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『高橋秀俊の物理学講義』にまつわる思い出。

2011-10-29 22:02:07 | Weblog
※ 高橋秀俊先生の講義を直接聴講したとか,そういう話ではありません。
※ 単に,つい最近『高橋秀俊の物理学講義』という本が出版されたことを知って,その本の中身とはほとんど関係ない周辺的なことについて個人的な思い出がいくつかあるのでそれを書き記しただけという,ただそれだけの話です。

この間,友人の gk 氏から,ちくま学芸文庫から『高橋秀俊の物理学講義』という本が出たことを教わった。

僕は一も二もなく本屋に走った。

実は gk 氏には1ヵ月か2ヵ月前に,雑誌「数理科学」2001年5月号に掲載された霜田光一氏による記事「高橋秀俊の物理学」に感銘を受けた由の話をしたことがあった(gk 氏は覚えていないそうだが)。
このとき,二人して「物理学汎論」というものに強い興味を覚えたのだが,それがタイムリーにもちくま学芸文庫として復刊されたとは。

本書は全部で40講からなる講義録であるが,まだ全然読んでいない。

パラパラと見ていると,どれもこれも面白そうな講義である。
例えば第7講「いろいろな自由度の間の交渉」には,僕が不勉強なため全く知らなかった「熱磁気効果」やら,「熱磁歪逆効果」やら,非常に興味深い現象などが紹介されている。

第4講の「ルジャンドル変換」では,Legendre 変換の物理的な意味を詳しく考察しており,Legendre 変換を単なる数学的な技巧だと思っていた僕には衝撃的な内容であった。

Legendre 変換にも物理的な解釈が可能なのか!

と驚くと同時に,Legendre 変換の式に対しても物理的な解釈を試みるべしという,物理学者としていわば当然の心構えが身についていない己の不明に恥じ入り,深く反省させられた。

それ以外には,Hilbert 変換に関する講義(第25講)が目に付いた。

これについてはある友人と話したことを思い出した。

10年近く前,京大の数理解析研に行ったとき,当時まだ京大にいた高校時代の同級生と落ち合い,京大のそばの定食屋で食事をした。
その際,「Hilbert 変換については高橋秀俊の物理学講義に載っているよ」というような話を聞いたことを思い出したのである。
その後しばらく,その友人とメールのやり取りをしていたが,高橋秀俊の本が手に入らないことを伝えたところ,Arfken の物理数学の教科書にも載っているということも教えてくれたので,そちらはさっそく全4巻を買い揃えたのも良い思い出である。

もっとも,当時も今も僕には Hilbert 変換の理論は必要ではなく,なんでそういう話になったのかは思い出せない。何か因果律に関する話をしてたんだっけかなぁ。因果律と Hilbert 変換の関連って何だっけ・・・?

それはともかくとして,このような事情もあって,その頃から「高橋秀俊」という学者の名前は僕の脳裏に刻み付けられていたのだが,実はそれよりも前にこの名前には出会っていたような気がしてきた。

それはどういう話だったか,よりいっそう思い出せないのだが,日本で独自に開発されたコンピュータ素子として名高いパラメトロンのことを何かで読んで興味をそそられたことがあり,その時に「高橋秀俊」の名を目にしたのだったかもしれない。
当時は電気工学者だと思っていたが,「数理科学」の記事でれっきとした物理学者であったという認識に改めることとなった。

これ以外にも,高橋秀俊はロゲルギストという日本の物理学者数名のグループの一員としても有名である。
ロゲルギストの「物理の散歩道」シリーズは,面白そうな話題に満ちているものの,見掛けとは裏腹に僕には難しく感じられ,敬遠していたが,そろそろ読める年頃になってきたのかもしれないので,近いうちにチャレンジしてみようと思う。

なお,本稿の最後に,上記とは関係がないが,「高橋秀俊の物理学講義」の「まえがき」の終わりに挙げられている参考書の一つ,Pippard の本は1988年に共立出版から日本語訳が出ている(自然の応答と安定性 : 現代物理学への招待 / A.B.Pippard 著 ; 加藤鞆一 訳)ことを書き添えておこう。

ついでに思い出したので,それも書き記しておこう。
訳者の加藤鞆一(ともかず)先生は今ではすっかりご無沙汰してしまっているが,やはり10年ほど前に個人的にお世話になったことがある。
特によく差し入れと称して大変美味などら焼きを持ってきて下さった。
初めていただいたとき,とてもおいしかったので,ついぶしつけにもお土産に持ってきて欲しいと,それとなく催促したところ,それ以降,孫におやつを持ってくるような感覚で毎回のように買ってきて下さったのは,本当に楽しい思い出である。
(ときどき本物の孫に負けて,孫にあげたから僕たちの分までは買ってきて下さらなかった,という悲しい思い出も,今となっては懐かしい思い出である。)

Pippard の本も,そろそろ手にとって吟味する時期が来たということなのかもしれない。


ともかく,何らかの形で,「物理学汎論」という精神を継承したいものだと切に思う今日この頃である。
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