けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

東京湾に原発を作るという議論から始めると・・・

2011-11-02 20:52:38 | 政治
たけしのTVタックルを良く見る機会がある。

面白いことに、結構、たけしとは意見が合う。

例えば、東日本大震災があった際に、復興大臣を「小泉元総理にお願いできないのか?」ということをたけしが言っていたのであるが、その当時、私も切にその様に願っていた。あれから7ヶ月以上が過ぎた今となっては、緊急避難的な感覚は薄れ、その様な夢が実現するわけがない状況になってしまい残念だ。本人(小泉元総理)にはそんな気持ちは毛頭ないかも知れないので空想の上での話しだが、実現していれば今の日本はもっと違った世界になっていたかも知れない。

その他には、「東京湾に原発を作ればいい」という話もあった。私もまさに同じ意見を持っていた。と言っても、私もたけしも、本気で東京湾に原発を作ろうと言っているのではない。そうではなくて、何処まで安全基準を高めることが出来たら東京湾に原発を作っても良いと決断できるのか…をまじめに議論しましょうという意味である。

現在、原発賛成派と脱原発派とで議論が激突しているというが、微妙なニュアンスに気をつけて言えば、賛成派と言うのは「20~30年程度のスパンで、徐々に原発をフェードアウトすべき」という、「長期的見地に立った脱原発派」と理解すべきである。手放しで賛成と言う人は、3.11以降、殆ど影を潜めた。その意味では、3.11以前に比べれば、現在は賛成派と反対派のベクトルの向きはかなり似通った方向に収束しつつあることになる。しかし、それでも賛成派と反対派の「議論にならない状態」は継続してる。

この「議論にならない状態」というのは、非常に残念な状況である。福島の原発がこの様になってしまったのは、この「議論にならない状態」が継続していたから起きたことは間違いない。もし、3.11以前から「議論できる状態」が確保できていれば、(その当時の時点で)現状がどの程度危険で、その危険を回避して安全度を高めるにはどうすれば良くて、そのために必要な経費を誰がどのように負担すべきか…を議論できていたはずである。しかし、その当時の賛成派と反対派は会話する共通の言葉を持ち合わせていなかったようだ。

原発反対派の言う「安全」とは、多分、100万年に1度(ないしは、それより遥かに低い)という頻度であろうと決して起こり得ない「安全さ」を意味する。しかし、ヒューマン・ファクタが絡む事象において、その様な微小な頻度を評価する手法は確立されていない。反対派の人々は、賛成派の人に「そりゃ無理でしょう…」と言わせることが目的と化してしまい、それ故に賛成派の人は「そんな議論には乗りませんよ」とばかりに安全神話という空想の世界を語り始める。異なる方向のベクトルは先に行けば行くほど大きく距離が開くことになり、ますます「議論にならない状態」が安定化する。

スリーマイル島、チェルノブイリ、福島と、大雑把に言えば20年に一度という頻度で深刻な原発事故は起きている。今後の科学の進歩による安全性の改善を考慮すれば、多分、千年に一度程度の頻度以下に危険性を押さえ込むことを指標とした議論を膝を突き合わせて行えば、少なくとも20年に1度程度のレベルでしかない現状の安全性(危険性)を如何にすれば1桁以上改善できるのかの答えを導き出せたかも知れない。

ちゃんと聞いてみないから分からないが、少なくとも3.11以前に賛成派であった人の多くも、自分が住んでいる近所である東京湾に原発を作ると言われたら、「そこまで安全と言い切る自信はない。安全性について、もう少し真剣に議論して見ましょうか?」と答えたのではないかと推察される。

この夏、多くのサラリーマンは「今年だけは特別だから…」との諦めのもと、非常に辛い生活を強いられた。被災者の皆さんとは比較にならない辛さだから、誰一人、声高にその辛さを語ることはないのかも知れないが、それはボディーブローの様に精神的、肉体的に少なからぬ影響を与えた。企業の立場からしても、ギリギリのところで乗り切ったという感じだろう。しかし、多分、その様な影響を受けない生活をしている学者さんや俳優さん、元々、普通の人が耐えられない厳しい世界に身をおいているマスコミの人々からしてみると、この夏は全然特別な夏ではなかったのだろう。その様な人々が「このまま、原発なんかいらない」と言いたくなる気持ちは理解できるが、それはそれで乱暴な議論だと思う。

建設的な議論は、「少なくとも数百年に一度のレベルまで安全性を高めた、世界共通の安全基準を確立すること」「その基準を満たした原発は再稼動しても良いが、2、30年を待たずに、1年でも早くフェードアウトして脱原発に導くためにはどうすれば良いか」に真面目に向かい合うことから始まると思う。

あくまでも「たら」「れば」の議論ではあるが、3.11以降の今だからこそ、「議論できる状態」である環境作りに有識者は頭を悩ませて欲しい。

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