けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

国民の声を政治に反映させるための方法(思考実験)

2012-01-17 23:55:18 | 政治
産経新聞とFNNの合同世論調査によれば、『日本のリーダーとして最もふさわしい人は』との質問で、橋下大阪市長が21・4%で断トツの1位だったそうである。2位は石原慎太郎都知事(9・6%)、3位が岡田克也副総理と続き、野田佳彦総理は9位(3・6%)とのことである。自民党の中では石破茂政調会長が5位(5.8%)で、小沢一郎元代表は7位(4.4%)とそれぞれ振るわない。政治の実績を伴う上位ふたりが評価される一方、それに続く方々は国民からの信頼を勝ち得ているとは言いにくい現状である。

この様な人気投票を見ると思い出すのは「首相公選制の是否」の議論である。私は橋下市長を非常に高く評価しているが、首相公選制に対しては否定的な意見を持っている。実際、数年前に小沢一郎元代表が民主党代表であった時代、自民党を叩いてポピュリズムの政権公約を掲げ、人気を得た時期があった。結局、自滅して代表を退き、鳩山元総理の時代に幹事長として影の総理として君臨したが何も変わらず、現状を見る限りは殆どの重要な公約は絵に書いた餅であったことが分かっている。

名古屋の河村市長は何かといえば「減税、減税」と言うが、目的と手段を履き違えたポピュリズムであると言わざるをえない。河村市長曰く、「商人(あきんど)であれば、最初に値段を下げてお客さんをつかみ、それでもやり繰りできるように頑張るのがスジ」という。抽象的だが、「財布の中身はこれだけだよ!」と断言して、その中でやりくりするための背水の陣を敷くことが目的であるといえば私も理解する。しかし、であれば減税である必要はないのである。例えば、市の予算を幾ら以内に抑え(例えば、法令で黒字目標を定める)、余ったお金で財政再建を図る・・・とか言われれば、市議会議員の多くを敵に回すようなことはなかっただろうし、誰からもポピュリズムと罵られることもない。以前、前杉並区長が提案していた様に、「財政を切り詰め、余ったお金を積立て、その積み立てたお金の運用益を利用して住民税をゼロにする・・・」という提案であれば、私は大腕を振って大賛成と絶叫するだろう。

小泉総理の時代に「米百俵」という言葉が流行ったが、この「未来のために今は我慢する」という考えとは全く逆に、「未来を差し置いて(現在の赤字を垂れ流している状況で)未来のお金を食い尽くそう(減税)」という発想は政治家としての信を問われる言動である。

確か昨年、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」でも首相公選制がテーマとして取り上げられていた。その中で、自由報道協会の上杉隆氏が「森総理の時代に首相公選制が注目を集めたが、その時の人気筆頭は田中真紀子氏だった。その後、小泉元総理の時代に外務省のスッタモンダがあり、田中真紀子氏の言動に幻滅したことで急速に首相公選制の熱が冷めた」と解説したのを覚えている。アメリカの様に1年近くかけて長い議論の末に大統領選を行えば、候補者の資質を見抜くことができるが、現在の日本ではそのようになっていないのが問題という発言も誰かからあった。

それらの議論の中では言及はなかったが、日本の総理にはアメリカの大統領の持たない強力な権限が憲法で保証されている。つまり、伝家の宝刀、「解散権」である。この解散権が地方の首長と同様に首相公選制で選ばれた大統領にもあるとすると、同様に大統領に対するリコールに関する制度も必要となるであろう。しかしこれでは急な大統領選が余儀なくされることになり、それでは候補者の資質を見抜くための議論が尽くされなくなってしまうので、結果的に人気取りの発言をしたものが大統領に選ばれてしまう可能性が高まる。首相公選制を導入するということは、多分、任期(例えば4年)の間は何があっても法令違反がない限り大統領は辞めさせられないこと、大統領には首長の様な解散権を与えないこと、をセットで意味するのだと個人的に理解している。しかし、菅前総理を大多数の国民が早く辞めさせたいと願った事例があるように、政治家ないしは国民の政治レベルが成熟していない国では、現在の議院内閣制の制度が丁度良いのだと思う。

ちなみに、この首相公選制とペアでよく語られるのが「国民投票」という制度である。以前、「国民投票の結果責任を誰が取る?」の中でも書いたが、私は「国民投票」という制度にも、同様の理由で反対である。

少し前向きの提案をしてみよう。「国民投票」という制度の導入を主張する意見と、反対する意見の折衷案である。「選挙制度改革の思考実験をしてみよう!」の中でも提案した方法を利用した「間接民主主義型の国民投票制度」である。

例えば、通常の法案と同様に、衆参両院で(適宜設定されたテーマでの)国民投票実施の可否判断を投票により審査し、両院共に1/2以上の賛成多数で国民投票を実施する。この際、各党はそれぞれに主義主張を国民に訴え、政党別の支持票を投票し合う。有効投票数に対する各政党の得票率を求め、例えばA党がx%、B党がy%、C党がz%とする。その後、国会では法律で強制的に党議拘束を外して、衆議院、参議院の各国会議員が記名投票を行う。その時、各議員の1票の重みを上述のx、y、zで与えるのである。

例えば、反原発をテーマに国民投票を行うとする。回答は全てYes/Noで答えられるものとする。例えば、「1年以内に全ての原発を廃止する」というテーマを設定したとする。社会党や共産党であれば、全ての国会議員が例外なくYesであろう。しかし、彼らは「原発を廃止して、代替えのエネルギー政策をどうする」という答えを持っていない。これでは怖いので、もう少し責任感のある党への投票が増える。例えば、菅元総理が民主党として「脱原発」をぶち上げても、民主党の中にもエネルギー不足が経済界に与える深刻な影響を考える人がおり、彼らは長期的なソフトランディング型の脱原発を目指そうとする。当然、上述の命題に対してはNoとなる。このようにして、全ての民主党票がYesとはならないのである。

この方式の良いところは、民主主義の振り子は振幅が非常に大きいのであるが、その振り子の慣性モーメントを大きくすることで、急激なポピュリズムに対してブレーキをかけるのである。当然ながら、これで全ての問題を解決できるわけではないが、最後の判断は政治家が責任をもって行うことが求められるのである。一方で、係数x、y、zを決めるのに参加することで、通常の選挙とは異なり、シングルイシューでの明確な国民の意思を国政に示すことが可能になる。

もっと単純な方法としては、国会議員票(衆参両院で722票)に加え、国民投票枠として例えば300票を与え、投票結果を有効投票数に対するYes/Noの比率で割り振り、国会議員票との合計で2/3以上のYesの獲得でそのテーマが承認されるというものでも良い。国民投票結果に法的拘束力を与えるのであれば、半分以上は国会議員の判断が反映される条件を設定することで国会議員に結果責任を負わせ、更に単なる過半数以上の得票というハードルを設定するのである。

これまた思考実験の域を出ないが、この様な思考実験を国会やマスコミなどがもっと積極的にやっても良いのではないかと思う。

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