつけようとすると、それは既得権益に手をつけることになる。たかだか後期高齢者医療制度の導入程度で、ごく一部の貧困者に対してだけ「死活問題」となる負担増を、あたかも全ての高齢者が死活問題に直面しているかのようなすり替えを行い、僅かな負担増を拒否する流れをマスコミが結託して行なった。死活問題となる低所得者さえ別にしっかりとしたセーフティネットを張ってやれば、それ以外の人の話など一笑に付しても良いはずなのに・・・。それをはるかに超えたインパクトがある改革をしようとすれば、時の総理は橋下大阪市長のバッシングなど比べ物にならない辛い思いをしなければならないのかも知れない。

その問題に正面からぶつかって行くとすれば、まずは「公平性とは何か」から広く議論することから始めなければならない。制度的に破綻しない条件(給付開始年齢や給付額と納付額などの条件)は何処かという落としどころを探る議論ではなく、公平であるとはどの様な状態か?というそもそも論から始めるべきである。

現在、年齢別の人口分布はピラミッド型からはかけ離れた非常にいびつな形をしている。この場合、時代が変われば労働者人口と高齢者人口の比率が大きく変わる。以前は御神輿の様に大勢がひとりの高齢者を担いでいたが、それが騎馬戦のように3人でひとりの高齢者を担ぎ、将来的には肩車状態でひとりの若者がひとりの高齢者を支える時代が来る。しかも、年々、平均収入が下がり終身雇用の保証もない。この様な状況を現在の年金受給世代はどの様に考えるのだろうか?私はその議論を聞いてみたい。例えば、タウンミーティングなどを全国各地で開催し、その中で多くの高齢者に是非とも議論していただきたい。マスコミは、そこにヤラセが入り込まないような監視を厳しく行なって欲しい。

さて、この様な議論をしようとすると、予想される意見に「そんな議論する前に無駄遣いを削減しろ」とか、「政治家や公務員がまず身を削る努力をしろ」と言われるのが目に見えているが、ここで行うべき議論はその様な議論とはバッティングしない議論である。

例えば、同じ高齢者の中でも、家も財産もなく、子供の支えもなく月に10万円程度の国民年金のみで生きている世帯もあれば、家も財産もあり、厚生年金や公務員の共済年金などで夫婦で年間3〜400万円を余裕で超える世帯もある。余裕のある老後を迎える人々の中には、年金受給開始前はいっぱい働いて、いっぱいお金を収めていた人もいるだろう。国民年金で苦しい生活をしている人の中には、「トーゴーサンピンと言われる所得の補足率の差」から、サラリーマンよりも税金的に優遇されていた人もいるだろう。農家故に国民年金なので年金収入は少ないが、土地があるから食べるものには困らずに、いざとなっても売る土地がある人もいるだろう。その様な様々な人がいる中で、一般市民の中で公平とは何かという議論をすることには意味があると思う。

「年金をひとり幾ら貰うためにどうすべきか?」というテーマであれば、増税や無駄削減か予算の組み換えなどしか選択肢は存在しないから、上述の様に無駄の削除などを話題にすることにそれなりの妥当性はある。しかし、公平性の議論は無駄の削減などとは全く別次元の話である。国会議員や公務員が身を削らなくても、逆に身を削ったとしても、どちらにしても公平性の議論は有益なのである。

現在の年金受給者からすれば、「俺たちの前の世代は、受給額を減らされずに死ぬまでいい思いをしていた。何で俺たちだけが割を食わなければならないのか?不公平だ!」と言いたいのかも知れないが、その子供世代になると、親世代よりも年金受給総額が数千万円減るのは確実である。今、既得権益を持っている世代はとことん良い思いをして、次の世代にはとことん苦しんでもらいましょう!という考え方は明らかに不公平である。

客観的に公平と評価される結論であっても、どうせ誰かは不公平感を感じるのである。少しでも現在得ている「得」を手放すことになると、人はそれを「損」と感じるのである。だとすれば、最もその「損」「得」のバランスに優れた公平性の考え方が何かということを議論すべきなのだと思う。

大阪市長の橋下さんは「不連続性への挑戦」という言葉で説明しているが、「過去はこうだった」という既得権益を断ち切ることに挑戦しなければ、正しい民主主義にはたどり着けないという。年金の「積立方式」などは分かりやすい答えかも知れない。しかし、いきなりそこに行くには少々道は険しいのだろうから、その前に、10年後の着地(例えば経過措置も含めて10年後に定常状態に着地する)を目指して公平性の議論をすることから始めてみては如何だろうか?

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