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Hilbert の呪い。

2012-02-14 00:45:02 | mathematics
「呪い」とは穏やかではない表現であるが,まさにそんな感じなのである。

どういうことかというと,Hilbert の著書『幾何学基礎論』(たとえば中村幸四郎訳のちくま学芸文庫版)の付録に「数の概念について」と題する短い論文があるが,そこに,証明抜きでいくつかの命題が述べられているのである。

そこでは,実数の公理として,

結合公理と称されるグループ I の公理が6個,
演算の公理と称されるグループ II の公理が6個,
順序の公理と称されるグループ III の公理が4個,
最後に連続の公理と称されるグループ IV の公理が2個

挙げられている。

そして,例えばグループ I の3番目は加法の単位元である 0 の存在を述べているが,それは公理 I-1,I-2 と II-1 から導くことができると書かれている。
また,乗法の単位元である 1 の存在についても,I-4,I-5 と II-3 から導くことができるとある。

これらは証明抜きで述べられた命題であるが,加法の交換律 II-2 を他のいくつかの公理から導く方法については数式を交えた証明がつけられている。

この論文は,だいぶ前に読み流したのだが,自分の中で機が熟してきたのを感じたので,証明がついていない言明についても本腰を入れて考える気になった。

0 と 1 の存在については,荒木不二洋先生の記事から学んだことを少し改変すれば証明ができるので,これについては最近勉強したことが役に立った。
ちゃんと成長しているという実感が得られたわけである。
(ちなみに,この問題自体は「荒木先生の呪い」と題して,知り合いに出題して共に数日間悩み苦しんでもらったものである。)

※ 証明に興味がある方は,この後に書いた記事「すぐ忘れる。」をご覧下さい。(2012/2/24 追記)

ところが,乗法の交換律 II-6 は,公理群 I,II,III (ただし乗法の交換律の公理そのものである II-6 は除く)だけからは導けず,さらに Archimedes の公理 IV-1 を必要とすると書かれている。

加法の交換律は Archimedes の公理を必要としないのに,乗法の交換律はそうではないというのは著しく対称性を欠いていて,きわめて奇妙な心地がする。
それが一体どういうことなのか,現時点では僕にはさっぱりわからないが,ともかく問題はこの付録の論文には証明が述べられていないことであった。

全部で16個の公理を総動員しないと証明できないということは,単純計算によると,証明のプロセスが最小でも16のステップを有するということになる(各ステップで公理を一つずつ使用すると考えて)。

つまり,そこそこ長い推論が必要になるという見込みなのである。
その推論の道筋を自力で見出さなければならない。

将棋でいうところの詰め将棋みたいなものである。盤上や手元にある駒を全て使わなくてはならないことはわかっているのだが,何手詰めなのかすら不明である。

これは難問だと思いつつも,アイデアがないわけでもなかったので,試しに取り組んでみた。
(雪で都心の交通機関が麻痺したとき,止まったまま動き出す気配のない電車の中で Archimedes の公理を満たす順序加群が実数の部分集合と順序同型であるという定理の証明に成功した経験から,Archimedes の公理の使い方にはちょっとした心得が備わっていたのである。)

ところが,ちょっと試した限りではうまく行かない。そのため,途方に暮れてしまった。

公理により,0 や 1 と任意の数 a とは積が可換であること,また,a の整数倍や a のベキと a 自身は可換であること,などの公理から直ちに示せることくらいは一通り確認した。
そして,ab と ba が等しくないとしたら矛盾が生じるのだろうと,背理法を使って証明すると当たりはつけたものの,どういった矛盾を導けばよいのかが思いつかない。

その最初の試みから数週間が経ったと思うが,その間,完全にほったらかしであった。

ところが先ほど,ふと,実数に関する命題なのだから,実数を有理数で近似できることを Archimedes の公理を利用して導き,それを利用できないかという方針がひらめいた。

その線に沿って考えてみたら,小一時間できっちりとした証明が仕上がった。

その証明が正しいという自信はあるものの,答え合わせをしたいという欲求が芽生えた。

答えが載っていそうな文献としては,高木貞治『数学雑談』や E. Landau の本を思い浮かべたが,その前に,Hilbert の『幾何学基礎論』の本文に載っている可能性に気がついた。

そもそも,この付録の乗法の交換律について述べた箇所に脚注として『幾何学基礎論』の第6章を見よとの指示がある。

そのリンクをたどると,第6章のほぼ冒頭に,定理59として件の命題が掲げられており,それに続いてきちんと証明が述べられていた。

それを見ると,出だしで注意している事実は僕が気づいたことと全く同一であるが,証明の後半はだいぶ異なり,なかなか技巧的であるという印象を受ける。正直なところ,一読しただけではそのココロがさっぱりわからない。

そういうわけで,僕が考案した証明はそれに比べて稚拙かもしれないが,アイデアはより明瞭だと思われるので,ここに記念に記しておくこととする。

なお,公理 IV-1 が乗法の交換律の成立に必須であることは,IV-1 と乗法の交換律を除いた公理をすべて満たすような,非 Archimedes 的かつ乗法が非可換的な数の体系のモデルが構築できるという形で,続く定理60として述べられているようだ。

これらの研究は実に深い。ただただ感嘆するのみである。
Hilbert は数学の多くの分野ですばらしい業績を数多く残しているが,研究スタイルの特徴としては,何年かある一つの分野に集中して非常に深い結果に到達し,その後はまるで異なる分野に飛び移り,前になした自分の仕事をすっかり忘れてしまうほど新しい分野に没頭するというものであったらしい。
すさまじい没頭ぶりである。そうした非凡な集中力があったればこそ,このような深淵まで思考が及んだのだろう。

では僕の証明を述べよう。どこにどのような公理を用いたかは詳細には書かない。証明の概略を書き記すにとどめる。

まず,0 と 1 という特別な数の存在は公理によって仮定されている。

以下では,k,m と n は正の整数を,a と b は任意の正の数を表すものとする。

数 1 を n 個足し合わせたものを n と書き記すことにする。

すると,分配律(左)により

a+a+...+a=1*a+1*a+...+1*a=(1+1+...+1)*a=n*a

であり,また a と 1 とは,数 1 の性質に関する公理によって乗法の交換律が成り立つので,分配律(右)により,

a+a+...+a=a*1+a*1+...+a*1=a*(1+1+...+1)=a*n

が成り立つ。
こうして,1 の性質と2つの分配律から,正の整数 n と任意の数(ここでの議論に関しては正の数に限らずともよい)a とは乗法の交換律が成り立つことがわかる。

分配律は左と右の両方を公理として要請するので,そこにすでに乗法の交換律の「原型(プロトタイプ)」が組み込まれているのであるが,それだけでは任意の整数と実数の乗法の交換律が言えるに留まるというのが Hilbert が見出した深い事実なのである。しかし,不思議なことに,加法の交換律は2つの分配律で事足りるのである。

準備は整ったので,メインの証明に入ろう。

背理法を用いて矛盾を導くことをもくろむ都合上,ab-ba が 0 ではないと仮定しよう。

そうすると,順序の公理によって,ab-ba>0 か ab-ba<0 のいずれか一方が成り立つことになる。

ところで,1 と b は共に正の数であるから,Archimedes の公理によって,1<k*b を満たす k が取れる。
すると,順序の公理から,n≧k を満たす任意の正の整数 n に対して k*b≦n*b が言えるから,1<n*b も成り立つこととなる。

さて,n≧k を満たす正の整数 n をひとつ固定しよう。

再び Archimedes の公理から,m≦nb<m+1 を満たすような m が存在することがわかる。
(これは,もし割り算が定義されているなら,m/n≦b<m/n+1/n となって,数 b を有理数 m/n で近似していることに相当する。)

さて,この両辺に左から正の数 a をかけると a*m≦a*(nb)<a(m+1) が得られるが,さきほど確かめたように正の整数と任意の数とは乗法の交換律を満たすから,乗法の結合律と合わせて

a*m=m*a,a*(nb)=(a*n)*b=(n*a)*b=n(ab),a(m+1)=(m+1)a

などが成り立つ。ゆえに ma≦n(ab)<(m+1)a となる。

一方,m≦nb<m+1 の右から a をかけると,ma≦n(ba)<(m+1)a を得る。

こうして得られた不等式を辺々引くと(実際には加法の逆元と,順序の公理をいろいろ使ったことになる),

-a<n(ab-ba)<a

が得られる。

さて,もし ab-ba>0 なのであれば,n(ab-ba)<a という不等式が,k 以上の任意の正の整数 n に対して成り立つこととなるが,それは Archimedes の公理と矛盾する。

同様に,ab-ba<0 なのであれば,-a<n(ab-ba) から n(ba-ab)<a が k 以上の任意の正の整数 n に対して成り立つことになるが,ba-ab>0 なので,これもやはり Archimedes の公理に反している。

以上により,ab-ba>0 でもなく,ab-ba<0 でもないので,順序の公理により,ab-ba=0,すなわち ab=ba でなければならないことが示された。Q.E.D.


この証明のココロは,b を有理数 m/n で誤差 1/n 程度に近似することができることを Archimedes の公理から導くところにある。
そして,分配律の助けを借りると,有理数 m/n と任意の数 a とは乗法の交換律を満たすことがわかるので,ab と ba は共通の数 (m/n)a で,誤差 a/n の精度で近似できるため,ab と ba の差も a/n 程度しかないことになる。
しかも n はいくらでも大きく取れるので,誤差 a/n は任意に小さくすることが出来る。
したがって,ab と ba との間の誤差は 0 でなければならない,という結論に至るのである。

こうした,もともと実数に対して抱いているイメージがベースとなって,「証明という名の詰め将棋」の解法が見出されたのである。

すでに自分が持っているなんらかの知識をベースとしなければ,このような証明を思いつくことはきわめて難しいだろう。
逆に言うと,このような問題を通じて,自分の知っている実数に関する知識を試すわけである。

実数の性質というのはたくさんあるようだが,公理として掲げられた高々18個くらいの性質でもって規定されてしまうわけだから,意外と多くはない。
けれども,公理として直接掲げられているわけではない「有理数」といった概念をそもそも自分は持っているのだから,そうした「手の届く」,あるいは「よく親しんでいる」概念を利用しようというのは当然の戦略であろう。
ただしもちろん,自分がこれまでに培ってきた,数に関する膨大な体験に基づく知識の「どれ」を選べば効果的なのかはおのずから明らかなわけではなく,その選択には試行錯誤がつきものだろう。

幸いにして,たまたま数週間悩んだだけで有効な知識に思い至っただけのことである。

数学者というのは,日がな一日,そういう試行錯誤を頭の中でし続けている人々なのであろう。
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